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谷川 章雄(たにがわ・あきお)/早稲田大学人間科学学術院教授  略歴はこちらから

宣教師シドッチの墓の発掘

谷川 章雄/早稲田大学人間科学学術院教授

2014年7月25日の夕方、私は地下鉄茗荷谷駅から歩いて小日向一丁目東遺跡の発掘現場に向かっていた。東京都文京区教育委員会から、江戸時代の切支丹屋敷の発掘現場で墓が出てきたので見て欲しいという連絡を受けたからである。この日はひどく暑かったことを覚えている。

 発掘現場に着くと、調査中の3基の墓が並んでいる場所に案内された。いずれも土葬の墓であった。西側の墓は、早桶と称する簡素な桶を棺にした可能性があり、遺体は座った状態で埋葬されていた。これは江戸時代の一般的な墓の形態である。これに対して、中央の墓は異例であった。墓の平面形は長方形を呈し、埋葬された遺体は横に寝かせた状態のいわゆる伸展葬である。また、東側の墓も中央の墓と同様に平面形は長方形であった。

 私はこの地が江戸時代に切支丹屋敷があったところから、直観的にキリシタンの墓ではないかと思った。キリシタン墓は伸展葬なのである。その場で、私は教育委員会と調査担当者に、今後の墓の発掘方法を指示するとともに、人骨のとり上げには細心の注意を払う必要があるため、国立科学博物館の坂上和弘先生に来ていただくようにお願いして、人骨のDNA分析を行うことも勧めたのである。

発掘されたシドッチの墓(文京区教育委員会提供)

 その後、1年以上におよぶ分析と検討の結果、この中央の墓に葬られた人物が、江戸時代の宝永5年(1708)にキリスト教布教のために鎖国下の日本に渡航し、捕えられて正徳4年(1714)に切支丹屋敷で亡くなった、宣教師ジョヴァンニ・バティスタ・シドッチであるという結論を得るに至った。これは日本の近世史ならびにキリスト教史の上で画期的な発見であった。

 国立科学博物館の篠田謙一先生のDNA分析によって、この中央の墓の出土人骨から抽出されたDNAは、現在のトスカーナ地方のイタリア人のDNAグループに含まれることが判明した。坂上和弘先生は人骨の形態から、この人物は中年(40~60歳)の男性であり、推定身長が170cm代であることを明らかにした。一方、文献資料によると、切支丹屋敷に収容され、屋敷内に土葬で埋葬されたのはシドッチだけであり、シドッチの死亡年齢47歳、身長「五尺八九寸」(約175.7~178.8cm)という記録と一致した。シドッチの墓は屋敷裏門付近にあったという記事も、発掘された墓の位置とほぼ合致している。

 また、中央の墓の埋め土からは、17世紀後葉から18世紀前葉に製作された磁器の破片が出土しており、シドッチが死んだ正徳4年(1714)という年代と矛盾はない。何よりも興味深いのは、この墓が衣類などを収納する長持を転用した棺の中に、遺体を横に寝かせた状態の伸展葬で葬っていることであった。これはキリシタン墓の葬法である伸展葬を意識して、遺体をていねいに葬ったものと考えて良いだろう。この墓が発掘された2014年は、奇しくもシドッチの没後300年目にあたっていた。

 新井白石は切支丹屋敷においてシドッチを数回尋問したが、その様子は白石の著した『西洋紀聞』によって知られている。これを読むと、白石とシドッチは互いにその学識や人格を高く評価していたことがうかがえる。正徳4年(1714)、身の回りの世話をしていた長助・はる夫婦がシドッチから洗礼を受けたことを告白したことにより、夫婦およびシドッチは地下牢に入れられ、長助は10月7日、シドッチは同月21日に死亡した。なお、発掘された3基の墓のうち、西側の墓は長助、東側の墓ははるの可能性が高いと考えられる。

 江戸のキリシタン文化を物語る遺跡としては、千代田区東京駅八重洲北口遺跡のキリシタン墓地がある。この遺跡からは16世紀末から17世紀初頭の木棺墓や遺体を棺に納めずに埋葬した墓が10基発掘された。これらはいずれも伸展葬であり、木棺には墨で書かれた十字架が見られ、キリスト教の聖品であるメダイやロザリオが出土した。

 また、寛永20年(1643)に日本に布教のために渡航した宣教師ジュゼッペ・キアラは、捕えられて切支丹屋敷に収容され、拷問によってキリスト教を棄教して岡本三右衛門を名乗り、貞享2年(1685)に没して火葬後に無量院に葬られた。その墓標は特異な形態をしており、現存している。

 こうした考古資料は、これまで不明な点が多かった江戸のキリシタン史を明らかにする重要な資料になっていくことは疑いないのである。

谷川 章雄(たにがわ・あきお)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】
1953年東京都出身
早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業
早稲田大学大学院文学研究科史学(考古学)専攻博士後期課程満期退学
早稲田大学教育学部助手、所沢校地文化財調査室助手、人間科学部専任講師、助教授、教授を経て、現職
博士(人間科学)

【主要業績】
共編著書『六道銭の考古学』(高志書院 2009)
論文「近世墓標の変遷と家意識」(『史観』121 早稲田大学史学会 1989)
「江戸の墓の埋葬施設と副葬品」(『墓と埋葬と江戸時代』吉川弘文館 2004)。