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内藤 明(ないとう・あきら)早稲田大学社会科学総合学術院教授  略歴はこちらから

歴史を負い、時代と共に進化する
短歌のゆくえ

内藤 明/早稲田大学社会科学総合学術院教授

今日は何の日?

 今日7月6日は何の日かご存じだろうか。――答えは「サラダ記念日」である。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日  俵 万智

 短歌作者の創作上の記念日である。1987年に出版された俵の『サラダ記念日』は、歌集としては異例ともいえるミリオンセラーとなり、翌年には現代歌人協会賞を受賞した。会話体を導入した軽妙な口語文体で、時代に即しながら、恋する女性の一コマをうたった歌は、いままで古めかしくお堅いものとされがちだった短歌を、若い世代にも身近なものにした。毀誉褒貶はあったが、広い層にわたっての短歌ブームが起こり、「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」といった映画まで作られた。『サラダ記念日』の短歌は、今では国語の教科書にも載せられている。

20世紀の短歌

 57577という定型をもつ短歌(和歌)は、長い歴史と伝統を持つが、それゆえマンネリにも陥りやすい。明治以来の日本の近代化は、いくたびかの短歌否定論、短歌滅亡論を生んだが、それに対峙しながら従来の歌の革新もなされてきた。

その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 与謝野晶子
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ 石川 啄木
ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ 斎藤茂吉

 晶子の一首は、若い女性の身体ごとの解放を挑発的なまでに歌い上げ、啄木の一首は屈折した自意識を都市の日常生活の中にとらえ、茂吉の一首は西欧絵画を取り込みながら幼い日の名状しがたい衝動がうたわれている。20世紀初頭から展開する近代短歌は、日本の社会と言葉の変化と関わりながら、四季の自然や恋を中心にうたわれてきた和歌の歴史に大きな変換をもたらした。近代になって〈和歌〉は、〈短歌〉として蘇生したといっていい。
 また、戦後にあっては、近代短歌に挑戦するかのような前衛短歌が興った。

突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼 塚本 邦雄

 イメージ化された比喩をとおして、戦争のむごたらしい現実をリアルに描き出そうとする。短歌の文体に揺さぶりをかけながら、鋭い批評性がもたらされた。20世紀の短歌史は、和歌史の先に、緊張をはらみながら新たな地平を切り開いてきたといえるだろう。

口語短歌の浸透

 俵の「サラダ記念日」は、こういった否定をバネにした革新というより、時代の気分・感覚や生活感覚の変化に根ざしたものだった。後にバブル景気と言われた時代がその背後にあるが(村上春樹の『ノルウェイの森』が刊行されたのも同年)、『サラダ記念日』の世界は、俵が日本語と戦後日本社会の変容を映した、まさしく記念碑的なものであった。そして当時ライトヴァースと言われた会話体を交えた短歌の口語表現は、バーチャルな時代のありようをとらえ、サブカルチャーとされていたものを取り込みながら、若い世代の短歌の一つの基調をなしていく。

子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」 穂村 弘
わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる 永井祐

 穂村弘(『シンジケート』1990年刊)から永井祐(『日本の中でたのしく暮らす』2012年刊)まで二十年以上が経つ。口語文体はさらに日常化してあらたな批評性も育んでいくが、世紀の変わり目を挟んだこの時期、口語的発想や表現は、伝統的な文語定型による作者の中にも入り込んで、短歌の幅をさまざまに広げていった。

短歌のゆくえ

 2011年に東日本大震災が起こる。仙台に住んでいた俵万智は、震災直後に小さな息子を連れて石垣島に移り住むが、2013年に刊行された『オレがマリオ』は、震災以後の島での生活がうたわれている。

「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ  俵 万智

 震災と原発事故は、この列島の自然と文明のありようを根源から問い直すところとなったが、短歌もまた直接、間接にこの現実と関わっていく。和歌・短歌は、良くも悪しくも、千数百年の歴史を負っている。さまざまな矛盾を露呈していく現代社会の中で、また戦後70年を経て戦争の記憶が忘れられていく現在にあって、この小詩形がその力を発揮しえるのか。そして、自然と人間の存在の深層にあるものに触れつつ、グローバル化していく現代とどのようにコミットしていけるのか、短歌にとってその課題は多い。

 今日、『サラダ記念日』のようなブームはないが、短歌はさまざまな層に受け入れられ、また大学生の短歌会も活発な活動が見られ、そこから新たな作者が出現している。今年の現代歌人協会賞は、早稲田短歌会出身の服部真里子『行け広野へ』が受賞した。口語を基調としながら、短歌の可能性を広げようとするさまざまな文体と世界の創出の試みが印象的である。人間と文明の危機が深まっていく現在、言葉の歴史を積み重ねてきた短歌が開いていくものに、注目していきたい。

音もなく道に降る雪眼窩とは神の親指の痕だというね  服部真里子

内藤 明(ないとう・あきら)/早稲田大学社会科学総合学術院教授

【略歴】
1954年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士課程後期退学。日本文学専攻。関東学院女子短期大学助教授を経て現職。著書に『うたの生成・歌のゆくえ』(成文堂)、歌集に『斧と勾玉』(砂子屋書房)ほか。