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永江 朗(ながえ・あきら)/早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

取り残される日本の電子出版
-Kindle、iPadの衝撃-

永江 朗/早稲田大学文学学術院教授

いよいよ電子書籍の時代がはじまった

 1月27日(現地時間)、米アップル社は新しい情報端末、iPadを発表した。大型のタッチパネル液晶を搭載した、いわばiPod touchの大型判である。モバイル・コンピューターとしても使えるが、出版界が注目するのは電子書籍リーダーとしての機能だ。iPodとiTunesが世界の音楽産業、そして人びとの音楽の聴き方を変えてしまったように、iPadが本と読書を変えるかもしれない。

 アメリカではすでにアマゾン社の電子書籍リーダー、Kindleが普及しはじめている。米アマゾンのクリスマス商戦では、紙の書籍の売上を電子書籍のそれが追い抜いたと伝えられる。Kindleのほか、ソニーのReader、書店チェーン・バーンズ&ノーブルのnookなど数種類の電子書籍リーダーが販売されている。いまのところ普及台数は全機種合わせて500万台程度と見られているが、向こう数年内にKindleもiPadも1千万台以上を売り、おそらく3千万台程度にはなるだろうと見る人もいる。

 たった3千万台。アメリカの人口を3億人とすれば、10人に1人でしかない。携帯電話の普及台数に比べるとわずかな台数でしかない、電子書籍がメジャーになることはない、と考えることもできる。しかし、この10人に1人はどういう人たちか。すでにKindleを使っているのは、経済的にゆとりがあって、なおかつ本をたくさん読む人たちである。いわば本のヘビーユーザーが電子書籍リーダーを使うようになっている。彼らは社会的に影響力の強い層だといってもいいだろう。

スタートでつまづいた日本

 一方、視線を日本の出版界に転じると、その差に愕然、いや慄然としてしまう。日本では大手を中心にした21の出版社が日本電子書籍出版社協会(仮称)を発足させ、規格の共通化や著作権団体との交渉をしていくと決めたばかりだ。一歩も二歩も遅れている。

 じつは電子書籍リーダーの市販化は日本のほうが早かった。2004年、ソニーはLIBLIeを、松下電器(現パナソニック)はΣBOOKを発売した。しかしこれが大失敗。どちらも撤退した。もっとも、LIBLIeはアメリカでReaderとして販売され、Kindleを追撃している。つまり失敗の原因は電子書籍リーダーのハードにあったのではない。

 なぜ日本の電子書籍はうまくいかず、Kindleは成功しているのか。原因は単純ではないが大きなものは2点。タイトル(コンテンツ)の数と値段である。Kindleはスタート時に約10万タイトルを用意し、値段の設定はほとんどが9ドル95セント。アメリカの書籍はハードカバーで25ドルから30ドルぐらいだから、電子書籍だと半額から3分の1ぐらいの値段である。しかも、多くの電子書籍には読み上げ機能がついている。つまり電子書籍を買うとオーディオブックがついてくるのである。LIBRIeやΣBOOKで読める電子書籍は数千タイトルしかなかったし、値段も紙の本に比べて「おトク」感がなかった。

既得権の保護か、本と文化の未来か

 だが、日本で電子書籍が普及しない最大の理由は、出版産業の既得権益をそのまま守り続けようとする態度にあるのではないか。先の日本電子書籍出版社協会(仮称)にしても、その発想の根本にあるのは、主導権をアマゾンやアップルからいかに守るかであって、読者の未来、本の未来については二の次になっているとしか思えない。日本の出版産業には「業界三位一体」という言葉がある。出版社=取次(販売会社)=書店は、利害をともにする運命共同体だというのだ。しかし、iPod touchを半年間、Kindleを3ヶ月使ってみて痛感するのは、これらが徹底してユーザーの利便性を優先して考えられていることである。

 もちろん、電子書籍は万能ではないし、紙の本がすべて電子書籍に置き換わることもないだろう。だが文字の大きさを変えられたり、読み上げ機能があるなど、紙の本では不可能だったことが電子書籍で可能になるのも事実だ。紙の本から排除されていた人が電子書籍を読んだり、あるいは本や読書の概念が更新されていく可能性がある。既得権益にしがみつくあまり、その可能性をつぶしてはならない。

永江 朗(ながえ・あきら)/早稲田大学文学学術院教授

【略歴】
1958年、北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒。洋書輸入販売会社勤務を経て、編集者、フリーライター。文学学術院教授(文化構想学部 文芸・ジャーナリズム論系)。
主な著書に『不良のための読書術』『批評の事情』『メディア異人列伝』『暮らしの雑記帳』『話を聞く技術』『本の現場』『書いて稼ぐ技術』ほか。