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【早稲田大学校友広報紙「西北の風」特別企画】
早稲田小劇場どらま館記念座談会

再興“演劇の早稲田”(第2部)

 早稲田文化発信の原動力ともいえる演劇。その演劇活動を盛り上げる新たなシンボルとなる小劇場「早稲田小劇場どらま館」の建設工事が、演劇の小劇場運動第一世代といわれる劇団「早稲田小劇場」発祥の地で進んでおり、2015年4月にオープンすることになりました。同劇団の生みの親である演出家・鈴木忠志さん(’66年 政経卒)から名称使用許可をいただき、演劇界の大きな期待を背負っている新しい小劇場。その起工を記念し、演劇界・映画界で活躍している鴻上尚史さん、吉田大八さん、長塚圭史さんをお招きし、岡室美奈子演劇博物館館長の司会による鼎談を開催いたしました。

出演者

鴻上 尚史氏/作家・演出家

 1958年生まれ、愛媛県出身。83年、早稲田大学法学部卒業。在学中、演劇研究会に所属しつつ、81年に劇団「第三舞台」を結成。以降、作・演出を手掛ける。「朝日のような夕日をつれて」で紀伊國屋演劇賞、「天使は瞳を閉じて」でゴールデンアロー賞、「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞、戯曲集「グローブ・ジャングル」で読売文学賞を受賞する。現在はプロデュースユニット「KOKAMI@network」と、2008年に若手俳優を集めて旗揚げした「虚構の劇団」での作・演出を中心としている。

吉田 大八氏/映画監督

 1963年生まれ、鹿児島県出身。87年、早稲田大学第一文学部卒業。CM制作会社でディレクターとして活躍し、2007年に本谷有希子の戯曲を映画化した「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で監督デビュー。同作はカンヌ国際映画祭の批評家週間に招待された。その後、「クヒオ大佐」や「パーマネント野ばら」を監督。4作目「桐島、部活やめるってよ」で第37回報知映画賞の監督賞、第36回日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞した。2013年、「ぬるい毒」で演劇を初演出。

長塚 圭史氏/劇作家・演出家・俳優

 1975年生まれ、東京都出身。96年より演劇プロデュースユニット“阿佐ヶ谷スパイダース”を旗揚げ、作・演出・出演の三役をこなす。平成20年度文化庁新進芸術家海外研修制度にてロンドンに1年間留学。11年、ソロプロジェクト“葛河思潮社”を立ち上げ演出・出演で三好十郎作『浮標』『冒した者』、ハロルド・ピンター作『背信』を上演。近年の作品に、舞台『音のいない世界で』作・演出・出演、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』作・演出・出演、『マクベス』演出など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。12月にはシス・カンパニー『鼬(いたち)』(作:真船豊)の演出も控えている。

(司会)岡室美奈子・早稲田大学演劇博物館館長

「なんで劇研は特別なんだ?」
岡室

それぞれ自分で演劇や映画を作っていらっしゃった学生時代をお聞きしたいと思います。

長塚

僕が学生のころは、早稲田の演劇は劇団「東京オレンジ」などがあって盛り上がっていましたね。なんで劇研はあんなに特別なんだろうと思っていて、劇研の前で大げんかしたこともありました。

鴻上

なるほどね。でも劇研は劇研の中ですごく大変だったんだよ。劇研からはみ出た連中は、劇団木霊の場所を借りて公演や稽古をしていたこともあったから。

岡室

その当時の劇研は華やかでしたね。「東京オレンジ」の堺雅人さんは在学中から大人気でした。でも「阿佐ヶ谷スパイダース」も、長塚さんが学生だったころからすごい人気でしたよね。私は公演を観たくて、当日券を狙って会場に行ったら入れなかったということがありました。

長塚

「阿佐ヶ谷スパイダース」を始めたのは1996年ですから、まだ大学にいたころですね。「劇団笑うバラ」は1994年から1年半一生懸命やって、お客さんが1000人集まらなかったら解散しようと決めていた公演に950人ぐらいしか集まらなかったのでやめたんです。でも「笑うバラ」での蓄積があったおかげで、「阿佐ヶ谷スパイダース」もわりとスムーズに始められました。

岡室

950人でもすごいことだと思います。鴻上さんは他の学生演劇をご覧なったりされていましたか?

鴻上

僕のときは「6号館屋上アトリエ」の全盛期で、そのほか「演劇集団アジア劇場」や「劇団木霊」、劇研のほかのアンサンブルなどたくさんの公演を観ていました。

岡室

なるほど。演劇人として影響を受けた事柄はありますか。

鴻上

劇研という無茶なシステムの中で、自分なりの表現をしたかったら腹をくくって戦わなきゃいけないんだということを学びました。劇場に大学から無償で提供されている照明機材と音響機材がサークルの蓄積としてある、ということは、裏を返せば皆それを使いたがるわけです。それらを手に入れるためにどれだけ戦わなければならないか、痛感しましたね。でも、プロとしてやっていくうえでもこの経験が礎になりました。いまも、僕の学生時代の演劇は戦いから始まったと思っています。

長塚

僕は劇研の「東京オレンジ」は会場も機材もあって、しかもお客さんもたくさん入っていたので、嫉妬していましたね。僕たちは会場も機材も全部借りなきゃいけないから、皆アルバイトして貯めたお金を出し合って公演をする。「東京オレンジ」の芝居はある種のセンスが時代にぴったり合っていて、僕自身も観ていて面白かったんです。だから余計に悔しいんですよね(笑)。でも、その後、自分の芝居に劇研の俳優さんたちが出演してくれる機会もあって、交流が広がっていきました。やはり早稲田時代に演劇をやっていたことは相当大きな意味があったと、いまも思っています。あの嫉妬、くやしさもバネになりました。

「青春時代にやるなら・・・」
岡室

演劇と映画作りとの違いはなんでしょう?

吉田

自主映画って、8ミリをやったことがある人はわかると思うんですが、普段劇場やテレビで観ている映画とは全然違うもので、お金を取って人に観せるのは難しいなとすぐに思い知らされる。でも同じ学生が作っているはずの「第三舞台」はお金を払って当然のクォリティで、圧倒的に力強く見えたんです。いまでこそ映画は、プロもアマも同じような機材を使えるようになりましたけど、当時は機材の価格差が圧倒的で、それが大きな壁だった。でも演劇は目の前で生身が動く。規模の違いはあっても、原則その点でプロとアマは同じ土俵ですよね。

鴻上

初めて観た作品が「第三舞台」だなんて、うれしいことですね。映画での機材の差は、僕もシネマ研究会とか回っているときに調べましたけど、やっぱり8ミリはだめだな、16ミリで撮らなきゃいけないなと思いましたね。でも調べたら、16ミリだと制作費が2、300万円ぐらいかかる。あの当時でですよ。だから制作費を貯めようと思って、1年間毎週宝くじを買い続けたんですよ。まあ当たらなかったんですけど。でも、それぐらい大きな違いがありましたよね。

吉田

ええ。演劇だってお金はかかるでしょうけど、お客さんからお金を取れるものができるでしょう。8ミリ映画は、タダでいいから観に来てって人に頼んでも、時間の無駄だったと言われちゃうような世界だから。演劇だと、目の前でセリフを言う知り合いが別人のように見えて羨ましかった。やっぱりちょっと魔法がありますよね。

鴻上

でもあの当時、自主映画のブームもあったじゃないですか。

吉田

それは僕のころよりちょっと前ですね。卒業後に有名になった人はいましたが、学生時代からスターというような人はいなかった。お話をうかがっていると、鴻上さんも長塚さんも学生のときから演劇を通じて世の中と直接向き合っていたように思うんですが、8ミリ映画では正直、そんな感覚は持てませんでした。

長塚

学生時代、僕も何回か映画に出てくれと言われましたが、いつ終わったのか、何がどうなったのかわからないまま立ち消えになるというのを2回ほど経験しまして。皆、映画やそれを創ることについては熱く語るんですけど、完成しない(笑)。僕にとっては、公演の日程を決めてそれを目標に頑張るというのがわかりやすい流れなので、終わりが見えないというのはちょっと理解しにくかった。

吉田

確かに、映画はそういうところがありますね。僕、打ち上げがすごく羨ましくて。芝居の楽日の打ち上げって、すごく盛り上がってお祭りみたいでした。映画はスタッフもキャストも、終わるタイミングがバラバラで撮影後に仕上げもあるから、いつ終わりなのかはっきりしないんですよね。まあ演劇も片付けとかいろいろあると思うんですが、楽日にはみんなで集まって打ち上げるのがメリハリがあっていいなと。

鴻上

そうだね、青春時代にやるなら演劇かもしれないね。僕が映画を撮ったとき、北海道でロケがあってエキストラが必要だったんだけど、制作の人たちは「お金がないから手配できない」って言うんです。だから、地元の大学の演劇部に行って何人か出してもらいますよと言ったら、すごく驚かれて。演劇部の学生は、知り合いの作品じゃなくても頼まれれば多分みんな行きますよ。でもね、これが映画研究会だったら、たとえ監督が直接話しても、作品について議論になることはあっても無条件で参加なんてしてくれませんよって言うんです。

長塚

俳優という生き物として考えたら、いろんなものに興味があるわけですから、ちょっとでも作品に出られるんだったら行ってみようってなりますよね。

吉田

確かに、演劇と違って映画の人は、気軽に体が動く感じではないかもしれないですね。だから若い人には8ミリより演劇の方を勧めたい。つぶしがききそうだから(笑)。

岡室

演劇と映画では、人のタイプが少し違うのかもしれませんね。研究者でもそうですよ。演劇映像の大学院で皆で自己紹介すると、すぐに演劇の人か映像の人かわかります。演劇の人は一歩前に出る感じがありますし、映像の人は一歩下がって声も小さいという印象です。

鴻上

なるほどねえ。でも映画も共同作業だし、そんなにタイプが違うものかなあ。

吉田

演劇人と映画人では、求められるカリスマの強さが違いますよね。僕と鴻上さんを比べたって、声の大きさが全然違うじゃないですか(笑)。

鴻上

でも伝説として語られるカリスマとしては、映画監督の方が圧倒的に多いでしょう。黒澤明しかり、溝口健二しかり。

吉田

それは単に産業として規模が大きかったからですよ。撮影現場の経験から言えば、やっぱり演劇の人はすごく存在感があります。偏見かもしれないけど、もともと人前に立つ、何かせずにはいられないという感覚が違う。

長塚

演じる側からすれば監督の方が偉いという印象ですが、でも確かに映画の現場に俳優として入ったりすると、声が小さい人は多いですよね。この前の現場でも、静かな中で僕一人だけが大声を出しそうになって(笑)。前に出たいって言うよりは、声が出ちゃう。

「みんな鴻上作品を観ている」
岡室

吉田さんは、現場ではどういう感じの監督ですか。

吉田

まあこのままの感じで、声も小さいです(笑)。僕は去年「ぬるい毒」という作品で舞台の演出を初めて経験しました。それで思ったのは、映像の世界でも演技とか演出っていう言い方をしますけど、それぞれの言葉が指す内容がまったく違うんですね。映像は撮った後の編集が前提としてあるから、極端に言えば「いいとこ取り」みたいな感じですよ。でも演劇は長い時間まるごと付き合うので、その間に演技を見るほうも見られるほうも成長過程を共有する。だからお互いの信頼関係の質が違う。以前は、舞台をやりたがる俳優たちはお客の前に立つこと自体が気持ちいいんだろうと思っていたんですが、稽古から公演までの過程にある密度の濃い「何か」を1度味わうとやみつきになるんだろうなと、何となく思いました。舞台をやったあの経験は本当に……何だろう、未だにちょっと自分の中で消化できていないですね。

長塚

演劇を手がけた動機は何だったんですか。

吉田

以前映画で付き合いのあった「劇団、本谷有希子」の関係者に誘われたのがきっかけです。自分で企画して舞台をやるのはすごく大変そうだけど、やりたいことさえはっきりすればある程度のお膳立ては整えてくれる、そんなチャンスを逃すわけにはいかないと思ってついやっちゃいました。当然苦労はしましたけど、結果的にはやってみてよかったです。これまでを振り返ると、演劇に関しては、この「ぬるい毒」と、学生時代に鴻上さんの「リレイヤー」に出会ったことが二大経験になっています。あのころは本当に演劇が好きで、「第三舞台」を含めていろいろな小劇場の公演へ行っていました。しかも必ず録音して、後で繰り返し聴いていたんですよ。

岡室

長塚さんは、鴻上さんの作品はいつごろご覧になりましたか。

長塚

高校時代ですね。僕らの時代の高校生は、芝居好きならみんな鴻上作品を観ているんじゃないですか。

鴻上

お父さんと一緒に仕事をしたときに、面白い話を聞きましたよ。「第三舞台」のメンバーだった大高洋夫と共演した際に、お父さんが大高ををたたくシーンがあったんだけど、普通は一発のところを「うちの息子がお前の劇団を好きだと言っていてくやしいから」と、もう一発たたいてやったと。

長塚

何だかすみません(笑)。僕が高校生のときも、吉田さんと同じように鴻上さんの公演のテープを持っているやつがいて、それをみんなに聴かせるんですよ。みんなで一生懸命聞いて、それを真似したものです。とにかく鴻上作品を好きな人がたくさんいて、演劇とはこういうものなのかと教わった気がします。だからこそ、のちに全く違う世界観の演劇を観てまた衝撃を受けた。演劇って、そこが面白いですよね。出会いでもありますから。

(第1部)(第3部へ続く)