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沖 清豪(おき・きよたけ)早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

教育委員会はなぜ批判されるのか?

沖 清豪/早稲田大学文学学術院教授

批判の対象としての教育委員会

 現在、時に地方行政改革の議論において、あるいはいじめなどの問題が生じるたびに、教育委員会(教委)が批判の対象となっている。特に近年その批判は強まっており、廃止論も主張されている。こうした教委批判はそれ自体、決して目新しいものではない。

 1948年に施行された教育委員会法に基づき創設された教育委員会は、1956年施行の地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)によって再編され、種々の法改正が行われ、改革が行われながら、現在まで存続している(表1参照)。

 臨時教育審議会答申では教委が本来の機能を失っていると指摘され、また東京都中野区で教育委員の準公選制が4回にわたり実施されるなど、1980年代には教委改革が盛んに議論されていた。この時期までの改革の背景には、教育行政の一部として教育委員会が機能不全を起こしているとの批判や、地方分権を想定されているはずの市町村教育委員会が実際には機能しておらず、当初の素人統制という役割が改めて注目されたことがあろう。

 しかし1990年代後半からは地方分権一括法の議論を通じて地方教育行政の改革が進められ、教委に関しても一定の機能が移譲された。にもかかわらず、教委批判は2000年代に入ってから、さらに強まっているように感じられる。近年の教委批判には、地方行政内での教委の独立性が批判され、一般行政と同様の組織に転換させるべきとの主張や、教育問題の改善機能が十分ではない点からの解体論などが含まれている。

なぜ批判されるか

 こうした教委批判はなぜ無くならないのであろうか。その理由を考えると、歴史的に教委が負わされてきた課題が依然として解決できていないという事情を無視することはできない。

 第一に、首長などによる批判にあるように、地方行政の一部に過ぎない教委の権限が大きく、首長部局からの独立性が強い一方で、責任の所在が不明確だと認識されている点が挙げられる。

 第二に、教委の構造が単純ではなく「狭義の教育委員会」(教育委員の選出と権限)をめぐる問題と教育長を含む「広義の教育委員会」(事務局の機能や教育長の権限)の問題が混在していることが注目される。一般的にこうした二層システムは理解しがたいものであろう。

 第三に、特に1990年代後半からの地方分権改革とその揺り戻しの中で、文部科学大臣の権限がかえって拡大するなど、地方分権志向の改革と中央集権的な改革とが併存しており、改革の全体像が分かりにくくなっている点がある。特に義務教育段階の公立学校教員の人事権をめぐる問題(県費負担教員の問題)など、都道府県教委と市町村教委との関係は本質的な部分にメスが入っていない。

批判から導かれること

 こうした批判やその背景を確認していくと、教委導入時の原理である「教育における地方分権化」、「教育行政の素人統制」のいずれもが、一定の改革は進められつつも十分に機能していないという問題が浮かび上がる。

 もし地方分権化を志向するのであれば、教育委員の任命承認制(市町村教育委員の都道府県教委による承認など)から議会の同意に基づく首長による任命制への改革(2000年)は大きな前進である。しかし中央行政や都道府県教委の権限をどの程度市町村教委、ないし個別学校に移譲するかに関しては、依然として十分に議論されていない。

 一方、素人統制、すなわち教育委員会の編成を当該地域の一般市民代表から編成することは、現在改革の中で保護者代表を教育委員に含めることなど一定の改善が進められているものの、教育委員の準公選制や公選制といったより大きな改革議論には結びつかない。

権限を地域住民に委ねるという改革

 こうした状態を改善するために、どう考え、どう対応すればよいのだろうか。

 「地方分権化」をより徹底するのであれば、保護者や地域住民が学校教育に関する権利のみならず責任を負うことが必要である。そしてその制度はすでに全国的に導入されている。具体的には、学校評議員制度の導入であり、より本格的には公立学校のコミュニティ・スクールへの移行を進めて、保護者や地域住民の学校教育への直接的な関与を深めることである。アメリカのチャータースクールやイギリスにおける学校理事会の事例からも明らかなように、個別学校の自律性を高めていくことには利点も問題点もあり、導入しても全ての教育問題が解決するわけではないが、しかし少なくとも教委の権限を一定程度学校や地域住民へと移譲する地方分権化に寄与するものとなる。

 一方、「素人統制」を厳密に実現させる方法を導入することは容易ではない。しかし、そもそも教委の権限統制となる狭義の教育委員の任免については、法律上、すでに首長の権限が認められている(表2参照)。

 さらに、広義の教委、つまり教育委員会事務局については、2008年度から導入が求められている教育委員会の行政評価(点検・評価)をより徹底して実施することで、責任体制の明確化とそれに伴う統制が一定程度実現される。

 つまり多様な改革がすでに進められているのである。いずれもまだ端緒についたばかりで、その成果や課題、そしてそこで見つかった課題を改善していくための方策は今後改めて検討される必要があるだろう。

リアルな教育改革論議へ

 教委批判が多いといいつつ、実際には、7割以上の首長は現在の教育委員会制度を肯定的に評価していることがこれまでの学術調査で明らかになっている。

 そして、より地域住民の声を反映させるシステム作りを行う取組は上述のとおり、すでに進められているのである。したがって、今必要なのは、本格的な教育改革を進めるためには一定程度の時間がかかるという現実を受け止め、コミュニティ・スクールや教委評価といった新たな取組を見守り、あるいはそうした改善活動に参加し、必要に応じて改善していくことではないだろうか。

 アカウンタビリティ(成果責任・説明責任)という考え方が日本でも一般的なものになった現在、専門職集団に対するその責任が改めて問われているのは確かであろう。しかしそうした問い直しと並行して必要なことがある。学校・教育の質を向上させるためには、地域住民や保護者が、口先だけではなく、行動を起こしていくこと(学校運営への参加)が必要なのである。当事者が直接関与することの先に、改めて現代における地方教育行政制度、具体的には教育委員会制度を捉え直すことができるのではないか。

 あなたは身近にある学校に、どのように関わっていますか?

沖 清豪(おき・きよたけ)/早稲田大学文学学術院教授

【略歴】
1996年 早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻博士後期課程単位取得退学
1996年~1999年 国立教育研究所教育経営研究部高等教育研究室研究員
1999年4月 早稲田大学第一文学部専任講師として嘱任、同助教授、准教授を経て現職

専門は教育行政・制度・経営論、教育社会学(高等教育・学生支援研究)。
著作として、共編著『データによる大学教育の自己改善 ―インスティテューショナル・リサーチの過去・現在・展望』(学文社、2011年)、「学生と就職・キャリア-卒後進路未決定層の学生生活」(『大学教育を科学する:学生の教育評価の国際比較』、東信堂、2009年)等、学校改革・評価関連で、「イギリスの学校評価」(高妻紳二郎・窪田眞二と共同執筆、『学校評価のしくみをどう創るか:先進5カ国に学ぶ自律性の育て方』、学陽書房、2004年)、「PTAと地域住民の関わり」(『学校組織・教職員勤務の実態と改革課題、多賀出版、2001年)等があり、共訳としてOECD教育研究革新センター『父母の学校参加―良きパートナーとして』(学文社、1998年)がある。