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【早稲田大学校友広報紙「西北の風」特別企画】
鎌田薫総長・弘兼憲史さん・隅修三さん 座談会

Waseda Vision 150 グローバル人材育成の使命(前編)

 早稲田大学は、2012年11月、今日の大学に課せられた重い使命を果たすべく、これまでの歩みをさらに発展させ、アジアのリーディングユニバーシティとして確固たる地位を築くための中長期計画“Waseda Vision 150”を発表いたしました。

 “Waseda Vision 150”では、①「世界に貢献する高い志を持った学生」、②「世界の平和と人類の幸福の実現に貢献する研究」、③「グローバルリーダーとして社会を支える卒業生」、④「アジアの大学のモデルとなる進化する大学」という4つのビジョンを思い描き、13の核心戦略とともに具体的なプロジェクトを提示、実行に順次移しています。

『社長 島耕作』

 早稲田大学が育成すべきグローバルリーダーとは一体どのような人材か。世界を舞台に活躍するスーパービジネスマンを描いた『島耕作』シリーズで知られる漫画家、弘兼憲史さん(法卒)と、東京海上ホールディングス会長の隅修三さん(理工卒)をお招きし、鎌田薫総長(法卒)と同じ1966年入学・70年卒業の同級生3名による座談会(司会・フリーアナウンサー、貞包みゆきさん=96年 人科卒)で、それぞれが思い描く「グローバル人材」を語っていただきました。

 島耕作も山口県出身で早稲田大学法学部を1970年に卒業したという設定で、今年、隅さんと同じく「社長」から「会長」となりました。弘兼さんと隅さんも山口県出身であり、中学時代からの友人という関係。鎌田総長も小・中学校時代を山口県で過ごしており、司会の貞包さんも世代は異なるものの山口県出身です。

 共通項の多い校友が揃った座談会では、学生時代の思い出、現代の若者への期待、島耕作の早大生時代を描く「学生 島耕作」編への意欲、など話題は多岐にわたり、大いに盛り上がりました。

出演者

弘兼 憲史氏/漫画家

 1947年生まれ、山口県出身。70年、早稲田大学法学部卒業。松下電器産業(現・パナソニック)に勤務したのち、76年に漫画家デビュー。文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、日本漫画家協会賞大賞など受賞多数。2007年、紫綬褒章を受賞。現在、モーニングに『専務 島耕作』、イブニングに『ヤング 島耕作』、ビッグコミックオリジナルに『黄昏流星群』を連載中。

隅 修三氏/東京海上ホールディングス株式会社 取締役会長・東京海上日動火災保険株式会社 取締役会長

 1947年生まれ、山口県出身。70年、早稲田大学理工学部土木工学科卒業。同年4月に東京海上火災保険に入社。同社取締役海外本部部長兼ロンドン首席駐在員、常務取締役、専務取締役、取締役社長などを経て、2013年6月より現職。

鎌田 薫/早稲田大学総長

 1948年生まれ。静岡県で生まれ、小・中学校時代を山口県で過ごす。70年、早稲田大学法学部卒業。72年、同大大学院法学研究科修士課程修了。76年、同院法学研究科博士課程単位取得後退学。同大法学部教授、同大大学院法務研究科長などを経て2010年より現職。

(司会)貞包 みゆき氏/フリーアナウンサー

 1972年生まれ、山口県出身。96年、早稲田大学人間科学部卒業。桜美林大学大学院言語教育国際研究科修了。日本航空フライトアテンダント、NHK北九州放送局アナウンサーを経て現職。

自立心養う大学4年間
弘兼

隅君は私が描いている漫画の主人公、島耕作よりいつも一歩先を進んでいます。

4月に弘兼君と会ったときに「5月に島耕作を会長にするけど、お前はどうなんだ」と言われましてね。私は6月末に会長に就任する予定だと伝えたところ、「今度は島耕作が勝ったな」と(笑)。

弘兼

ところが、実際はまた隅君の方が先だったんですよ。島耕作は5月の株主総会で会長に就任したことになっているのですが、本の発売が7月だったので、隅君の就任発表の方が先でした。

貞包

お三方は、なぜ早稲田を選ばれたのですか?

兄二人が早稲田に通っていたもので、中学生のころから何となく早稲田に行きたいなとは思っていました。東京で下宿し、早稲田大学高等学院を経て入学しました。

鎌田

私は静岡県生まれなのですが、父親が転勤族だったもので、小学4年からは山口県防府市で、中学2年からは宇部市で過ごしました。宇部の中学校を卒業した後は一人暮らしがしたくて、私も単身で東京に出てきました。東京にいた親戚や下宿を転々として高校に通いました。

早く親離れをするのは良いことですよね。親にとっても、子離れは早くした方が良いですから

弘兼

実は私も高校から下宿していました。自宅も高校も岩国ですぐ近くなのに、家を出て寮に入っていましたね。

貞包

皆さん高校からは親元を離れていたのですね。

弘兼

私の場合は、子どものときから「漫画家になりたい」という夢を持っていました。でも漫画家は資格を取ればなれるような職業ではないですから、漫画家がだめなら新聞記者になりたいと思って、先生に聞いたところ「新聞学科のある早稲田に行け」と。しかも漫画研究会もあったので、もう躊躇なく早稲田を目指しました。

鎌田

私は、まず人間のタイプとして自分は絶対に慶応大学ではないなと(笑)。やはり、早稲田の自由で庶民的な気風と在野精神に憧れがあったのだと思います。

貞包

皆さん、入学してみた印象はいかがでしたか?

60年代の大学
(左)正門前に持ち出した机やイスに火を放つ一部の学生たち(1971年11月)
(右)共闘派によって占拠された第二学生会館(1969年7月)

弘兼

当時は早大闘争があり、入学試験のときはすでに大学が機動隊で囲まれている状態。大変な時代に入学したもので、早稲田は学生運動の嵐が吹き荒れていたというイメージが非常に強いです。

理工学部も学生運動の真っ只中でしたが、どういうわけか私は全共闘とは正反対の側にいて、いつの間にかそちらのトップに立っていました。革マル派に突入されて蹴散らされたりもしましたが、学生大会を開いて、まず理工学部からストライキを解除することに成功しました。学生運動で学内がぐちゃぐちゃだったおかげでうまく卒業できました(笑)。

弘兼

逆に私は学生運動はまったくやらない、いわゆる「ノンポリ」でした。と言うのは、私が住んでいたのは山口県人会の寮で、理事が当時の総理大臣だった佐藤栄作さんや岸信介さんでしたから、学生運動への参加は自由だけれど、参加するなら寮から出て行ってくれと言われていたのです。まあ、私は最初から学生運動をする気はなかったので、この辺りで麻雀ばかりやっていました。

鎌田

弘兼さんとは同じクラスではありませんが、学生のときにすれ違っていたかもしれませんね。いろいろな学生が自分の個性を存分に開花させながら、自分のやりたいことをやっていて活気にあふれていました。学生たちも今のように均質ではなく、法学部にいながら漫画一筋の人もいれば、「本当は文学がやりたかった」と文学ばかり勉強する人、資格試験の勉強に打ち込む人もいました。皆が伸び伸びと、生き生きとうごめく、とても面白い大学でした。

寮生活で個性を磨く
貞包

大学が荒れていた時代に大学生であったことは、のちの人生に影響を与えたと思われますか? 

弘兼

授業が少なくて、4年間という膨大な自由時間ができたわけですから、この時間をどう使うか考える自立心のようなものが芽生えたと思います。

鎌田

私たちのころは、学生に対して世間が今よりずっと寛容で、「学生さんだから」ということで許される部分が多々ありました。学生もそれに100%甘えていて、特権を生かしながら自分の個性を伸ばしていたと思います。経済は右肩上がりで、今ほど将来や就職を心配する必要もなかった。

当時は「和敬塾」という、地方出身の学生が集まる寮に住んでいて、学校に行くよりもそちらの方が楽しくてしょうがなかった。出身も学部もさまざまな学生がいて、非常に多様性のある世界でした。でも学校に行かなかったせいで、卒業後15年ぐらいは夢でうなされましたよ。明日試験だ、何も勉強していない、教科書もない、どうしようとガバッと起きて(笑)。

弘兼

私も同じように寮に4年間いて、最後は寮長になって岸信介さんとの会食といったような行事を仕切っていたので、隅君と同じように授業にはあまり出ませんでした。

鎌田

確かに我々の年代では、自分の可能性に賭け、自己発見すべくいろいろな形でチャレンジを繰り返している人がたくさんいました。学生寮の存在も大きいですね。私の周りでも寮生活の中で築いた人間関係を今も非常に大切にし、自分はそこで磨かれたと語る人は多いです。他者とぶつかり合って過ごした結果、早稲田からは人間的に磨かれた人たちが続々と輩出された。これこそが早稲田の最も良い伝統だと思っています。

今、早稲田大学では、地方から来る学生や留学生を含めてグローバルな寮を作ろうという計画が進んでいますね。

鎌田

ええ。残念なことに最近は首都圏の大学が「首都圏在住者の大学」に変わって来ている。昔はクラスの半分かそれ以上は地方出身者で、それが早稲田の最大の特色だった。今は関東1都6県の出身者が約7割を占めています。そこで今、地方からもっと学生に来てもらおうと、奨学金制度や寮を作っています。同時に外国人留学生に入学してもらって、多様な人々と交流できる機会を提供していこうと思っています。その象徴が中野に2014年に完成する900人規模の寮「中野国際コミュニティプラザ」で、日本人2人、留学生2人の4人1部屋で共同生活を送ることができます。

貞包

私も学生時代は東京国際交流館という寮で、留学生と一緒に住んでいました。グローバル化が急速に進んでいるんですね。

語学力は基礎
鎌田

グローバル化に対応するための教育というとまず語学力に関心がいきがちですが、これは基礎中の基礎のスキルであって、語学力を使って何をするかが重要です。弘兼さんが描く島耕作を見ても、大切なのは話す内容ですよね。異なった文化的背景を持った人と一緒に仕事をしようと思ったら、やはり一定の信頼を得なくては始まらない。そのためには豊かな人間性や幅広い教養に加えて、プレゼンテーション力や理解力も必要です。与えられた問題に対する模範解答の繰り返しだけでは、この能力は育ちません。

私は日本人、イギリス人、アメリカ人というようなメンバーで英語で会議をすることが多いのですが、途中で「これは英語ではどうしても上手に話せない」と思うと、日本語で話して通訳に任せてしまいます。やはり何を伝えるかが大事だと思うので。私は英語は下手な方ですが、それでもなんとか中身を伝えようと頑張っているうちに少しずつ上達してきました。

弘兼

今後、日本の企業は海外でビジネスする機会が増えると思います。しかし、外国語を自然に話せる能力は、学生時代からやっておかないとなかなか身につかないのではないでしょうか。

貞包

グローバル化に対応した環境で、「早稲田らしさ」を育ててほしいと期待する気持ちもあります。

鎌田

早稲田は昔から豊富な教育資源を提供してきました。現代はチャレンジすべき方法も道筋も多様化しているのでメニューを数多く揃える必要が出てきたのですが、基本的には自分でモチベーションを高めて自分の意識で挑戦してほしいというスタンスです。隅さんや弘兼さんのように、早稲田には目標になるようなすばらしい先輩がたくさんいるのですから、そういう人たちが一生をかけてどう能力を伸ばし続けているかをしっかり見てほしい。

早稲田大学が発表した「Waseda Vision 150」には、大学のなすべきことが実に見事に、ほぼ完璧に書かれていますね。これをひたすら実行すれば、社会に役立つ人材がたくさん育つだろうと思いました。

『学生 島耕作』
弘兼

企業としては、優れた人材、つまり採用したい学生像をどう考えていますか。隅君だったらどんな学生がほしいですか。

私は極めて明快で、「自立をした大人」ですね。私は海外での勤務が長く、日本を外から見る機会も多かったのですが、日本人の特徴を考えると「チャイルディッシュ」という言葉が浮かぶのです。30年ほど前、中国で現地採用の女性社員と話したときに、彼女の「中国人は子どもが嫌いです」という言葉にショックを受けたことを覚えています。それは小さな子どもが嫌いということではなく、見かけは大人なのに中身が子ども、つまり全然成長していない、自立していない人間が嫌いだと。私もまったく同じように思っています。グローバル人材というのも、行き着くところはそこですね。自立をした大人であれば、仮にその国の言葉が話せなくてもグローバルには通用していきます。

弘兼

なるほど。自立心を養うには、大学の4年間が最適ではないでしょうか。高校までは親も口を出すし授業もびっしりあるしで、必ず何かしらの制約がある。でも大学に入ると、自分なりに生活をアレンジすることができます。そこでどのように生きるか、いかに自立心を育てるか。

社会人になると、今度は社会的地位や家族という制約ができますから、大学時代は精神的に真に自由になれる、人生の中で最も貴重な4年間です。そこで最大限幅広い分野にチャレンジすることが重要ですね。

弘兼

今、島耕作が入社してから課長になるまでの10年間を描く『ヤング 島耕作』という話を連載しているのですが、これが終わったらさらにさかのぼって、1966年~70年の早稲田大学でのことを描く『学生 島耕作』がスタートします。学生運動も含めた団塊世代の青春を、島耕作を通して表現します。

貞包

それは楽しみですね。学生の島耕作は、どんな早稲田らしさを持っているのでしょうか。

弘兼

早稲田らしさとは、校歌にもある「進取の精神」、つまり積極的で果敢な生き方だと思います。『学生 島耕作』ではやはり自立心を、一人で生きていける力をつけるには、どうするべきかということを中心に描いていきたいですね。

貞包

皆さんはどんな人材がグローバルだと思われますか。

弘兼

島耕作のシリーズを描き始めてもうすぐ30年になるのですが、この漫画が一貫して見据えているのは「世界で働く」ことです。海外に行ったら、一番必要なのは「郷に入っては郷に従え」です。その国の習慣すべてにスッと理解を示せる“柔らか頭”と、そこに馴染もうという気持ちを持っているのがグローバル化した人間だと思います。

グローバルな視野、多様な価値の存在を当たり前だと思う気持ち、ある分野での専門知識、この三つはグローバルに活躍するうえで不可欠です。この三つの素養をもって、自立した大人と言えると思います。ただ、日本はグローバル化の点で世界に負けている、変身しなくてはいけないという議論をしているのはビジネスと教育の分野ぐらいであって、例えば芸術の世界ではピアノがうまければ、あるいは絵がすばらしければ、グローバルなんて言葉はまったく必要ない。グローバル化と叫んでいるのは主に私たちビジネスマンなのです。

アジアの中の日本
貞包

そのビジネスの世界では、島耕作も『アジア立志伝』でアジアに学びに行っていますね。アジアの中での日本は、日本の大学の役割は変化しているのでしょうか。

弘兼

もともと日本はペリーの来航以来、外国の文化がどっと入ってきて、アジアの中で真っ先に“良い所どり”ができた国です。国会はフランス式、憲法はドイツ、ちょんまげは切る、靴は履く、牛肉は食べるというように。つまり、日本はアジアの中で傑出してグローバル化していった国だと言えると思います。これは日本人の強みではないでしょうか。

鎌田

「Waseda Vision 150」では「アジアのリーディングユニバーシティ」を掲げています。これには、アジアのトップになることが世界のトップになる第一歩なのだということ、そして西洋の大学に追いつくことを目指すのではなくアジアの大学ならではのあり方を確立していこうというメッセージを込めました。思うにグローバル化対応力は、海外だけでなく日本の小さな町を舞台にして活躍するときにも必要な資質です。何か事をするに当たっては、さまざまな価値観を持つ人たちをまとめ、問題の本質を見出して解決策を提示していかなければなりません。これには優れた知恵と強い使命感、実行力が必要です。今後は、世界でも地域でもどんな分野でも、こうした力を持った「グローバル人材」が必要とされるでしょう。

同感です。我が社は海外でも事業を展開しており、近年では収益の約40%が海外からのものになっているのですが、社員に対しては常々「我々は日本発のグローバル企業になるんだ」と言っています。つまり、グローバルではあるけれど無国籍の企業になるつもりはないということです。国内のお客様と仕事をするときでも、原材料の7、8割が輸入物であるという現状からすれば、中小企業や商店の方々も皆グローバルな世界の中で生きている。私たち保険事業の人間は、そうした方々にきちんとアドバイスできるだけのセンスを持っていなければなりません。グローバルというのは日本も含めての話なのだと、今やっと社員たちも納得し始めてくれました。

(後編へ続く)