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石原 千秋(いしはら・ちあき)早稲田大学教育・総合科学学術院教授 略歴はこちらから

村上春樹『1Q84』を読む

石原 千秋/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

 早稲田大学から与えられていた「特別研究期間」(サバチカル)が終わって、この4月から通常の授業に復帰した。その中に村上春樹の長編小説を読んでいく講義があって、今年は『ダンス・ダンス・ダンス』から読んでいる。その準備と平行して『1Q84』BOOK3を読んだ。そして、『ダンス・ダンス・ダンス』とはかなりテイストが違っていることに改めて気づかされた。

 村上春樹は、初期から現在に至るまで文章の質がほとんど変わらない。ところが『1Q84』BOOK3は、登場人物が相手の言葉を鸚鵡返しするところとか、「わかった」と言いきらずに「わかると思う」と言うところなど、文章の細部は同じなのに、全体のテイストがこれまでとは違っているのである。これまでの村上春樹の文体は、先を急がず、どこに連れて行かれるのかわからないようなところがあった。それがまた魅力でもあった。しかし、BOOK3は「謎解き」のために先を急いでいる感じがするのだ。BOOK2までは川奈天吾を脅かす存在だった牛河が、BOOK3では視点人物になって幕が開く。彼は「さきがけ」から依頼を受けて青豆雅美の正体を追うのだが、それががまるで「読者の謎解きの期待」とぴったり一致しているのである。

 たとえば、青豆雅美が千葉県市川市の小学校に通っていたという情報を、牛河はほとんど即座に川奈天吾の名前と結びつける。もちろん、BOOK2まで読んだ読者にはそのことはすでに知っているわけだから余計な手間はいらないといえばいらないのだが、いかにも早くわかりすぎる。それが次々と行われて、「謎」がどんどん解かれていく。約六〇〇頁が長く感じられない。「終わり」を知りたくて急いでいるのは、村上春樹も同様だったのではないかという錯覚を起こしそうになった。

 BOOK3で、青豆雅美が「処女懐胎」する展開には驚かされた。この「処女懐胎」を軸として、「さきがけ」のリーダー野中保と川奈天吾と青豆雅美の関係はきれいに「謎解き」された。これで読者の「謎解き」に関する期待は十分に叶えられた。もっとも、読者としてはこれで安心という感じと、少しきれいすぎたかもしれないという感じとが交錯する。

 BOOK2までは、読者は「壁より卵を」という趣旨のことを語った「エルサレム賞」の受賞スピーチを思い起こして、現在の混乱した世の中への何らかの「答え」を期待したと思う。実際読み始めてみると、青豆雅美の両親が入信していた「証人会」が「エホバの証人」を連想させ、深田絵里子のいた「さきがけ」が「ヤマギシ会」や「オウム真理教」を連想させるために、よけいに「答え」を求めてしまうところがあった。BOOK3への期待とは、BOOK2までに仕掛けられた「謎解き」だけでなく、まさにこういう質のものだっただろう。

 しかし、BOOK3はまちがいなく青豆雅美と川奈天吾の「恋愛小説」であって、BOOK2までが持っていた社会性の問題は背景に退いてしまった。「さきがけ」は二人の「恋愛」の障害としての位置しか与えられなかったように思う。それにともなって、青豆にリーダー殺害を依頼した老婦人や『空気さなぎ』を書いた深田絵里子や不気味なリトル・ピープルは放置されてしまった感がある。その点では、社会問題に対する村上春樹の「答え」を聞くことはできなかった。この点では、期待をはぐらかされた感じが残る。

 前にも書いたことだが、『ダンス・ダンス・ダンス』は『ノルウェイの森』で10万の単位から100万の単位に一桁多く膨らんだ読者を、自分に適切な規模にまでダウン・サイジングさせるための小説だったのではないかと思っている。『ダンス・ダンス・ダンス』は、『ノルウェイの森』以前の初期の3部作を読んでいなければ意味が通じないような書き方になっているからだ。しかし、『1Q84』は、100万というスケールの読者を引き受ける覚悟を決めて書いた小説だと思った。それが、『1Q84』に「現実」の出来事と結びつけやすい社会性を持たせた理由だったのではなかっただろうか。

 しかし繰り返すが、BOOK3はまちがいなく川奈天吾と青豆雅美の「恋愛小説」である。BOOK2まで太い骨格をなしていた社会性は背景に退いた感がある。良くも悪くも、BOOK3は『ノルウェイの森』になっている。それで終わるのだろうか。ここで思い出してほしいのは、BOOK1が4月から始まっていたことだ。つまり、1月から3月までは書かれていないのである。私は「まだ書かれていない」と思っている。そのくらいの「期待」は許されてもいいのではないだろうか。

石原 千秋(いしはら・ちあき)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

【略歴】
1955年生まれ。成城大学文芸学部文芸学科卒業、同大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了、同博士課程中退。東横学園女子短期大学専任講師・助教授、成城大学文芸学部助教授・教授を経て、2003年4月より現職。
[主な著書]『反転する漱石』(青土社、1997年11月)
『漱石の記号学』(講談社選書メチエ、1999年4月)
『教養としての大学受験国語』(ちくま新書、2000年7月)
『テクストはまちがわない』(筑摩書房、2004年3月)
『漱石と三人の読者』(講談社現代新書、2004年10月)
『『こころ』大人になれなかった先生』(みすず書房、2005年7月)
『国語教科書の思想』(ちくま新書、2005年10月)
『百年前の私たち』(講談社現代新書、2007年3月)
『謎とき 村上春樹』(光文社新書、2007年10月)
『国語教科書の中の「日本」』(ちくま新書、2009年9月)
『名作の書き出し 漱石から春樹まで』(光文社新書、2009年9月)
『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』(河出ブックス、2009年10月)
『あの作家の隠れた名作』(PHP新書、2009年11月)
『漱石はどう読まれてきたか』(新潮選書、2010年5月)ほか。