早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 文化・教育

オピニオン

▼文化・教育

河野 貴美子(こうの・きみこ)早稲田大学文学学術院准教授 略歴はこちらから

異国の香りと平城京
―1300年の時を越えて―

河野 貴美子/早稲田大学文学学術院准教授

正倉院の香薬

 平城遷都1300年記念を迎えた今年もまた、恒例の正倉院展が奈良国立博物館で行われています(会期は2010年11月11日まで)。光明皇后ご遠忌1250年にも当たる今年の展覧には、光明皇后が夫の聖武天皇崩御後の四十九日に東大寺大仏に献納した60種の香薬リストを記した『種々薬帳(しゅじゅやくちょう)』や、五色龍歯(ごしきりゅうし)・大黄(だいおう)・冶葛(やかつ)といった現在も正倉院に伝わる薬の実物が出陳されています。

 『種々薬帳』に記載されている香薬は、そのほぼすべてがインド・東南アジア・中国などを原産地とする輸入品です。1300年の時を越えて私たちの目の前になおあるこれらの香薬は、かつて遠く離れた異国から長い長い旅を経て奈良の都へともたらされた珍重品だったのでした。

香薬の伝来

 それでは、これらの香薬はいったいどのようにして日本まで運ばれてきたのでしょうか。

 たとえば唐僧鑑真は、天宝2年(743)、麝香(じゃこう)・沈香(じんこう)・甲香(こうこう)・甘松香(かんしょうこう)・龍脳香(りゅうのうこう)・詹糖香(せんとうこう)・安息香(あんそくこう)・桟香(せんこう)・零陵香(れいりょうこう)などの香料を船に積み日本を目指したと記録されています(『唐大和上東征伝』)。残念ながら、この時の船は出航後まもなく暴風に遭い沈んでしまいます。しかし鑑真のこの記録は、来日したその他の唐人や、唐から帰国した遣唐使、遣唐僧の積荷の中にも、日本では入手不可能な香薬類が含まれていたのではないかと想像させます。

 また、正倉院などに伝わる、新羅物購入に関わる天平勝宝4年(752)の文書(「買新羅物解」)にも、薫陸香(くんろくこう)・青木香(せいもっこう)・丁香(ちょうこう)など10数種の香料名が交易品としてみえます。アジア各地から集められた香料は、中国や朝鮮半島を経由して日本へと辿り着いたのでした。

冥界に漂う芳香

 さて、異国からもたらされた香は、古代日本の文学作品においてもしばしば印象的なエピソードとなって登場します。その一例として、日本現存最古の仏教説話集『日本霊異記』(9世紀初頭成立)の上巻第五縁をとりあげたいと思います。

 仏教を篤く信仰していた大部屋栖野古(おおとものやすのこ)は、物部守屋の激しい仏教排斥運動に屈することなく、後に吉野の比蘇寺に安置されることになる仏像を作成した人物でした。推古天皇や聖徳太子に忠実に仕えた屋栖野古は、やがて臨終の時を迎えますが、屋栖野古の遺体には「異香」が漂っていました。そして不思議なことに屋栖野古は3日後に再び生き返ります。屋栖野古が語るには、五色の雲が漂い芳香がたちこめる道を進むと、黄金の山があり、そこでは聖徳太子が待ち受けていて、山頂で引きあわされた比丘に仙薬をもらった後、聖徳太子からはまもなく日本に戻る(再生する)と予告された、とのこと。そして説話の語り手は、屋栖野古が冥界で見てきたことを次のように解説します。すなわち、聖徳太子は聖武天皇に生まれ変わったのであり、あの世で出会った比丘は文殊菩薩であり、行基こそがその化身である、そして二人に出会った黄金の山は、実は五台山なのであった、と。

 五台山は、中国・山西省にある文殊信仰の聖地です。死者の行き着く先が大陸であったというのはまるで荒唐無稽な話に思えますが、ここには、「異香」「芳香」が、仏教そして異国をイメージさせるものであったという当時の人々の意識が反映しているのではないでしょうか。『日本霊異記』には、仏や観音に対して花や灯とともに「香」を供えて祈る人々の姿が繰り返し描かれます(中巻第28縁、同第34縁など)。「香」は、仏の世界と現実、そしてまた、大陸世界と日本とを結ぶ重要な役割を果たしているようです。

鶏舌香・丁子

 やや細かな話となりますが、上にとりあげた説話で、冥界に漂う芳香のことを『日本霊異記』本文は「芳如雑名香(芳しきこと名香を雑(まじ)ふるがごとし)」と表記しています。しかしこの「雑名香」の部分を、新日本古典文学大系(出雲路修校注、岩波書店)では「鶏舌香」と校訂しています。「雑名香」の表記を「鶏舌香」の誤写だと判断したのでしょう(「鶏」字は古く「雞」と書かれるなど字体が似ています)。

 どちらが本来の本文であったのか、判断は難しいところですが、鶏舌香すなわち丁子もまた正倉院宝物の一であり、奈良時代には日本に伝わっていたことが確かな香料です。

 丁子は、古く漢代、天子に文書を奏上し、答対することを役目とした尚書郎が、口臭除去のために口に含んだものでした。その丁子にまつわる余話を一つ。

 『古本説話集』(平安末鎌倉初成立)に載る平中という男の話です。平中は、恋人のところへ出かけるとき、涙を演出するための水を瓶に入れ、丁子を畳紙に包んで携帯していました。それを知った妻がある日、瓶には墨を入れ、畳紙には鼠の糞をしのばせます。平中はまんまとそれにひっかかり、見るも無惨な姿に……。

 丁子は、モルッカ諸島原産の貴重な舶来品でした。人に接するエチケットとして丁子を口に含むのは、輸入香料を手にしうる上流階級の者のみがなせる洗練された行為であったわけで、それを逆手にとった平中の妻の仕打ちはなんとも痛烈な一撃といえます。

 「香り」は目に見えるものではありませんが、だからこそ、人の心の中においてはある特定の空間や事がらと結びついて深く記憶されるものではないでしょうか。古代文学に描かれる「香り」のエピソードは、古代の人々の心の奥に根ざす感覚や体験の表出としてたいへん興味深いものです。遠い異国からもたらされたあやしく芳しい香り。正倉院に伝わる香料は、その正真正銘の遺物として、古代の世界を現代へとをつなぐかけがえのない財産だといえるでしょう。

参考

山田憲太郎『香料 日本のにおい』法政大学出版局、1978年。 柴田承二監修・宮内庁正倉院事務所編『図説 正倉院薬物』中央公論新社、2000年。 東野治之「鳥毛立女屏風下貼文書の研究」『正倉院文書と木簡の研究』塙書房、1977年。

河野 貴美子(こうの・きみこ)/早稲田大学文学学術院准教授

【略歴】
早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門分野は日本古代文学(中古)、和漢比較文学、日中古典学。

著書に『日本霊異記と中国の伝承』(勉誠社、1996年)、主要論文に「善珠撰述仏典注釈書における漢籍の引用――『成唯識論述記序釈』をめぐる一考察――」(『中古文学』71、2003年5月)、「興福寺蔵『経典釈文』及び『講周易疏論家義記』について」(『汲古』52、2007年12月)、「島田忠臣、菅原道真の詩と白居易――渤海使との贈答詩を通して――」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易――王朝文学の生成と東アジア文化交流――』勉誠出版、2010年3月)、「古代日本における『周易』の受容」(『国文学研究』161、2010年6月)などがある。