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寺本 義也(てらもと・よしや) 早稲田大学ビジネススクール教授、早稲田大学経営品質研究所所長 略歴はこちらから

嵐の中のリーダーシップ
~世界同時不況克服のために~

寺本 義也/早稲田大学ビジネススクール教授、早稲田大学経営品質研究所所長

 米国のサブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機はそれだけにとどまらず、実体経済に深刻な影響を及ぼしつつある。企業も個人も生き残りを賭けて懸命に努力している。こうした場合に必要なのは、優れたリーダーの存在である。問題は世界を明るいものにする、リーダーの条件である。それは、「強い使命感」「独自の美意識」「豊かなユーモア精神」の三つに集約できる。

強い使命感

 使命感の使命という言葉は、英語では“mission”であるが、日本語では文字通り「命を使う」「命を賭ける」という意味である。リーダーは、全身全霊を傾けて、自分自身の命を使うという強い使命感を持たねばならない。強い使命感を裏づけるのは、リーダーの人としての志の高さである。いかなる価値や理念を実現すべきなのか、そのためには、どのような生き方を貫き通すべきか。さらに、追求すべき世界はどうあるべきか。高い志に支えられた使命感こそが、リーダーをリーダーたらしめる第一の条件である。

 リーダーは、強い使命感を持続し、高い志を実現するためには、後ろ向きの反対や抵抗にひるんではならない。たとえ不幸にして倒れたとしても、再び立ち上がって、ファイティングポーズを取り続ける勇気が必要である。使命を達成するためには、孤立を畏れてはいけない。「人は弱いから群れるのではない」、「群れるから弱くなるのだ」(寺山修司)。

 リーダーは、責任を進んで引き受けるものでなくてはならない。リーダーの責任とは、すべての結果を引き受けると言うことであり、安易に職を辞したり、投げ出すことではない。それは無責任である。そうではなく、結果として起こったことがらに対して、真正面から対峙し、その解決に全力を尽くして当たること。権限が与えられて責任が生じるのではない、進んで重い責任を引き受けるからこそ、その責任を果たすための権限の正統性が生まれる。ノブレス・オブリージュすなわち、高貴なるものの大きな義務とはそういうことである。

独自の美意識

 「美しきものはとこしえに歓びである」。「美は実相、実相は美」(キーツ)。「世界の存在は一つの美的現象としてのみ正当化される」(ニーチェ)。

 なぜ、リーダーに美意識が求められるのか。それは、現実が美なるものから、ほど遠いからである。世界同時不況と言われるなかで、非正規社員が次々に解雇されている。派遣や請負という名前で働く人々が、景気の調整弁として、生産調整即雇用調整という安易な対応によって一方的に痛みを引き受けさせられている。

 確かに、雇用形態も勤務形態と多様化している。それはそれで良いとしても、同じ仕事をしたら、少なくとも処遇、待遇は同じにしないと筋が通らない。ところが実際には、大きな格差がある。これは正義でもないし、美的でもない。問われているのは、リーダーの美意識である。

 美意識というのは、ある意味でいえば、高度なバランス感覚ということでもある。古代ギリシャ時代から、美は対称性や均斉という概念と関連づけられてきた。これからの企業は、つくり出す商品やサービスはいうまでもなく、経営そのものが美的感覚や美的基準に耐え得るものでなければ、生き残っていけないであろう。

 高度なバランス感覚と言うことでいえば、江戸時代の人物評価は、きわめて明快である。すなわち、二つの基準を満たさないと一人前と言われない。一つは「稼ぎ」(かせぎ)、これは、今で言えば経済的な能力である。仕事をして収入を得て、自分と家族を養う。しかし、それだけでは半人前である。一人前と認められるためには、もう一つの「務め」(つとめ)を果たさなければならない。努めとは義務である。自分たちの村の鎮守の森(共有地)を手入れする、また、みんなで協力して堤防や水路、あぜ道を整備する。つまり、公の仕事を果たす、今で言えば、コミュニティ・サービス。稼ぎと努めと両方出来るようになってはじめて、あいつは一人前になったと認められたわけである。

ところが、高度成長経済以降、稼ぐ人間が偉い、つまり半人前を一人前扱いしたことが、戦後日本の大きな間違いであった。これが、拝金主義を生み、経済至上主義になった要因としてあると考えられる。

豊かなユーモア精神

 厳しい時代のリーダーに求められる三つ目の条件は、ある種のユーモア精神である。相対的にみると、現代の日本のリーダーはユーモアに乏しい。英米の経営者や政治家は、演説でまず、ユーモアやジョークから入るが、日本人の場合は言い訳から始めることが多い。この違いは、気持ちのゆとりのあるなしであろう。さらに、自分自身を相対化する能力、自分自身を、ある意味でユーモアの対象にしてしまう。これは心にゆとりがなくては出来ない。

 最近、まわりを見渡すと、「忙しい、忙しい」という人が増えたように思われる。確かに、こういう状況では、のんびりとした時間を持つことはむずかしい。しかし、そうであればあるほど、心を遊ばせる余裕が必要である。忙しいという字は、もともと、心が亡くなると書く。心ない事件や不祥事が絶えないのは、社会からユーモア精神が欠如したあらわれである。

 さらに言えば、ユーモアというのは、豊かなサービス精神である。人に楽しんでもらう、ここにきて良かった、この人と会えて良かったと思ってもらう。サービス精神がないと、ユーモアの精神は出てこない。

 強い使命感を持って、独自の美意識や豊かなユーモア精神を発揮することこそが、これからのリーダーに不可欠な教養であるといってよい。教養とは、単に知識がたくさんあるとか、難しい漢字を正しく読めるとかいうことではない。真の教養とは、「人の心がわかる心」をいうのである。

寺本 義也(てらもと よしや)/早稲田大学大学院ビジネススクール教授、早稲田大学経営品質研究所所長

【略歴】

1942年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部卒業、同大学院商学研究科修士課程修了。富士通株式会社勤務後、早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了。明治学院大学・筑波大学・北海道大学・北陸先端科学技術大学院大学教授を経て、2000年より早稲田大学教授。ビジネススクールにて、MOT&Ph.D担当(知識経営マネジメント、経営品質革新マネジメント)。

【専攻分野】

知識経営論、人材開発論、知識社会システム構築論

【主要近著】
『技術経営の挑戦』筑摩書房(ちくま新書)、2004
『戦略の本質』日本経済新聞社、2005
『コンテクスト転換のマネジメント』白桃書房、2005
『無形資産価値経営』生産性出版、2006
『ビジネスモデル革命[第2版]』生産性出版、2007