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▼スタディ・アブロード―早稲田から世界へ―

From WASEDA to Estonia
WASEDAからエストニアへ

苅田 直行/国際教養学部3年

 エストニアという国名を聞いて、地図上で正しくその位置を指差せるだろうか? この欧州の小国へ飛び立つ決断を下した理由、それは、「未知」と「不安」を楽しみたかったから。英語圏を除き、これを逃したら生涯二度と住むことはないであろう国を探して見つけたバルト三国。旧ソ連圏に関心を持ち、ロシア語を勉強していた私にとって最適の土地だった。その中で国旗が最も気に入ったエストニア、タルトゥ大学への留学を決意した。

 エストニアで2番目に大きな街タルトゥは、欧州各国、世界各地から留学生が集まる国際色豊かな大学街だ。人口10万人、雑音の少ないのどかな街には、学業に集中できる環境が整っている。知性漂う住民と街の雰囲気に刺激されて学業に勤しむ一日もあれば、公園のベンチや小さなカフェに腰掛けて思索に耽ることもあった。“City of good thoughts”という街の惹句の通り、ここでは心が自由になる。言葉では説明のつかないこの街の不思議な魅力だ。

 エストニア各地を旅して、この国が20年前までソビエト連邦に属していたという事実を想起させる風景を多々目にした。KGB監獄、集団農場、軍事基地、ロシア人の街……、欧州という華やかな歴史の舞台に隠された負の遺産は、島国で生まれ育った日本人にはあまりに衝撃的で残酷だった。エストニアは総人口の3割がロシア人と言われ、2007年には首都タリンでロシア人の暴動が起きた。民族間の憎悪は不安定な平和の陰で、今なおくすぶっているように思える。

 ドイツ・ロシア・スウェーデンら大国による幾世紀に及ぶ圧政に耐え忍んできたエストニア人は、自己主張が強い「欧米人」のイメージと違って、どこか無表情で内向的だ。遠い土地からやって来た肌の色も文化も違う私は、シャイな彼らの心を開くためにエストニア語の習得に人一倍時間をかけた。そのお陰か、1年を通してエストニアの方々には良くしてもらった。例えば、エストニア語で日本の紹介をした地方の中学校では、生徒や教員と一緒にサウナで交友を深め、彼らの家族とエストニア人の家庭生活を体験した。旅先ではエストニア語を話す日本人と珍しがられ、見ず知らずの私をシャイな彼らが車で名所案内してくれることもあった。

 陰鬱な側面も含め、エストニアは「未知」に溢れた留学の穴場だ。早稲田大学の留学ネットワークは世界中に拡がっている。一度しかないチャンス、留学定番国に視野を狭めず、留学未開の地へ自分だけの冒険に行くことも、十分にアリな選択肢ではないだろうか。

(提供:早稲田ウィークリー

バルト海サーレマー島の牧歌的な風景

雪化粧のタルトゥ大学校舎

ソ連時代の兵器工場の廃墟(エストニア国内)