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田村 正勝(たむら・まさかつ) 早稲田大学社会科学総合学術院教授 略歴はこちらから

早稲田大学の使命
学の独立と大学人の協働

田村 正勝/早稲田大学社会科学総合学術院教授

(一)建学の精神「学の独立」
アメリカ従属的な政策

 早稲田大学の建学の精神は「学の独立」である。大隈侯は「学問の独立が国の独立に繋がる」と主張されたが、これは現在でも妥当する格言である。とくに最近の問題の多い政策が、その重要さを示している。

 1993年の「宮沢・クリントン会談」を契機に、94年からアメリカは毎年、日本政府に広範な「年次改革要望書」を提出し、日本政府はこれを忠実に実行してきた。たとえば郵政の民営化、金融グローバル化、株価の時価評価、特定機密保護法など、いずれもこの要求に沿った政策である。

 あの「建築の偽装問題」も、年次改革要望書に基づいて「建築基準法」を変え、その基準を「様式基準」から「性能基準」に変えたことに由来する。当面の「医療改革」も「TPP」もアメリカの要望書に沿っているし、また「法制度」の変更による「ロースクール」の設立も同様であった。

 他方、先進国で最悪の日本の財政赤字も、日米構造協議に関連している。アメリカは日本の輸出を抑えるべく、日本に対して91年には10年間で430兆円の、95年には630兆円の公共投資を要求し、日本政府はこれにかなり応じてきた。

学問の反省

 なぜ日本政府はこれほどまでに、アメリカの属国的な政策を採るのか。その大きな理由の一つが「学の独立」ができていないことである。現在の財界、産業界のトップの人たち、あるいは官僚や政治家、政府の審議会メンバー、大学の教員、マスコミ関係者たちの多くが、アメリカ流のエコノミクスをはじめ米国流の実学を勉強し、ほとんどそれ一辺倒の人たちが多い。

 したがってアメリカのいう「グローバル・スタンダード」は「アメリカン・スタンダード」にすぎないのに、それを「グローバル・スタンダード」として受け入れてきた。ここに「学の独立が国の独立に繋がる」という格言は、逆説的に如実に現実的となっている。外国の学問をただ受け売りするのではなく、それらを批判的に受け入れるべきであるが、その姿勢に欠けている。

(二)社会の要請と自己の陶冶
カオスの光となる学問

 この「学の独立」は徹底した真理の探究であり、「学問の自由」の本質である。後者を憲法に謳うのは、時代におもねることのない徹底した真理の探究を保障するためである。いかにグローバル化が進展しようと、また企業をはじめ社会制度が変わろうと、否、社会がそのように翩々きわまりないがゆえに、社会自身が「変わらぬ普遍的な真理」を、本来的に大学に要請している。

 人間の思考は、生活の中の具体的な諸問題を考えざるを得ないが、他方で形而上的思考など「普遍的な真理」に思いを馳せる。中世末の哲学者のN.クザーヌスは、思考のこのような徘徊を「discursus」と呼んだが、これが論説や討論を意味する英語の「discourse」の語源である。したがって、たしかに「実学」も必要であるが、他方で社会は実学には求めることができない「普遍的な真理」を求めている。

 この「普遍的な真理の探究」こそが、来し方を反省し行く末を見きわめ、社会自身の意味付けと方向を指し示しうる「一条の光」となる。これに欠ける学問は、たとえそれがグローバル化や合理化あるいは企業利益に適応しようと、所詮は時代の激流に飲み込まれる根無し草にすぎない。

広義の学問と自己の陶冶

 ところで近代の社会科学はイギリスの「道徳哲学」、フランスの「社会哲学」、ドイツの「法哲学」などの「総合的学問」に由来するが、「近代的合理主義」が、これらを「社会諸科学」に分け、さらに細分化し、自然科学と同様に「専門特化」させた。そしてそれぞれの分野において「最適化」を目指している。しかしこれらの最適化が集合すると、自然環境の破壊に象徴されるように「合成の誤謬」に陥る。

 70年代の初めにK.ボールディングは「宇宙船地球号」の沈没を危惧して、「悪魔は部分の最適化だ」と喝破した。また、それ以前にK.ヤスパースは、学問を「専門特化の狭義の学問」と「広義の学問」とに分けて、前者は断片的体系にすぎず、人間の「陶冶」には役立たないゆえ、広義の学問が不可欠だと指摘した。それは「普遍的な理念」に基づく「広義の学問」にほかならない。それゆえ専門特化された学問も、常にこの理念を念頭に置くべきである。

 さて今日の多くの学生は、大学の大衆化にともない就職のパスポート、将来の成功のパスポートを大学に求めている。しかし、より根源的には「有意義な人生とは」という問いを発し、そして「自己の陶冶」のために入学したはずだ。この自覚がない学生には、これを自覚させるべきである。そしてこれに応えられる「普遍的な真理」を探究することこそ大学の使命である。早稲田大学の「学の独立」の焦点も、ここに絞られ、そのための「学生と教員および職員の三位一体の共同体」を持続することこそが、早稲田大学の使命である。

田村 正勝(たむら・まさかつ)/早稲田大学社会科学総合学術院教授
経済社会学会常務理事(元会長)、日本経済政策学会会員(元常務理事)、社団法人「日本経済協会」理事長

【略歴】
1945年 松本市生まれ 長野県立松本深志高校卒業
1968年 早稲田大学第一政治経済学部卒業
1974年 同大学院経済学研究課博士課程修了
1972年 早稲田大学社会科学部助手
1982年 早稲田大学教授(1992-94年 社会科学部長)
1984年~86年 ボン大学「客員研究員」

【専攻】
経済政策、社会哲学

【学位・資格】
経済学博士

【主要著書】
『経済社会学研究――近代社会の論理を超えて』(1977、早大出版)
『現代の経済社会体制――両体制の行方と近代の超克』(1980、1990年、新評論)
『世界経済動態論――ナショナリズム、ユニオニズム、グローバリズム』(1983年、早大学出版)
『社会科学のための哲学』(1986年、行人社)
『日本経済の新展開――人間復興の経済・余暇論』(1989年、新評論)
『新時代の社会哲学――近代的パラダイムの転換』(1995、2000年、早大出版)
『世界システム「ゆらぎ」の構造/EU・東アジア・世界経済』(共著1998年、早大出版)
『見える自然と見えない自然――環境保護・自然の権利・自然哲学』(2001年、早大出版)
『現代社会とボランティア』(共著、2001年、ミネルヴァ書房)
『甦るコミュニティ――哲学と社会科学の対話』(編著 文真堂、2003年)
『社会科学原論講義』(早稲田大学出版、2007年)
『ボランティア論――共生の理念と実践』(編著、ミネルヴァ書房、2009年)
『社会哲学講義――近代文明の転生に向けて』(ミネルヴァ書房、2012年)
『半年ごとの景気見通し』(ブックレット)(社団法人「日本経済財協会」)1994年~2015年