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【校友人国記】

中村屋創業者 一商人、相馬愛蔵

 新宿中村屋の創業者として知られる相馬愛蔵(1870―1954年)は1886(明治19)年、創立して間もない東京専門学校に入学した。在学中、坪内逍遥、天野為之、高田早苗らから薫陶を受け、後に早稲田大学教授となった日本史学者・津田左右吉と学び、後年は美術史家の會津八一とも友情を育んだ愛蔵。「己の生業を通じて文化・国家(社会)に貢献したい」と語っていた愛蔵は、妻・黒光と主催したサロンを通じて日本の文芸・美術振興に貢献し、インドの本格カレーを日本に広め、食文化をも発展させた。

(※2011年度校友広報紙「西北の風」より転載)

早稲田大学への入学

インドの詩人・タゴール(中央)を迎えたボース一家と相馬愛蔵(左端)、黒光(右端)
(『相馬愛蔵黒光のあゆみ』より)

 長野県安曇野市の農家に生まれた愛蔵は松本中学を中退し、早稲田大学に入学するため17歳で上京した。1938(昭和13)年に69歳で出版した著書「一商人として」で、愛蔵は当時の大学の様子を次のように記している。

 「早稲田の土地も今とは大違いで、一面の田圃、ことに甚だしい低湿地で地盤がゆるく、田の畝を少し力を入れて踏むと四、五間先まで揺れたもので、稲田の間にはところどころ茗荷畑があり、これが早稲田の名物であった。大隈伯の邸宅と相対して、小高い茶畑の丘の一部に建てられたのが専門学校であった」

 愛蔵は坪内逍遥を「講義を聴くというよりは、シェークスピアの芝居を見せられているように思い、ただただ面白かった」と回顧している。1890(明治23)年に第7回生として卒業。当時の卒業生は184名だったという。

中村屋サロンの人々

中村屋のインドカリー

 卒業後は北海道で養蚕学を学び郷里で蚕の品種改良などを行う蚕種製造業を始めた。28歳の時に黒光と結婚するが、黒光が生活になじめず健康を害したため、再び上京を決心した。1901(明治34)年に東大赤門前のパン屋「中村屋」を譲り受けて商人としての第一歩を歩み始めた愛蔵は、3年後にはシュークリームからヒントを得てクリームパンを創案し、1909(明治42)年には現在の新宿に新店舗をかまえた。

 相馬夫妻のもとにはこの頃から、美術、演劇、文学など様々な世界から人が集まってきた。同郷・同窓の社会主義運動家だった木下尚江、ロシアの盲目の詩人・エロシェンコや内村鑑三、松井須磨子も訪れ、中村屋の純インド式カリーの開発に貢献したインド独立運動の首領ラス・ビハリ・ボースを匿って、政府からの逃亡生活を助けた。店の裏につくったアトリエを舞台に広がる華やかな交友関係は「中村屋サロン」と呼ばれた。

早稲田人との交流

 1916(大正5)年。相馬夫妻との出会いを會津八一は「もともと中村屋の若主人(長男・安雄)を早稲田中学で教えていたとき、私がうんと叱って落第させたことがある。すると愛蔵君と黒光が夫婦してたずねて来て礼を言った。潔く落第させたことを非常に徳としているのだった」と書き残している。その後、奈良美術に傾倒していった夫妻と親交を深めていき、終戦後、會津は書画の個展を中村屋で開催している。

 愛蔵と生涯の友情を持った同窓の津田左右吉。1935(昭和10)年に早稲田大学東洋思想研究室を開設し、年報『東洋思想研究』を創刊した津田を、愛蔵は金銭面で援助したという。津田が著書で天皇家の尊厳を冒涜したとして起訴された1940(昭和15)年の事件では、愛蔵はあらゆる手を尽くして友人を救おうとした。

會津八一の書
(『相馬愛蔵黒光のあゆみ』より)

伝わる愛蔵の意志

 「『一商人として』は当社の新入社員必読の書」といいうのは中村屋CSR推進室の村上正人さん(88年・教育卒)。「『店頭のお客様が大切』、『一切独創的に』、『良い品を廉く』、『店の格を守る』など相馬愛蔵のいくつかの言葉は現在に至るまで会社経営の根幹となっています」と話す。

 愛蔵は『商店経営三十年』という著書で「商売の基本はどこにあるかということになると、(中略)お客様に良い品物を格安に売るということであり、またそれが人に対する厚意であり、同時に人に喜ばれる原因で社会奉仕である」と記している。

 「こうした社会への奉仕精神を今より凡そ一世紀前から経営の根幹におき、今でいうところのCSRを当時から実践していたことは驚くべきことだと、CSR推進という立場に居る後輩として感じています」という村上さん。「先輩相馬愛蔵の創業の精神を軸とした社史を社員に講義する立場に居るわが身もまた、不思議な縁であると思わざるを得ません」と話した。

 愛蔵は1954(昭和29)年に83歳で、黒光もそのあとを追うように翌年、79歳で永眠した。

◆参考文献

・『一商人として』(岩波書店)

・『相馬愛蔵黒光のあゆみ』(中村屋)

・中村屋ホームページ(http://www.nakamuraya.co.jp/pavilion.html)