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馬場 匡浩(ばば・まさひろ)早稲田大学文学学術院助教  略歴はこちらから

エジプト文明発祥の地を発掘する

馬場 匡浩/早稲田大学文学学術院助教

エジプト文明の魅力

 「エジプト文明」と言えば、ピラミッド、スフィンクス、ツタンカーメンをすぐに思い浮かべるでしょう。それは、メディアに頻出するからだけでなく、それらがこの文明を最もよく表しているからです。古代エジプトの特徴はまさに、ギザの3大ピラミッドに代表される巨大な建造物の壮大さと、ツタンカーメンの豪華絢爛な秘宝や荘厳な墓の壁画にみられる繊細さにあります。それが、我々を魅了するのです。エジプト文明がこうした文化を育んできた理由は、ファラオの存在にほかなりません。ファラオは中央集権国家の頂点に君臨し、その絶大な力が、見る者に畏怖の感覚をも与える巨大建造物を造らせ、彼らの宮廷文化が華やかで精巧な工芸技術を醸成させました。歴代のファラオたちは、それを継承し、エジプト文明をおよそ3000年間も継続させたのだから驚きです。

エジプト文明を表象するピラミッド(ギザ)

 私もそこに魅了されエジプト考古学を志しました。しかし現在は、ファラオが誕生する直前の時代を研究対象としています。なぜなら、これほど稀有な文明がいかにして形成されたのかという、ファラオを頂点とする国家の形成過程に大きな関心を抱くようになったからです。

文明の発祥地:ヒエラコンポリス遺跡

ヒエラコンポリス遺跡で発見された最古の人工ミイラ ©Hierakonpolis Expedition

 古代エジプトの王朝時代は、ナルメルという1人の王がナイル川下流域を支配下に収めた紀元前3000年頃にスタートします。それ以前を先王朝時代(紀元前4000年紀)と呼び、国家形成に向かって社会の複雑化が加速する時期にあたります。この時代において最大規模を誇るのがヒエラコンポリス遺跡です。エジプト南部に位置するこの遺跡は、今ではど田舎な場所ですが、かつては政治、経済、宗教の中心地であり、王朝時代の基礎を築いたいわばエジプト文明の起源とされます。ナルメル王の出身地とも言われています。

 ヒエラコンポリス遺跡の調査は100年以上の歴史を有しますが、現在は大英博物館によって発掘が進められ、歴史を塗り替える発見が相次いでいます。ここでは、身分差による墓地のすみ分けがみられ、どこよりも早く支配者が台頭していたのです。支配者の墓は長軸6mの規模を誇り、その周囲に様々な付属施設を伴う構造は、後のピラミッド複合体を彷彿とさせます。また、エジプトで最古となるミイラ処理の痕跡が発見されています。樹脂に浸した亜麻布で腕や顔の周りを覆った遺体や、内蔵を一度取り出して同じくミイラ樹脂の亜麻布で巻いて腹部に戻した例もあります。従来ミイラは、極度に乾燥した砂漠に遺体を埋葬したことでできた自然のミイラがその起源とされてきましたが、当初から人工的に処理をしていたと考えられます。

世界最古のビール工房を発見

発見されたビール工房

 私は、2003年にヒエラコンポリスの調査メンバーに加わりました。これまで分担発掘として遺跡の一角で調査を進め、ここでも新発見が続いています。最初に見つかったのは、土器焼成の遺構でした。この時代は構造的な窯はまだ存在せず、土器の焼き方は不明なままでした。発見された焼成址は、地面に掘った穴に土器を並べ全体を粘土と土器片でパッキングするいわゆる「覆い焼き」であったことを突き止めました。そしてそのとなりで、ビール醸造址がほぼ完全な状態で発見されました。壁体で囲まれた中に、少なくとも5つの大甕が並んでいます。大甕は直径50〜85cm程で、外から燃料を焚いて内部を加熱する構造となっています。実際、内部には液体が熱せられて凝固した黒色で光沢ある残滓(ざんし)が残っていました。

 ここがビール醸造の場であることは、科学的な分析にもとづいています。アサヒグループ学術振興財団の助成を受けて行ったビール残滓(ざんし)の植物考古学的分析によると、原料には麦芽のエンマーコムギが用いられ、発酵に必要なイースト菌も検出されました。また、デンプン粒はゼラチン状に膠化しています。このことは麦芽が水とともに熱せられたことを物語っており、それはつまりビール工程における糖化(麦汁づくり)が大甕で行われていたこと示しています。王朝時代のビールもそうであるように、当時のビールにはホップの添加もなく、たいした濾過もしないため、芳香と苦味のある喉ごしスッキリなものではありません。ムギ味の飲むヨーグルトといった感じでしょう。

麦汁づくりの施設(大甕)

 この醸造址の年代は、炭素年代測定と出土遺物から、紀元前3800〜3600年頃と判明しました。これまでのところ世界最古のビール工房となります。重要な点はその古さだけではありません。5つの大甕が同時に稼働したら麦汁の生産量は一度に325リットルにもなります。この量は家庭レベルの消費量をはるかに超え、大量生産を可能とする専業的なビール職人集団の存在が想起さます。ではその消費地はどこだったのでしょうか。ビール醸造址が先述した支配者の墓地に隣接することから、彼らの副葬品または墓前での葬儀・祝宴のために生産していたと考えられます。アルコール飲料であることからも後者の儀礼的な意味合いが強く、ビール工房を造らせ、職人集団を管理していたのも支配者たちであったのでしょう。つまり、こうしたビール生産も支配者の台頭という複雑化社会の中で誕生してきたのです。

早大のエジプト調査隊

 ヒエラコンポリス遺跡の調査では、科学研究費を受けつつ、私一人と6人程のエジプト人作業員のみの極小規模な発掘を行っています。こぢんまりした調査であっても、発掘の技術やアラビア語、そしてエジプト人との調査を円滑に進めるマネージメント力も必要となります。私がヒエラコンポリスのメンバーに加わり、個人で発掘できるのは、早大隊に育ててもらったからです。早大にエジプト考古学を築いた恩師吉村作治先生の教育方針は、学部学生もエジプトに連れて行き、授業では学ぶことのできない知識を若いうちから会得させ、経験を積ませることです。欧米の調査隊では、学生は参加出来ても博士課程になってからです。彼らがスコップの握り方を覚えている頃、我々はエジプト人作業員に指示を出して現場を動かしているのです。そうして若手研究者を数多く輩出してきました。

 先生がエジプト現地に初めて赴いた1966年から、来年で50年を迎えます。それを記念した企画展が會津八一記念博物館で開催されています。早大隊のエジプト調査50年の歩みを是非ご覧下さい。

馬場 匡浩(ばば・まさひろ)/早稲田大学文学学術院助教

【経歴】
1974年、茅ヶ崎市生まれ。早稲田大学大学院文学学術院博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文学学術院助手(考古)、日本学術振興会特別研究員(PD)、英国カーディフ大学歴史考古学科客員研究員を経て、2014年より現職。著書に『エジプト先王朝時代の土器研究』(六一書房)、共著に『アジアの王墓』(高志書院)ほか。