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勝方=稲福 恵子(かつかた=いなふく・けいこ)/早稲田大学国際学術院教授  略歴はこちらから

「読む女・書く女」の出現――琉球・沖縄おんな三代にわたる葛藤

勝方=稲福 恵子/早稲田大学国際学術院教授

『沖縄県史・女性史』の刊行 

 沖縄県は1994年から「新・県史編集」事業に取り組んできたが、このたび他府県に先駆けて初めての『女性史』(沖縄県史 各論編8、2016年)が刊行された。その特徴の一つが以下に述べる「近代教育による三重の変革」、すなわち1)「声の文化」から「文字の文化」への変容、2)「日本的近代への同化」、そして3)「標準日本語」への切替であり、それが同時に行われることによって沖縄の女性たちが抱えることになった世代間の文化的葛藤である。

「声の文化」から「文字の文化」へ

 第一の変革は、明治の近代教育によって、女性にも文字が教えられるようになったことである。有史いらい口承の伝統に生きていた沖縄女性は慣習のくびきを解かれ、初めて文字の習得が許された。すでに読み書きを自在にこなしていた大和女性たちが壮麗な平安朝文学などを遺しているのに対して、沖縄女性の手になる日記や文学などは皆無だった。

 しかし近代にいたるまで口承の神歌(オモロ)を綿々と伝承しつづけ、それゆえに声の文化を充溢させてきた沖縄女性である。王妃や聞得大君や祝女(ノロ)であっても文字は識らず、和漢書を読みこなすなど論外であったが、すべての知識は膨大な記憶として蓄えられていた。

 女性の知性は、文字で表現されるものではなく、語り部としての記憶や諸般に通じた「物知り」としての技で測られた。たとえば、伊波普猷の曽祖母は、祖父に科(コウ。高等文官試験)の受験の要諦を教えたほど「物知り」で、母も、「記憶力が強く、二、三十年前の事でも何年何月何日何時に誰が生まれた等と言うことも記憶しておりまして、算術などは知らなかったが、三、四百円以下の乗除をすぐやることが出来る人」だと伝えられている。

 口承文化は話す者と聞く者とを統合し、和を奏でる「場」を優先させるのに対し、書承文化は、文字を読み解く読書の発達に伴って、分類・分析する「個」を誕生させることになる。近代におけるこの二つの文化の衝突は、じつは世代間の対立、価値観の対立となって沖縄女性を分断するとともに個人の内面にも亀裂を生じさせていた。

「日本的近代への同化」

 第二は、日本的近代への同化政策、すなわち琉球の「風俗改良」である。同化政策は、琉球女性がよすがとし主体性を発揮してきた伝統的な祭祀儀礼を、時代遅れの野蛮なものに転回してしまい、風土に根差していた固有の女性文化を遺棄させることになる。琉装から和装への衣裳・装束の大改革やハジチ禁止令などへと繋がって、女性美の基準も変容していく。

 また近代化以前には、琉球社会の男と女は次元を異にしたそれぞれの文化を生きていたが、近代化によって、封建的な男女間の格差が取り払われた代わりに、例えば「良妻賢母」思想のように、男性も女性も単一日本文化や価値観を共有するようになった。

「標準日本語」への切替

 第三は、言語(琉球語から日本標準語へ)の切替である。この日本標準語への均一化は、沖縄の人々、とりわけ女性たちには全く新しい経験だった。もちろん、琉球王国時代でも、ヤマトとの交流の深い士族層には、日本語に熟達することは教養として必須で、和歌も盛んに詠まれ、擬古文で書かれた文献も多い。しかし、それは男性士族に限られたことで、明治以降の近代教育が普及するまでは、農民層や女性層は、漢字であれ仮名であれ、文字言語からも日本語からも遠ざけられていた。

 かくして「識字」と「日本的近代」と「標準日本語」という三重の変革は、一種の文化革命のように、前代未聞の文化変容をもたらし、有史以来はじめて「読む女・書く女」が登場することになったのではあるが、同時に、彼女たちは連綿と続いてきた内なる口承文化の伝統との齟齬に苦しむこととなった。

琉球・沖縄の「おんな三代の記」

 近代移行期における世代間文化の衝突は、社会的にも露わだったはずであるが、歴史の空白となっている。しかしどの家庭でも、「世代間の葛藤」は深かったのではないか。私の場合、第一世代の祖母と第二世代の母との葛藤は、単なる嫁舅の確執ではなく、前近代文化と近代文化との代理戦争のようなところがあった。

 もちろんヤマトにおいても明治の世代わりは激烈でそれを生き抜いた母と娘を描いたのが、山川菊栄の自叙伝『おんな二代の記』。明治の近代化に沿って新知識を求め外国へ留学したいと思い願っていた菊栄の母も、菊栄自身も、水戸に残した祖母とは異なった世相を生きていくことになった。それでも世代間の葛藤はない。

 しかし沖縄の場合は、ヴェクトルの違う文化が淘汰されずに併存している。過渡期の「読む女・書く女」は、口承と書承の二つながらの文化を、日本語と琉球語のバイリンガルとして抱え続け、矛盾に満ちた多様な文化の諸相を生き抜くが、昇華せずに次代に移譲した。すでに祖母と母を亡くした第三世代は、この葛藤をどう継承すればよいか、考えあぐねるばかりである。

勝方=稲福 恵子(かつかた=いなふく・けいこ)/早稲田大学国際学術院教授

【略歴】
早稲田大学第一文学部を卒業し、早稲田大学文学研究科博士後期課程(現代アメリカ文学専攻)を単位満期退学。1991年早稲田大学法学部専任講師、1998年教授、1996年ニューヨーク市立大学大学院客員研究員。2002年沖縄文化協会賞(仲原善忠賞)受賞。2004年国際教養学部教授、併せて2013年国際コミュニケーション研究科教授。2006~2015年度プロジェクト研究所「琉球・沖縄研究所」設置・所長、2012年学術博士(早稲田大学)。

専門は、沖縄学、ジェンダー学、そしてカルチュラル・スタディーズ。主著は『おきなわ女性学事始』(新宿書房)、共編著は 『アメリカ女性作家小事典』(雄松堂)、『沖縄学入門』(昭和堂)、『沖縄県史 各論編8 女性史』(沖縄県教育委員会)など。