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藤野 京子(ふじの・きょうこ)/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

非行少年の怒りの現象とその対処策

藤野 京子/早稲田大学文学学術院教授

粗暴な非行少年の減少

 非行少年というと、乱暴者というイメージがあろう。しかし、図1は昭和33年から平成26年までの傷害事件で検挙された少年の動向を示したものである。この図を見れば、検挙される人員における傷害事件の比率には増減が見られるものの、概して粗暴な振る舞いをする少年の数が減少してきていることが明らかになろう。

 とはいえ、非行少年にはさまざまな怒りの問題が観察される。以下では、その諸現象について記すことにしたい。

意図的な粗暴行為について

 おそらく非行少年のイメージに最も合致するのは、相手を威圧することで、自分の意のままに相手を振る舞わせようとして、意図的に粗暴な行動をとるパターンであろう。確かにそうした非行少年は存在する。

 しかし、そのようにして相手を振る舞わせたとして、彼らは満足できるであろうか。幸せを勝ち得たと思えるだろうか。

 人はそのように振る舞う人を疎んじて、次第に距離を取るようになっていくので、結局、彼等は孤立してしまう。しかし、そもそも人を自分の意のままにしたいということは、人と一緒にいることを前提にしている。人恋しく思っている非行少年は案外多い。

 したがって、こうした彼等には、粗暴行為が本当の彼等の幸せに結びついているのかを検討させ、粗暴行為以外の適法内の手立てで相手とやりとりする交渉術を体得させていく必要があろう。

 このほか、ぱっとしたことがしてみたい、ワクワクしてみたい、ハラハラしてみたいなどと、刺激を求めて粗暴な行為に走る者もいる。エネルギーが有り余り、それをどのように発散してよいかわからない血気盛んな若者の言動を思い浮かべてもらえれば、イメージが湧くことであろう。かつての暴走族がその典型例である。こうした若者には、健全な枠組のなかでどのようにそれと同種の体験ができるかを探索していく指導が望まれる。

 とはいえ、最近の非行少年において、ここで挙げたような「元気」で「エネルギッシュ」な姿はさほど多くなくなってきている。

カッとなる理由

 粗暴行為に至った非行少年にその行為に至った経過を尋ねると、実際には、上記のように意図的に暴力を用いているというよりもむしろ、思わずカッとしてしまった、気づいたら粗暴行為に至っていたとその心境を語る者が多い。自分が怒っていることのサインに気づくことで、行動に出る前に平常心を取り戻せるような対処策を身に付けていく必要があろう。しかし、それで十分であろうか?

 このカッとして粗暴行為に至った人をつぶさに観察してみると、彼等はカッとしやすいことが見て取れる。そして、その背景には、ちょっとしたことで自分が辱められたと感じてしまう傾向を指摘できることが結構ある。批判に過敏で、些細なことで馬鹿にされたととらえてしまう。自分にもっと注意を払ってほしいと感じているので、ちょっとしたことで無視されたと受け止めてしまう。そして、それらが恥の感覚を呼び起こすのである。

 なぜこれほどまでに過敏なのかというと、そもそも本人自身が自分のことを「ダメである」、「好きでない」ととらえているので、他者もきっとそうとらえているに違いないとバイアスをかけて現実を解釈しがちなのである。とは言え、その事実を自認するのはつらい。そこで、自分を辱めた人が悪いと責任を転嫁して、その相手を攻撃することで、自分が不十分であるという感覚を避けようとするのである。

 カッとするメカニズムがこのようなものである場合、侮辱されたと感じなくて済むような耐性を作っていくことも大切な対策になろう。

外に向かわない怒りの問題

 上で記した怒りは攻撃行動という形で外に向かうものなので、ある意味、傍からもとらえやすいものである。しかし、非行少年を含め、怒りは必ずしも外に向かうとは限らない。怒りを露わにすることは、社会的に望ましいことでないとの風潮が、非行少年にも広がりをみせているようである。

 誰でも、自分の領域が侵害されたときには怒りを感じ、それを回復させる対抗手段をとる必要がある。しかし、上記風潮に乗じて、そのような状態に対しても自己主張することは事態を荒立てることになるととらえて、我慢と称して、そのこと自体をおざなりにする。しかしそのような対処を続けていると、益々人から都合良くあしらわれる結果となる。そしてそれでも、ひたすら自分の中に「詰め込」み続けると、ある日それが限界にきて、突然激怒という形で爆発させてしまうことになる。これへの対策としては、社会的に許容される方法で自己主張の方法を獲得していくことである。

 このほか、ある事象に怒っているのに、「怒っていない」と、その怒りを自らも感じまいとする人がいる。また、漠然と苛ついていると感じながらも、その対象が明らかでないからとして、その苛つきの矛先を自分に向ける人もいる。こうした彼らは、自傷行為に走ってみたり、薬物に依存して自らの身体を痛めつけたりする。

 怒りを自分で認めなかったり、あるいは、怒りの矛先を自分に向けたりすれば、怒りが解消するかというと、そうではない。むしろ、自身を無力に感じたり自身に絶望したりしていき、自分を含めて何もかもがどうでもよくなる。そして、どうでもよいのだからブレーキをかける必要もないので、時に大胆な犯行に及んでしまうことになる。

 世間の耳目を引くような事件の犯人が「日ごろ大人しかったのに・・」と言われる現実はここにある。こうした事態に発展する前に、自分が唯一無二の存在であり大切にしていくに十分値する存在であること、自分の気持ちに向き合わなかったり自分を攻めたりしたところで事態が好転するわけではないこと、といった認識を体得させていけるような働きかけが必要と言えよう。

不遇感への対策も必要

 このほか、非行少年は、実際に、環境面で恵まれていないことが多く、自身がそのような状況に置かれていること自体に怒りを感じている場合が少なくない。さらに、虐待やいじめなどの被害経験を有していると、他者から攻撃されるのではないかとの恐れなり警戒心なりも伴っている。そして、周りの人を含めて社会は、自分を助けてくれないとの思いを強めがちで、その結果、周囲からの支援の申し出に対しても素直になれない。自分(そして自分の身近な人)を守れるのは自分しかいないとの態度を取りがちで、粗暴行為を含めて主流社会で違法とされる行為にもさほどの葛藤を抱くことなく走ることができてしまう。

 こうした世の中への不信感なり敵対心なりは、日々少しずつ蓄積していくものであり、その結果、慢性的に怒っているのであるから、その怒りを除去する糸口はなかなかつかみにくい。これへの対策としては、社会への不信感なり警戒心なりをどのように軽減させるか、すなわち、主流社会にとどまることを魅力的であると感じさせるところから始める必要がある。

アンガーマネジメント教育における留意点

 このところ、学校や企業などでの心理教育としてアンガーマネジメントが取り上げられるようになってきている。しかし、上述のとおり、そのマネジメントとは、単に怒りを外に向けて露わにしないことだけを目指すものであってはならない。

 怒りという感情は、そもそも「何かが問題である」というメッセージを当人に伝えるものである。怒りの適切な表現方法を身に付けるのみでなく、その怒りの根源にいかに対処していくかを検討していくことが、彼らの社会適応を促す一助になると考えている。

藤野 京子(ふじの・きょうこ)/早稲田大学文学学術院教授

専門は犯罪心理学、非行臨床。
1984年 早稲田大学第一文学部卒業。
1986年 同大学大学院文学研究科修士課程修了。
1986年 国家公務員I種(心理職)として法務省矯正局に入局。
1992年 米国テキサス州立サムヒューストン大学刑事司法学部修士課程修了。
東京,八王子等の少年鑑別所鑑別技官,法務総合研究所室長研究官等を歴任。
2004年から現職。

主な著書・訳書
「アンガーマネジメント 11の方法:怒りを上手に解消しよう」(監訳)金剛出版 2016年
「困っている子を支援する6つのステップ 問題行動解決のためのLSCI[生活空間危機介入]プログラム」(著)明石書店 2010年 
「犯罪・災害被害遺族への心理的援助 暴力死についての修復的語り直し」(訳)金剛出版2008年
「薬物はやめられる!? 薬物離脱のためのワークブック」(編著)矯正協会 2007年