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笹原 宏之(ささはら・ひろゆき) 早稲田大学社会科学総合学術院教授 略歴はこちらから

地名が伝えるメッセージ

笹原 宏之/早稲田大学社会科学総合学術院教授

 いたましい災害が続く。広島の安佐南区などを襲った土砂災害では、多くの貴い命が犠牲となってしまった。その後、テレビ番組で、「八木(やぎ)」地区の上楽寺(じょうらくじ)は、かつては「蛇落地(じゃらくじ)」、「芦谷(あしや)」は「悪谷(あしだに)」であった、との報道があり、天災か人災かと議論となった。その伝承や文献での出所について、ネット上などで詮索されたものの明確な根拠は見つからなかったようだ。ただ、「ヤギ」も崩壊地名ともいわれる。新潟の三条市の断崖絶壁、諸橋轍次博士が幼少のころに西遊記の舞台だと思ったという八木ヶ鼻が連想される。

 地名で分かる、住むには危険な土地といったこともよく語られるようになってきた。たしかに地名学では、崩壊地名とよばれる一群の地名がある。「ガケ」のほか、「ママ」「ハケ」「ホキ」「ビャク」「ヘツリ」などがそれに当たり、古くに断崖を指す語が方言として残り、さらに化石化して地名の中に残っている。

 それらには、「崖」のほか万葉仮名風の「峨家」「真間」、造字の「垳」、「壗」「墹」「圸」、「𡋽(土偏に赤)」「岾」、「𡵅(山冠に川)」、「山冠に辟(山冠に碎とも)」、「岪」などそれらしい漢字が当てられている(笹原宏之『日本の漢字』、同『国字の位相と展開』)。辞書にない字さえあるが、江戸時代前後の土地に関する意識が字面に示されている。小字一覧の類で見つけて、現地を訪れてみると、その地でもすでに使われなくなっていて、古老しかその地を知らないなんてこともしばしばある。ビャクは、ゴルフ場になって造成されていた。

 そうではなく、たとえば「儘」など普通の漢字で書かれている場合には、発音からは崩壊地名のように感じられても、過去の自然災害とは関係しないケースもある。それには、ごく狭い地域の小地名だったものが広域地名化した場合、そして、たまたま発音が同じだけで、語源・由来が別である場合などもあるからだ。

 たとえば「ママ」と子音が等しい「モモ」も、すべて崩壊地形だといった警告や即断は、落語のような愉快な語源説とは異なるだけに真実味を感じさせそうだ。しかし、なんでもアイヌ語と結びつけようとする由来説と同様、かえって誤解の元になりかねない。植物の「桃」に由来する地名だってもちろんあるわけで、文献に限ることなく、その地のもつ長い歴史を振り返る必要がある。その際には、たとえば西日本ではガケの意のママがほとんど見られないことなど、地域差も考慮すべきである。

 日本の地名は、漢字で書かれる前から口頭語として存在していたものが多いため、漢字の意味から考えると誤解の元となることがある。千葉の谷間にある「飯山満」(はさま)は、駅名にもなっているが、字面からか、飯が山に満ちたからという由緒話も生まれている。

 筆者の専門は漢字なのであえて言うが、地名の古代における語源について知ろうとする場合は、漢字表記にとらわれると、原義を読み取り損ねかねないというのはそのとおりである。ただ、どう努力して検討しても古い語形や語義にまで遡れない地名がすでに多い。一方、史料に残る地名の表記には、漢字が当てられた時点で、それを選んだ人の意識が投影されていることがある。

 安芸高田市の甲田図書館より、地元にしかない貴重な資料を送っていただいた。その地にある小地名「糘地」(すくもじ)の1字目が、その土地ならではの方言漢字である。江戸時代にこの村の庄屋さんが、この地は米の収量が最低で、「すくも(籾殻)作り」に近いからと「すくもじ」と名付け、スクモは「米」の入っていた「家」のようなものだと意味を考えて作った字が「糘」だという話だった。20年近く前に、北大の池田証寿教授がネット上でそのことを記した地元のサイトのURLを示され、確かにアップされていたその話が読めたのだが、かねてよりリンク切れとなっている。先日、甲田図書館に尋ねたところ、そのネット情報の元になった紙の資料は80年代半ばのもので、聴き取りに携わった関係者もすでに亡くなられたそうだ。このように地名の伝承は、中央で読めるメディアには収めきれてはおらず、すぐに埋没したり消え去ったりしてしまう恐れが常にある。

名取市閖上にて

 大地震と大津波によって甚大な被害を受けた宮城県の閖上(ゆりあげ)を、その災禍の数年前に歩いたことがあった。「閖」という宮城にしかない方言漢字の使用状況を調べるためで、途中で取った昼食は、魚介の幸が盛りつけられた「閖上御膳」という一品だった。この字は、仙台を含めた地元一帯で子供の名前にまで使われるほど愛着を持たれており、藩主(伊達政宗とも)が門の中に海水が見えた景色から作った、といった伝承が江戸時代以降の複数の文献に残る。

観智院本『類聚名義抄』法下より。この「谷」は「俗」の略字で、「力到反」は「ロウ」という音読みを示す。

 のどかな話として広まっているのだが、この字は今から1000年ほど前の中国の字書『龍龕手鏡』に現れる。音読み(俗音)だけが「澇(さんずい+勞)」(労 ロウ)だと記されている。この「澇(さんずい+勞)」という漢字は、大波という意味をもつ。この辞書では、しばしば音読みを注記する形式で字義をも表した。「閖」は門に水が押し寄せることを表そうとして作られた会意文字だった、という可能性が感じられる。この字は、早い時期に日本に伝わり、鎌倉時代の観智院本『類聚名義抄』に引き継がれて掲載され、そこでははっきりと「閖」は「澇(さんずい+勞)」の俗字として位置づけられた。そこからさらに他の字書に転記がなされていった(なお、「閖」は別の意味でもしばしば文献上に現れたのだが、それらは個別に作られた会意文字の字体が一致したに過ぎない)。

 この「閖」の字義は、偶然に過ぎないのかもしれないが、そこに869年に貞観大地震で被災された人々やそれを語り継いだ先人のメッセージが込められていたのではないか、と気になっている。かの大震災の後には、仙台の浪分(なみわけ)神社の名前、小名浜、女川の男波に関連するオナという発音の由来などが話題となった。江戸時代に雲仙普賢岳の大噴火(島原大変肥後迷惑)に関する古文書には、後世の備えのために惨状を記録をすると書かれていたものの、1990年の火砕流の前に、活かされることがなかったそうだ。

 埼玉県八潮市の「垳(がけ)」も、地元ではガケができて垳川に土が流されて行ったことからこの方言漢字ができたと信じられている。ここでは、地勢の記憶を伝え、愛着が生まれているこの地名を保存するために、熱心な活動が行われているが、市による現代風の由来の乏しい新地名に置き換えようとする動きに直面している。

八潮市垳にて

 千葉県にある干潟で有名な「谷津(やつ)」は、谷や低湿地を意味するこの辺りの方言を漢字で示した地名で、津田沼の「津」もこの地名から1字を取ったものである。つまり、冒頭の広島の「谷」を「や」と関東風に読ませる地名は、古くからの表記ないし読みではないことが分かる。千葉の「谷津」は、江戸時代には谷津村であったが、その谷津の一部がマンション開発業者の付けた商品名「奏の杜」に、地元住民の反対を押し切って変えられてしまった。これで大地の性質を示す情報がまた一つ失われた。一度変わった地名を元に戻すことが極めて難しいことは、各地で後悔と反省をもって語られている。

 私たちは地球上に居を構えている。地球は豊かな自然の恵みを与えてくれ、過去から人はそこで生活を営んできた。そこは、猛威を秘めてもいる。そうした情報をタイムカプセルのようにして伝える大地の名を、安易に変えることの意味を考えないといけない。時代とともに変わる物事は多数あるが、先人の知恵は現代人に豊かな教養を与えてくれる。また訪れるであろう将来の不測の事態にも備えて、先人によって地名に託されたメッセージを、研究者もそこに暮らす人々も、発音からも漢字からも正確な読み解きに挑み続けなくてはならない。

笹原 宏之(ささはら・ひろゆき)/早稲田大学社会科学総合学術院教授

【略歴】
1965年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院文学研究科では日本語学を専攻。博士(文学)(早稲田大学)。古代の金石文から現在のインターネットに至る各種の資料を対象に、さまざまな漢字・文字・表記について調査研究する。経済産業省の「JIS漢字」、法務省法制審議会の「人名用漢字」、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改正にも携わる。文化女子大学専任講師、国立国語研究所主任研究官、早稲田大学社会科学総合学術院助教授などを経て、2007年より早稲田大学社会科学総合学術院教授。著書・論文に、『日本の漢字』(岩波新書 2006年1月)、『訓読みのはなし 漢字文化と日本語』(角川ソフィア文庫  2014年4月)、『漢字の歴史』(ちくまプリマー選書 2014年9月)などがあり、『国字の位相と展開』(三省堂 2007年3月)により、 第35回金田一京助博士記念賞を受賞。