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川尻 秋生/早稲田大学文学学術院准教授 略歴はこちらから

武士はなぜ生まれたのだろうか?

川尻 秋生/早稲田大学文学学術院准教授

 日本の歴史を振り返ってみる時、「武士」の存在はきわめて大きい。しかし、いつ頃、なぜ武士が生まれたのかという点は、実はよく分かっていないのだ。ここでは、その点について、筆者の最近の研究を紹介してみよう。

 従来、武士は草深い田舎から発生したと考えられてきた。平安時代の中頃、律令国家の衰退とともに、地方の治安が悪化し、群盗などが発生した。それに対抗するために、荘園領主や有力農民が自衛のため武装し、発展して武士となったという考え方である。

 それに対して近年では、武士は都から発生したとする見解が有力になりつつある。もともと律令制下の武官に起源があり、近衛府を経由して、10世紀以降源氏や平氏に武芸が継承された。そして平安京の治安を護り、天皇を守護する人たちを、王権(天皇)が職業として認めたものが武士だという見解である。

 筆者も武士という階層を作り出したのは王権であったと考えるが、その具体的な発生原因については次のように考えている。平安時代の貴族は、個人的に武芸に優れているだけでは武士と呼ばず、特定のイエ・血統に属していることが重要であると考えていた。例えば、勇猛果敢で知られた人物も、武士の家系の出身でなければ、「家ヲ継ギタル兵(つわもの)ニモアラズ」と評されている(『今昔物語集』巻25)。そしてこの血統とは「満仲・貞盛ガ孫」といわれたように(『同』巻19)、源満仲・平貞盛の子孫と認識されていた。

 源満仲とは平将門の乱の平定に功績のあった源経基の子(清和源氏)、平貞盛とは将門の従兄弟で、将門を殺害した人物である(桓武平氏)。こうしてみると、武士の家系とは、平将門の乱を鎮圧したイエということになる。

 そこで後世における将門の乱に対する見方を調べてみると、興味深いことがわかってきた。例えば、治承4年(1180)9月、伊豆国で源頼朝が挙兵した第一報を耳にした藤原(九条)兼実という貴族は、「あたかも将門の如し」と、自身の日記に書き付けている(『玉葉』)。将門の乱は、単なる一過性の反乱ではなく、事件から250年を経ても、大事件が起きると想起される「記憶」であった。しかも、思い返される時期には偏りがあり、12世紀後半の源平の争乱期と、14世紀中頃の南北朝の動乱期に集中する。つまり、将門の乱は、大きな兵乱の「負」の記憶として、貴族社会の中で子々孫々へ語り継がれたのである。

 こうしてみた時、何故、武家の棟梁が、源平両氏に限定されたのかがよく理解される。つまり、将門の乱の鎮圧者の子孫は、「辟邪の武(邪を寄せ付けない武力)」を持つ特殊な家系として、貴族たちから異能視されたらしいのである。中世には、戦いに先だって自らの家系の来歴を大声で名乗り合う「氏文読み」という作法があったが、将門の乱の鎮圧者を先祖に持つことを自慢する氏族が多いのも、そのことと関係するのだろう。

 それでは、武士が成立したのはいつ頃なのだろうか。おそらく、源氏・平氏ともに、イエとしてのまとまりを持つ、10世紀末頃とみることができよう。とくに、平氏では、貞盛の子・甥たちが一族として、強い結束をはかった時期と重なっている。筆者は、ここに武士の成立をみるのである。

 ただし、武士は、「名誉の戦士」として、貴族社会に受け入れられたわけではなかったことにも注意しなければならない。戦前の教科書で、「武士のなかの武士」として賞賛された源(八幡太郎)義家について、「多く罪無き人を殺す」(『中右記』嘉承3年〈1108〉正月条)と評されているように、武士は殺人集団として認識されていた。現代社会で、武士といえば、「潔い」というイメージがあるが、歴史的にみればまったく逆で、治安を護るための必要悪という位置づけが正しいだろう。

 ついでにもう一つ。清和源氏・桓武平氏ともに、最初から武士になりたくて武士になったわけではなかった。このように書くと、「中世には武士が天下を取ったではないか」という反論が聞こえてきそうだが、それは、我々が「歴史の結果」を知っているからである。むしろ、10世紀当時の一般的な氏族は、文官として王権に仕えることを望んだのだが、その道を閉ざされ、将門の乱にたまたま遭遇した氏族が武士化する道を選んだのである。武士という存在は、きわめて特殊な環境から生まれたといえようか。

〈参考文献〉

川尻秋生『戦争の日本史4 平将門の乱』(吉川弘文館、2007年)
川尻秋生『日本の歴史4 揺れ動く貴族社会』(小学館、2008年)

川尻 秋生(かわじり・あきお)/早稲田大学文学学術院准教授

1961年千葉県佐原市(現 香取市)生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専修卒業、同大学院文学研究科修士課程史学(日本史)専攻修了。1986年から千葉県立中央博物館学芸研究員。2003年から現職。現在、文学学術院准教授(文化構想学部 社会構築論系)。博士(文学)。日本古代史専攻。著書には、上記のほか、『古代東国史の基礎的研究』(塙書房、2003年)、『日本古代の格と資財帳』(吉川弘文館、2003年)がある。