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大津 雄一(おおつ・ゆういち)早稲田大学教育・総合科学学術院教授 略歴はこちらから

『平家物語』と近代日本
-創られた「国民叙事詩」-

大津 雄一/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

 『広辞苑』で『平家物語』を引いてみると、「軍記物語。平家一門の栄華とその没落・滅亡を描き、仏教の因果観・無常観を基調として、調子のよい和漢混淆文に対話を交えた散文体の一種の叙事詩」とある。しかし、「散文体の一種の叙事詩」というのは妙な表現である。詩は韻文であって散文ではない。散文体の叙事詩など存在するわけがない。だから「一種の」と断っているのだろう。どうしてこのような説明が辞書にあるのだろうか。

国文学の誕生

 1889年(明治22)、『大日本帝国憲法』が発布され、翌年には選挙が行われて通常議会が招集される。日本は、まがりなりにも近代国家の相貌を整えたのである。一方、文明開化の熱気はすでに失せ、その反動として社会は保守化し、伝統への回帰が強まる。1889年、帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)に国文学科が設立されたのもその一つの表れであり、この時に制度としての国文学は誕生したのである。明治政府の喫緊の課題の一つは均一な国民の養成にあった。その要請に応えて、日本文化の伝統を教育するために国文学は誕生した。翌1890年には、本格的日本文学史の最初のものである、三上参次・高津鍬三郎の『日本文学史』(金港堂)が出版され、博文館は最初の日本古典文学全集である『日本文学全書』24冊を刊行する。

叙事詩願望

 こうして、日本の「正典」(カノン)が生み出され日本文学の伝統が形成されたのだが、一つ困った問題があった。それは日本には西洋のような「詩」がないということである。西洋の文学において最も尊重されるのは詩であった。だから、西洋に引けを取らない詩の創作が急がれた。抒情詩はそれなりに発展していった。しかし、良質の叙事詩はいつまでたっても誕生しなかった。これはゆゆしき問題であった。叙事詩は、古代ギリシャの詩人ホメロスにより吟唱されたという『イーリアス』と『オデュッセイア』に始まる。それらのように、民族の歴史を英雄の活躍を中心に詠う長編の英雄叙事詩こそが、民族の全体性を示すものだったからである。

 1895年の日清戦争における勝利と、それにもかかわらす三国干渉によって遼東半島を放棄せざるをえなかった事実は、日本の国家意識を急速に高揚させることになる。1896年5月、当時強い影響力を持っていた民友社の雑誌「国民之友」は、その社説で、日本の歴史は英雄的出来事や戦闘に満ち、西洋にもない特異な事件もあって、その材料に満ちているのに、叙事詩を作れる人物がいないのは「遺憾千万」であると悲憤慷慨している。今や西洋の列強と肩を並べようとしている日本に叙事詩がないということは、許しがたかったのである。このままでは、いつまでたっても日本は「二等国」のままだと深く憂いたのである。しかしその後も、望まれたような叙事詩は誕生しなかった。

叙事詩『平家物語』の「発見」

 1905年5月、日露講和条約が調印された。実質はともかく、西洋の大国に勝利したという事実は、国家意識をますます高揚させることになる。そのような中、叙事詩が「発見」される。「発見者」の名は生田弘治である。後には長江と名乗って社会評論家として活躍することになる。1906年に東京帝国大学哲学科を卒業した彼は、この年の「帝国文学」3月~5月号に「国民的叙事詩としての平家物語」を発表し、貴族の時代から武士の時代へという民族の変革期を源義経をはじめとする英雄の活躍を通して描き、琵琶に合わせて語られた『平家物語』こそが、日本の国民的叙事詩であると主張したのである。新たに叙事詩が作られる見込みがたたない中で、なんと埋もれていたお宝が過去から「発見」されたのである。この「発見」は大歓迎され、『平家物語』は西洋のそれに劣らない、いやそれ以上の素晴らしい長編叙事詩であると盛んに論じられることになる。

 もちろんこれは「発見」ではなく「捏造」である。『平家物語』は物語であって詩ではない。自明のことである。坪内逍遥も1893年に発表した「美辞論稿」で『平家物語』は叙事詩ではなく「野史」(民間で書かれた歴史)の類であると明確に断じているが、逍遥のように、西洋文学を学んだ人々にとって『平家物語』を叙事詩と認めることはとうていできなかった。だから当然、韻も踏んでいないのにどうして詩と言えるのかという至極まっとうな反論があった。だがその声は、詩は形ではなく心であり、この日本に叙事詩がないなどと言うのはとんでもない「偏見者」であるという愛国の声によってかき消されてしまう。こうして『平家物語』は、明治の末に国家の自尊心を満足させるために国民的叙事詩としてでっちあげられたのである。

 そして、この「捏造」はその後も否定されることはなかった。その結果、『広辞苑』は「散文体の一種の叙事詩」という苦しい説明をせざるをえなくなっているのである。

 古典は、時代の要求によって適宜読み替えられるものである。

大津 雄一(おおつ・ゆういち)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

【略歴】
1954年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。著書に『軍記と王権のイデオロギー』(翰林書房 2005年)、『『平家物語』の再誕―創られた国民叙事詩―』(NHK出版 2013年)、共著に『新編日本古典文学全集 曾我物語』(小学館 2002年)、共編著に『平家物語大事典』(東京書籍 2010年)、などがある。