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守屋 悦朗(もりや・えつろう)早稲田大学教育・総合科学学術院教授 略歴はこちらから

数学やコンピュータサイエンスにノーベル賞はないけれど

守屋 悦朗/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

1.数学とマスコミ効果

 9月中旬、ある数学の記事が日本全国の新聞紙上を賑わせました。京都大学の望月新一教授が未解決の数学の難問「ABC予想」を解決したかもしれないというのです。ABC予想は1985年に欧州の数学者たちによって提唱されたもので、互いに素でありかつ A+B=C, A<Bを満たすような3つの正の整数A,B,Cの素因数に関する予想です。この予想から数々の既知の定理が導かれたり未解決の予想が解決されたりするそうです。例えば、数論(整数に関する理論)の超難問の一つとして、1995年に解決されるまでに約360年もかかった「フェルマー予想(フェルマーの最終定理)」もABC予想を使えば一気に証明できてしまうといいます。私は数論の専門家ではありませんし、ABC予想を理解するためには大学の数学科2年生程度の代数(数論)に関する知識が必要なので、一般の方に分かるように正確かつ易しく説明をすることはできませんが、興味のある方はインターネット上でさまざまな解説があるので参照されるとよいでしょう。

望月教授の論文ページ

 さて、このように数学に関する記事が新聞に載るのは、今回のように長年の未解決問題が解決された(らしい)という時などに限られ、かなり珍しいことです。そして、その記事を読んでも、数学に関心のない、あるいは数学は苦手だと思い込んでいる大多数の人にはさっぱり分からないことが多いのではないでしょうか。ノーベル賞の解説記事(例えば、10月8日に生理学・医学賞の授賞が発表された京都大学の山中伸弥教授のiPS細胞に関する解説記事)は多くの場合分量も多く、それを読めば素人でもなんとなく分かったような気になりますが、数学の場合にはそうは行かないことがほとんどです。例えば、今回の望月教授の仕事に関する新聞記事は数学者が読んでもABC予想がどのようなものなのかを正確に知ることができません。

 しかし、それはそれで良いと思います。たとえ正確な内容は分からなくても、あるいは分からないために(?)数学的な内容よりも望月教授の経歴の方に人々の関心が向かってしまったとしても、超難問を少壮の日本人数学者が解いた(らしい)という記事が新聞に掲載されたことにより、多くの人たち、特に若い人たちが数学への関心をもってくれること、それによってもしかしたらそういう若者たちの中から第二第三の望月教授が現れるかもしれないことを考えると、数学者・数学教師にはとても嬉しいことです。最近、テレビのバラエティ番組あるいはクイズ番組でも数学の問題がしばしば取り上げられるようになっていますが、これも同様な意味で歓迎できます。

2.数学好きを育てる教育

 勿論、教育や啓蒙をマスコミだけに任せておいてよいわけがありません。若者の関心を引き付けるような教育は教師に課された重要な責務の一つです。私は早稲田大学教育学部に所属しており、教育学部には自己推薦入試という制度があります。これは、自分の優れた活動実績をアピールする方式の入試制度ですが、数学科志望者に数学が好きになった理由を面接の際に聞いてみると、「中学や高校時代に数学の担任教師から数学の面白さを教えられたから」という答えが多数あります。このことは、ただ単に公式や定理を”覚え”て定型問題の解き方を”習う”授業ではなく、身の回りの具体的なものに始まり、想像するしかない抽象的な対象に至るまで、そこかしこに隠れている美しい数学の真理(それが定理です)を、たとえそれがどんなに簡単なものであったにせよ、”発見する”楽しさを教えてくれたり、美しい真理に対する”鑑賞眼”を養う手助けをしてくれたりした先生に出会うことによって数学が好きになる、ということを示しています。もっと分かり易い例を挙げるなら、例えば恐竜の化石を発見できれば誰でもワクワクしますが、恐竜の化石はどのようなものでどのような価値があるのかが分かる鑑賞眼がないと発見はできません。ほかにも方法はいろいろあるでしょうが、いずれにせよ、数学の楽しさをもっと知ってもらえるような教育をすること、それは私たち数学教師に課された責務なのです。

3.数学とコンピュータサイエンスにおけるノーベル賞

 一方また、天才にしか発見できない真理があることも事実です。皆さんは、フィールズ賞とかチューリング賞って聞いたことがありますか? 数学にはノーベル賞がないことは良く知られていますが、数学界のノーベル賞と言われているのがフィールズ賞です。カナダ人の数学者J.C.フィールズ(John Charles Fields)の提唱によって1936年に作られました。4年に一度開催される国際数学者会議において、顕著な業績をあげた40歳以下の若手の数学者に授与され、これまでに日本人も3人受賞しています。一方、コンピュータサイエンスにもノーベル賞がありませんが、ノーベル賞に匹敵する賞がチューリング賞です。1966年に創設され、コンピュータサイエンスの分野で革新的な功績を残した人物に年に1度授与されています。その名称はコンピュータサイエンスの父とも称される英国の数学者A.M.チューリング(Alan Mathison Turing)に因みます。今年はチューリングの生誕100年にあたり、コンピュータサイエンス関係の様々な国際会議でチューリングに関する講演やイベントが行われました。また、Googleは、チューリングの誕生日にあたる6月23日にロゴをチューリング機械を表すものに変えて注目を集めました(Googleでは、何らかの特別の日には世界中のGoogleのロゴをそれに因むものに変えています)。チューリング機械とは、計算の手順を記述する「アルゴリズム」という概念を数学的に定義するためにチューリングが導入した数学上の機械です。

 チューリングは天才の一人です。望月教授のように日本人にも天才はたくさんいるのに、残念ながら日本人のチューリング賞受賞者はまだいません。若者の皆さん、日本人初のチューリング賞の受賞者あるいは日本人4人目のフィールズ賞の受賞者を目指しませんか?(夢は大きく持ちましょう。)教師の方々、皆さんの周りにもいる才能を見つけて伸ばしてあげましょう。新聞の一面に日本人の数学者やコンピュータサイエンティストの名が踊る日が一日も早く来るように!

守屋 悦朗(もりや・えつろう)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授(教育学部数学科)。財団法人数学オリンピック財団理事。特定非営利活動法人情報オリンピック日本委員会前理事長。

【略歴】
1970年早稲田大学理工学部数学科卒業。電気通信大学計算機学科助手、東京女子大学専任講師・助教授・教授を経て、1995年から早稲田大学教育学部教授。 1990~1991年米国イリノイ大学コンピュータサイエンス学科客員教授、2000年~2001年カナダ・レイクヘッド大学コンピュータサイエンス学科客員教授、ドイツ・カッセル大学数学/情報学部客員教授。2012年ドイツ・カッセル大学電子工学/情報学部客員教授。理学博士。

【専攻分野】
応用数学、理論的コンピュータサイエンス。計算量理論、形式言語・オートマトン理論、アルゴリズム論等を主たるテーマとして研究している。

【著書】
「情報系のための数学-1 『離散数学入門』」、「情報系のための数学-2 『情報・符号・暗号の理論入門』」、「情報系のための数学-3 『例解と演習 離散数学』」、「形式言語とオートマトン」、「コンピュータサイエンスのための離散数学」(以上、サイエンス社)、「数学教育とコンピュータ」(編著、学文社)、「チューリングマシンと計算量の理論」(培風館)など。