早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 文化・教育

オピニオン

▼文化・教育

草原 真知子(くさはら・まちこ)早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

写し絵と幻燈 — 映像の考古学

草原 真知子/早稲田大学文学学術院教授

 プロジェクション・マッピングが人気だ。建物などの立体形状に合わせて映像を投影するもので、日本では2012年12月の東京駅での上映が契機になった。技術自体は以前からあり、この流行はプロジェクターの性能の飛躍的な向上に負うところが大きいが、ネットでふんだんに映像が見られる時代、屋外の大型映像というスペクタクル性と同時にその場に行かなければ見られないという特別さ、「いま、ここ」性が人々を引きつけるのではないだろうか。

写し絵(劇団みんわ座)とファンタスマゴリアの比較

 プロジェクションの歴史は古い。19世紀末に映画が発明されたとき、エジソンのキネトスコープが一人で箱の中を覗き込むピープショー型の装置だったのに対してリュミエール兄弟のシネマトグラフはスクリーンに映写し、これが現在の映画の始まりとなったが、この映写機は既に広く普及していた大型の幻燈機を改良したものだった。19世紀の主要な映像メディアだった幻燈は、映画にその地位を奪われた後も戦後まで学校や家庭で用いられ、映画館でも幻燈スライドを予告や広告などに併用していた。

 幻燈の歴史は17世紀半ばにまで遡る。幻燈というと静止画のイメージがあるが、実際は早くからガラスに描いた絵をいろいろな仕掛で動かす「動く絵」が工夫された。フランス革命直後にはマーラーなど革命の犠牲者の亡霊や悪魔を時には寺院の廃墟を舞台に効果音付きで暗闇に映しだすファンタスマゴリアがパリやロンドンで大変な評判となった。19世紀、幻燈は広く普及し、娯楽や教育用に色鮮やかなスライドが多く作られ、劇場ではプロのショーマンがピアノ演奏をバックに二段重ねや三段重ねの大型幻燈機とライムライトなどの強力な光源を用いて華やかな映像を繰り出し、弁舌を振るった。幻燈はニュース速報や広告幻燈というビジネスにも使われ、幻燈機を馬車に積んで建物の壁に投影することもあった。フランスの作家・風刺画家ロビダはあたかもテレビやスカイプやプロジェクションマッピングが日常に浸透したような20世紀の想像図を映画誕生前夜の1883年に描いている。

江戸期の種板 大阪天神祭

「江戸の花名勝会」シリーズより、番町皿屋敷の写し絵(江戸期、部分)

 日本に幻燈が渡来したのは18世紀後半らしく手品の本「天狗通」(1779)は大阪で「影絵眼鏡」が流行と記している。江戸で幻燈の見世物を見て新たな応用を思いついたのは、着物の上絵師(デザイナー)で趣味で落語も嗜む亀屋熊吉だった。ガラス片に得意の絵を描き、それに動きをつける工夫を凝らし、語りと音曲つきで障子の陰から仕掛を見せずに投影したところ大変な評判となった。熊吉改め都楽による神楽坂での写し絵初演は1803年。やはりリアプロジェクション(背面投影)だったファンタスマゴリアからわずか4年後である。障子を使った影絵遊びからヒントを得たのか、あるいは蘭医も交じる当時の江戸の趣味人サークルではファンタスマゴリアの噂も出たのだろうか。幽霊の出る怪談が人気だったのも似ている。今日のホラー映画に至るまで、映像に人々が期待するものには共通項があるのかもしれない。

 しかし写し絵の方向性は西欧とは異なる。文楽の人形や生身の歌舞伎俳優の代わりに映像を用いてお馴染みの演目を語りと音曲付きで見せるというスタンスだけではない。据え置き型の幻燈機一台を一人が扱ってスクリーン一杯に投影する西欧の幻燈に対し、写し絵では風呂と呼ばれる木製で軽いモバイルな幻燈機を複数組み合わせてワイドな画面を構成する。主要人物はそれぞれの遣い手が胸元に抱えた幻燈機を微妙にあるいは自分の身体ごとダイナミックに動かして演じる。精密化・高機能化を進めた西欧の幻燈が映画の基礎を作ったのに対して、技とコラボレーションを洗練させた日本の写し絵は今の言葉でいうリアルタイム・キャラクターアニメーションのアナログな実現であり、ガラス製造や金属加工技術の未発達という技術的な条件を回避した合理的な手法だった。幻燈という西欧発祥の技術が日本で辿った独自の展開は、技術と文化・社会との相互関係を示すきわめて興味深い事例でもある。

中島待乳 酒の害を説く幻燈スライドの一枚「酒飲みの見た世界」(明治期)

 その後、明治政府は文明開化の一環として医学や衛生といった新時代の知識を伝えるべく幻燈を新たに導入した。民間では民権運動や養蚕業者の売り込みなどに「大幻燈会」が開かれて今日のプレゼンテーション同様に映像や文字スライドが使われたが、次第に幻燈は「西洋写し絵」だという理解が広まり、日露戦争の頃から金属製の小型の幻燈が盛んに生産されるようになると写し絵の幽霊たちは幻燈機へと引っ越していき、幻燈は家庭で子どもたちが楽しむ映像装置となった。

 ディジタル以前に豊かに花開いていた大衆映像文化を知ることは、私たちが今なぜディジタル映像が創り出すイリュージョンに惹かれるのか、それが今後どのような方向に展開するのか考えるための新たな視点を提供する。現在早稲田大学演劇博物館で開催中の「幻燈展 — プロジェクション・メディアの考古学」、それに連動して写し絵発祥の地である神楽坂で7月5日夜に行われる「七夕落語と写し絵上映会」は、江戸後期から明治初期の庶民が映像に何を見ていたのか追体験する貴重な機会になるだろう。

参考文献

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 「幻燈スライドの博物誌」青弓社 2015
岩本憲児 「幻燈の世紀」森話社 2001
タイモン・スクリーチ 「大江戸視覚革命 ー 十八世紀日本の西洋科学と民衆文化」 作品社 1998
小林源次郎 「写し絵」中央大学出版部 1987
The Magic Lantern Society "Encyclopedia of the Magic Lantern" 2001
Laurent Mannoni, Donata Pesenti Campagnoni "Lanterne magique et film peint : 400 ans de cinéma" Editions de la Martinière, 2009

参考URL

草原 真知子(くさはら・まちこ)/早稲田大学文学学術院教授

【略歴】
東京生まれ。1980年代前半からCG,メディアアートのキュレーションと批評で国際的に活動。筑波科学博、名古屋デザイン博、神戸みらい体験博、東京都写真美術館、NTT/ICCなどの展示のほか文化庁メディア芸術祭、広島国際アニメーションフェスティバル、SIGGRAPH, Ars Electronica,ISEAなど多くの国際公募展の審査に関わる。メディア技術と芸術、文化、社会との相関関係を研究テーマに、デジタル情報社会におけるアートの新たな展開と同時に写し絵、パノラマなど映像文化の歴史を掘り起こす。東京工芸大学、神戸大学、UCLAを経て現職。工学博士(東京大学)。論文・論考はThe Robot in the Garden(MIT Press, 2000), Panorama Phenomenon (Mesdag Panorama, 2006),MediaArtHistories (MIT Press, 2007),戦争のある暮らし(水声社、2008), Media Archaeology (UC Press, 2011), Coded Culture(Springer, 2011)、幻燈スライドの博物誌(青弓社、2015)などに収録。