早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 文化・教育

オピニオン

▼文化・教育

後藤 雄介(ごとう・ゆうすけ) 早稲田大学教育・総合科学学術院教授  略歴はこちらから

「大学生に人気上昇中!何故スペイン語が選ばれる?
 学んでほしい理由──外国語学習の意義」

後藤 雄介/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

 日本の大学における英語以外の外国語、いわゆる「第二外国語」教育の勢力図は、大きく様変わりしつつある。かつて主流であったドイツ語・フランス語に代わって相対的に履修者数を伸ばしているのが、中国語であり、スペイン語である。特に中国語は、いまやほとんどの大学で最大の履修者数を誇っているのではないだろうか。

 スペイン語は、中国語ほどではないにしても、着実にその履修者数を伸ばしてきた。スペイン語ブームのきっかけは、1992年のスペイン・バルセロナでのオリンピック開催だったと言われている。だから、2020年のオリンピック開催都市が東京ではなくスペインの首都マドリードに決まっていたならば、第二のスペイン語ブームが到来したかもしれないのに……とは、一スペイン語教師としての恨み節にすぎないが、スペイン語とは無関係にもっと大局的な観点からしても、日本はオリンピック招致などしている場合ではないだろうと思う。ここ二代の首相らの無根拠な収束・安全宣言とは裏腹に、そもそも私たちは、3.11原発事故後の放射能汚染危機をまったく克服できていないのであるから。

 閑話休題。

 さて、いまや中国語と並んで注目されるようになったスペイン語だが、そもそも学生たちは、何を根拠に第二外国語を選択するのだろうか。想像するに、あらかじめ個別具体的な関心(スペイン語の場合は、サッカーが好き、スペイン絵画に魅せられた、アステカ・インカの古代文明やフォルクローレに興味がある、等々)を持って選択している場合を除けば、学生はまず、彼らのそれまでの常識に照らして「ありきたり」の範囲から選択するタイプと、「ありきたりではない」ものから選ぼうとするタイプに大別される気がする。つまり、前者が伝統的なドイツ語・フランス語の選択者、後者が新興の中国語・スペイン語の選択者、ということになる。

 これに加えて、たいへん残念なことではあるが、「どの語が楽勝か」という安易な基準が介在してくる。その点では、中国語は「漢字だからやさしいにちがいない」、スペイン語については「発音がやさしいらしい」と、学生の憶測を呼んでやまないオーラを勝手に放っているようである(学生はのちに、それぞれの語の学習がそんな甘いものではないことを思い知るのだが)。中国語・スペイン語の選択者がさらに増える所以である。

 では、中国語かスペイン語かの最後の二択は、どのように決定されるのだろうか。それは端的に、地理的な「近さ」であるように思われる。中国語圏は日本からの距離が断然近い。それに対してスペイン語圏──とは、スペインとラテンアメリカ諸国から成る──は、やはり遠い。あまりにも遠すぎる。そのことがおそらく、より多くの学生をして中国語を選択させるのであろう。

 しかしこの「近さ」は、心理的な近接(親しみ)とイコールであるとはかぎらない。だから、中国でひとたびネガティヴな事件や出来事があったり、日本と政治外交上の軋轢が生じたりすると、この中国語「熱」はあっさり冷めてしまうらしい。そのときに、「ありきたりではない」の選択肢から消去法的に残るのがスペイン語である。中国・韓国との対立をむだに煽る現首相の浅はかな言動・行動とも相まって、最近の中国語履修者の減少とスペイン語履修者の(理由の定かではない)増加傾向の相関関係は、どうもそのように説明できそうなのである。

 いずれにしても、スペイン語を学ぼうとする学生が増えること自体は喜ばしいことである。あとは、日本との直接的関係を想像しにくい圧倒的な距離の「遠さ」を克服し、スペイン語を通じてスペイン語圏の姿・魅力をいかに伝えることができるか──まさに私たちスペイン語教師の側の力量が問われているといえる。

 インターネットのおかげで、いまや私たちはじつに多くの海外情報をリアルタイムで入手することが可能になった。その意味では、物理的な「遠さ」はもはや関係ないようにもみえる。しかしながら、日本(であれ、どこであれ)にいながらにして「なんでも知ることができる」といういわば全能感、つまり、必要なことは必要なときに検索(!)すれば済むという感覚によって、遠いものは遠いままに、つまり永遠に「他者」の位置に留め置かれかねない危惧も同時に芽生えつつある。

 「外国語という自明ならざるものに取り組んだという経験そのもの」が「見慣れたはずの〈日本〉を改めて見つめ直す」ことにつながるはずだと、かつて拙著(『語学の西北』、291頁)のなかで書いたことがある。たとえばスペイン語を学ぶことは、これまで知らなかったスペイン語圏を「遠くて近い」存在に引きつけられるのみならず、近くて「あたりまえ」にすぎる自国・自文化の「自明性」を相対化するきっかけになりうることがじつはとても重要であるということを、私たちはこれからも粘り強く学生に対して訴えかけていかなければならないだろう。

 最後に、高等学校における英語以外の外国語教育の現状について以前に調査したことがある。大学と同様、高校でも開講数がもっとも多いのは中国語だが、次いで多いのは……韓国・朝鮮語なのである。隣国である以上、これは当然だろう。それに引き換え、全国大学における韓国・朝鮮語の開講数・教員数のなんと少ないことか。これははっきり言って「異常」、いや「異様」である。大学は高校に学ばなければならない。歴史的交流の深い隣国の言葉や文化を尊重することなくして、どうして自己中心的に「日本を、取り戻す。」などとうそぶけるのだろう。一介のスペイン語教師とて心配になる、昨今の近隣諸国との関係である。

後藤 雄介(ごとう・ゆうすけ)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

【略歴】

東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。青山学院大学文学部勤務を経て、2000年度に着任。現在に至る。1990−91年、ペルー・カトリック大学(Pontificia Universidad Católica del Perú)留学。2011年、ペルー問題研究所(Instituto de Estudios Peruanos)客員研究員。ラテンアメリカ思想文化史専攻。著書に『語学の西北──スペイン語の窓から眺めた南米・日本文化模様』(現代書館)、訳書に『ホセ・マルティ選集③──共生する革命』(共訳、日本経済評論社)、論文に「高等学校におけるスペイン語教育の現状と展望」(共著、『早稲田教育評論』24巻1号)、など。