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中谷 礼仁(なかたに・のりひと)瀝青会、早稲田大学理工学術院教授(創造理工学部) 略歴はこちらから

無名の民家をたずねて
今和次郎『日本の民家』再訪調査

中谷 礼仁/瀝青会、早稲田大学理工学術院教授(創造理工学部)

 今から90年前の1922年、早稲田大学建築学科の教授になりたてだった今和次郎(1888-1973)が『日本の民家 田園生活者の住家』という本を上梓した。当時から失われつつあった日本各地の家々の様子についての記録と論である。今和次郎は最近も回顧展が開かれ(現在は国立民族学博物館にて公開中、6月19日まで)、彼の生活の実相を見つめる態度とその精彩なスケッチが話題となっている。彼は最終的に生活学を提唱したが、彼の本格的な研究作業のはじまりがこの民家調査であった。さて私は、瀝青(アスファルトの意)会という研究組織を組織し、今和次郎『日本の民家』初版に収録されたおよそ50弱の民家のその後を追跡調査を、6年間かけて行った。その作業のまとめを『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社)として、最近刊行することができた。

 なぜこのような調査を思いついたか、そしてその結果どのようなことがわかったのかのいくばくかを書いてみたい。

 まずは今和次郎が記録した「民家」の特殊性である。「民家」は二つの意味を持っている。一つは茅葺きに代表される伝統的な民の住まいである。もう一つはニュースでもよく用いられる、普通の住まい一般に対しての名称である。何の変哲もない、無名の住まいたちである。今和次郎の「民家」はそのいずれをも含んでいた。彼の記録した民家が、その後、一件しか文化財に指定されなかったのも象徴的である。連綿と続いてきた庶民の家こそが活写されていたのだ。しかしここからが問題である。そのような匿名的な住まいを彼はいったいどのようにして、当時、選び出したのだろうか。ふつうの住まいを選ぶ基準などないからである。そして採集された家々はいま、どうなっているのだろうか。

1 新潟県糸魚川船小屋調査の様子

 工学院大学図書館が今和次郎の資料を整理、残していてくれたのを足がかりに、当方の研究室に所属する歴代の協力学生をはじめとして、文化財保存専門家、民家研究者、ランドスケープデザイナー、民俗学者、写真家、編集者が無私の気持と好奇心で参加しはじめた。対象民家のほとんどが地域名まではわかるものの具体的な住所が不明であった。だから一件々々、断片的な情報をつなぎあわせ、地域の教育委員会にも協力依頼し、現地で人に尋ね、瀝青会に所属する様々なプロの瞬間的な判断なども加え、つきとめていく作業を繰り返した。

 これら再訪作業を終えて、いくつも面白いことがわかった。まず先に挙げた、今の民家選びの方法がおおよそ推測できた。彼は当時、伸長しはじめた鉄道などの交通機関の最終駅にでかけて、その駅からそれほど遠くないところにあった家を記録したのであった。交通機関もない奥地に分け入っていたのではないかという予想は見事に裏切られたが、逆にこの方法こそが今和次郎にとっては大切であったと考えるようになった。というのも、鉄道は地域の都市化の主要な要因である。彼はそのような都市化を被りはじめた民家の変わりゆく様子を捉えていたのであった。地方と都市のせめぎ合いの中で生き続ける「民家」のあり方が彼の興味の対象だったのである。

 また何よりも一番驚いたのは、予想以上にその家屋が現在でも残っていることだった。これは、私たちの再訪作業によってはじめて知り得た、日本の民家の持続性であった。もちろん関東近郊では、都市化の波を受けて、ダムに沈没した例や、観光開発によって消滅した家もあった。しかし関西方面は半分以上は残っていたのではないか。またその残り方にも現に使われている家のみならず、所有者が解体することなく何となく残っている状態が存在した。この「何となく残っている」状態というのは、今後の建築保存作業を考える上でも、大切なセンスなのではないかと考えている。というのも有名建築は意識的な保存が重要であるが、無名の民家は、誰にも気づかれずに残っていることの方がむしろ健全なのではないかと思えてきたのである。

2 今和次郎が描いた「南阿波の漁家」『日本の民家』1922より

3 九〇年後の「南阿波の漁家」と判断された家、撮影:中谷礼仁

 もう一つ書いておきたいのは、見知らぬ土地の人との交わりの仕方を学ぶことができたことである。こちらが調査然としていては全くダメなのであった。むしろ私たちの興味が、その土地の人々自体の興味に転移していく状態をいかに作り出していくことが、奇跡的な出会いをもたらしてくれた。例えば土地の社交場となっている喫茶店でまずお茶を注文後、主人に相談することからはじめ、だんだんとその村の共同体に入って、とうとう民家を見つけたこともあったのである。私たちは村落の共同体のネットワークがいまでも強く残っていることを知るのである。

 今和次郎による「日本の民家」が刊行された翌年、関東大震災が発生した。瀝青会による再訪作業が終わった翌年、東日本大震災が発生した。予期しなかったことだが、私たちの記録も貴重なものになってしまった。現在、瀝青会の調査は終わったが、私たちの記録は、なるべく未編集のまま家ごとのフォルダにパッケージしている。このフォルダ群をなんとか保存して、また同じような志をもった組織が表れた時のためにふたたび利用してもらいたい。そうすれば今後とも日本というこの土地の移り変わりを、底辺から記録していけるだろうと強く感じる。 最後に、道を尋ねる私たちに快く、時には我が身への問いかけのようにご対応いただいた土地の方々に感謝して終わりたい。

4 瀝青会による実測調査例。同じ間取りが続く伊豆大島岡田地区の道を挟んだ民家二つ、2007年

中谷 礼仁(なかたに・のりひと)/瀝青会、早稲田大学理工学術院教授(創造理工学部)

【略歴】
1965年生まれ。歴史工学・建築史。大阪市立大学をへて早稲田大学理工学術院創造理工学部建築学科教授。著書=『セヴェラルネス+(プラス) 事物連鎖と都市・建築・人間』鹿島出版会2011、『国学・明治・建築家』波乗社1993、共著=『今和次郎「日本の民家」再訪』平凡社2011、『日本建築様式史』美術出版社1999、監修=『アドルフ・ロース著作集1 虚空へ向けて』編集出版組織体アセテート2011