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池上 摩希子(いけがみ・まきこ)早稲田大学国際学術院教授  略歴はこちらから

目標は「日本語が上手な子ども」を育てることなのか
-外国人児童生徒に対する日本語教育の現状と課題-

池上 摩希子/早稲田大学国際学術院教授

 日本の学校教育現場には、様々な背景事情から日本語が十分ではない子どもたちが参入してきています。80年代には中国帰国者の子どもたちや海外赴任から帰国した邦人の子どもたちが見られるようになりました。1990年の「出入国管理及び難民認定法」の改正後には、中南米からの日系人の子どもたちも増えました。それ以前からも、多様な言語・文化背景を持つ子どもたちは学校現場に存在していたのですが、増加が認知を進め、「児童生徒に対する日本語教育」が課題だと言われるようになったのです。2014年の文部科学省の調査※1 によれば、日本語指導が必要な児童生徒数は3万人に達しようとしています。

 その子どもたちの抱えさせられている課題も、多岐に渡っています。日本語環境に参入したばかりで,日常のやりとりも日本語では難しい子どもたちには、なんとか意思疎通が図れるようにと初期指導が求められます。しかし、滞日期間が長くなるにつれ、子どもたちは日常会話には問題がないようにみえても、教科内容の理解や日本語の読み書きに課題を残すことがあります。幼少期に来日したり日本で複言語の家庭で生育したりした子どもたちにも、同様の課題が見られることもあります。母語など日本語以外の言語をどう位置づけ、伸ばしていけるかも容易なことではありません。

 こうしたなか、法改正が行われたことで、2014年度より学校における日本語教育は「特別の教育課程」として実施できるようになりました※2 。これは、子どもたちの学習権と言語権の観点からも意義がある改革といえます。学校における日本語の指導は在籍学級から子どもを「取り出し」て行われることが多く、正規課程外の課外活動として扱われてきました。しかし、計画を申請し承認を受ければ「日本語の能力に応じた特別の指導」が正式な学習として認められるようになったのです。もちろん、どのような体制を組織できるか、指導や評価の方法や内容はどうするか、具体的には各学校現場が担っていくしかありません。課題が残されているのが現状でしょう。

 特に、指導者に関しては「教員免許を有する教員」が中心となり、計画作成、指導そして学習評価を行うとされています。補助者を置いて日本語や教科指導の補助、母語による支援も行える、となってはいますが、日本語教育の経験がない先生方からは不安の声も聞かれます。「日本語ができなければ学習に参加できないのでは」、「日本語も母語も曖昧で、どんな指導を?」、「5年生なのに3年生の漢字もできない、どうやったら追いつけるか」、「中2で来日して、受験に対応できるのか」等々…。教員を対象とした日本語教育に関する研修会も開催され、私も講師として参加することがありますが、そこでも、こうした戸惑いや不安が一気に解決、解消することはないようです。

 研修会では、第二言語習得論やバイリンガリズムに関する講義のみならず、より実践的な「日本語の教え方」や「教科学習につながる日本語指導の方法」も指導してほしいとされます。ワークショップ形式を取り入れながら先生方とお話をし、その「困り感」の元を伺っていくうちに、私のほうから必ず投げかける問いが固まってきました。それは、

◆日本語を覚えて、日本語が上手になれば、全ての問題が解決するのでしょうか。

というものでした

 ある小学校に、日本語が十分ではない児童を取り出して、算数を教える教室があります。算数科は系統学習という点が顕著で、キャッチアップが求められやすく、かつ、「数と計算」など言語の負担が少なく結果が出やすい領域では日本語が十分ではなくても達成感が得やすいという特徴があります。そこで、算数の学習を通して、算数の力も日本語の力も伸ばすという試みを続けているのですが、私が関わりだした当初、指導する先生方の悩みは、次のようなものが多くありました。「教室に来ても座っていられない」「母語でおしゃべりばかり」「週に1、2回の支援では追いつかない」。例えば、「座っていられない」には、「座っていなくてもいいのでは」と返しました。その児童は在籍学級では、何が起きているかほとんど理解できない時間があるなか、一日中じっと座っている、算数教室に来たときは、走ったり寝転がったりしてもいいんじゃないか、ひとしきり転がった後に座ればいいのでは、と。

 月一回の話し合いでも続けていくうちに、徐々に、先生方も子どもたちの「背景」を共有して対応を模索するようになりました。2年目には「何がわからないのかより、なぜわからないのかが大事」、4年目には「自分がどう教えるかに意識が行きがちだが、子どもの立場ではどうかを考えよう」といった発言が多く聞かれ、子どもたちが変わる姿に接して、先生方も自信をつけていったことがわかりました。「初めは、今までのやり方が通用しないと不安でした。今は、内容を教え込むのではないとわかります。これは日本人の子でも外国人の子でも同じですね」とおっしゃる先生は、でも九九ができないとね、と反復練習は欠かしませんが、始める前にはたっぷりと児童に話しかけるようになったそうです。

 子どもにとっても先生にとっても、日本語を覚えることは大切です。しかし、より重要なのは、「日本語が上手になる⇒問題が解決する」という順次性に固まらないことです。仮名の導入の仕方や必要な語彙の練習方法といったスキルも日本語教育の一部ではありますが、それは目的にも目標にもなりません。先生や友だちとコミュニケーションをしながら学習に参加しながら日本語も覚えられる、となるためには、日本語教育の経験はなくても教員としての経験をベースに子どもと関わっていける、と先生が実感する必要があると思います。問いにもどれば、問題は解決したほうがいい、でも、とにかく日本語を覚えて、としていると問題は残ったまま、なのです。

 算数教室の先生も、どうすれば日本語を覚えさせられるか、から意識を広げていくには時間が必要でした。児童生徒に対する日本語教育の課題を解決に導くには、効率を求めても効果的ではありません。教員養成の段階からアプローチしていく必要もあるでしょう。児童生徒に対する日本語教育の目標は「日本語が上手な子ども」を育てることではなく、算数教室で先生が気づいた「日本人の子も外国人の子も」という姿勢を具現化することです。それは、児童生徒に対する日本語教育がすべての子どもに対する教育として広がっていくことを示しています。

※1 「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成26年度)」 の結果について
※2 学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の施行について(通知)

池上 摩希子(いけがみ・まきこ)/早稲田大学国際学術院教授

【略歴】
お茶ノ水女子大学日本言語文化専攻修了(修士課程)。
中国帰国者定着促進センター教務課日本語講師を経て、2005年早稲田大学大学院日本語教育研究科准教授、2010年現職。

【児童生徒対象の日本語教育関連の著書】
『外国人児童生徒の学びを創る授業実践-「ことばと教科の力」を育む浜松の取り組み-』(共編著、2015年、くろしお出版),『子どもにほんご宝島』(共著、2009年、アスク出版),『「移動する子どもたち」のことばの教育を創造する‐ESL教育とJSL教育の共振』(共著、2009年、ココ出版),『JSL「算数科」の授業づくり』・『JSL「国語科」の授業づくり』(共著、2005年、スリーエーネットワーク)