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嶋﨑 尚子(しまざき・なおこ)早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

なぜ今、炭鉱か?
-離職者調査から“軍艦島観光”まで

嶋﨑 尚子/早稲田大学文学学術院教授

 日本の戦後復興を下支えした石炭産業は、1960年代のエネルギー革命に遭遇し、国家主導での合理化政策、スクラップアンドビルド政策による再編を経て終焉をむかえ、2002年太平洋炭鉱の閉山によって消滅した。最盛期には全国に稼動炭鉱約800、生産量5300万トン、常用労働者36万人を数えた。重量型資本主義産業の象徴である石炭産業への着目は、日本の近代資本主義の発展過程を考えるうえで重要な視点である。経済学のみでなく社会学においても多くの先達によって、産炭地の地域社会、炭鉱住宅に象徴される集住形態での労務管理、組合運動、友子制度、砿員と家族の生活など、まさに包括的な実証研究が各地の炭鉱を対象に実施され、その成果が蓄積されてきた。そしてそれは21世紀をむかえた現在でも脈々と続き、新たな課題と意義をも内包している。本稿では、その現状を紹介したい。

社会学における炭鉱研究 -常磐炭砿研究と早稲田大学―

 早稲田大学社会学研究室では、1950年代から旧常磐炭砿株式会社磐城砿業所を中心とした常磐炭田地域(福島県いわき市)研究をすすめてきた(1958年「常磐炭砿砿員の家族調査」、1964年「リージョナル・コミュニティ調査」、1967年「常磐炭砿の生活実態と意識の調査」)。常磐炭砿は、映画「フラガール」の舞台であるが、京葉・京浜工業地帯に隣接する本州最大の炭砿であり、1950年代後半に最盛期をむかえ、その後1971年に大閉山、1976年にすべての坑を終掘した。大手資本ではなく地場産業であること、炭質に恵まれないこと、採掘条件が劣悪であることの3点から、いわゆる「一山一家」精神のもとで生産、経営がなされ、その結果、組合の位置づけが特異であったことが特徴としてあがる。

著者注:本文中で、炭鉱は一般用語としては「鉱」を用いて、常磐炭砿の場合のみ「砿」と表記している。

 われわれは、閉山前の研究を引き継ぎ、1997年から第二次プロジェクト「炭砿離職者の閉山離職とキャリアの再形成研究」(研究代表者:正岡寛司)をすすめてきた。具体的には4つの課題をもっている。第一の課題は、常磐炭砿および常磐炭砿労働組合の歴史的変遷を例に、第二次大戦後における日本の石炭産業の消長、石炭産業の終焉過程の一端を明らかにすることである。閉山前後の膨大な文書資料を用いて、会社、従業員、組合、地域社会が有機的に相互作用を繰り返して、盛衰過程をたどったダイナミズムの把握をすすめている。たとえば、大閉山によって5,000名におよぶ閉山離職者が発生したが、彼らの雇用確保は会社、組合、雇用職業安定所の連携からなる就職対策事業としてすすめられた。当初求人企業総数703社、総求人数11,592名に対し、閉山後1年半までに88%(3,974名)の就職先が決定した。再就職先は855社にのぼったが、決定までには、就職相談、新規求人の開拓、斡旋、説得という過程があり、そこでは1960年代の第一次合理化での経験が活かされていた(嶋﨑2004を参照)。

閉山離職者のライフコース研究

 第二の課題は、離職者が閉山後にどのようにキャリアを再形成していったのか、その過程をライフコース論の視点から個人水準で確定していくことである。ついで閉山後のキャリアデータを閉山までのそれと連結し生涯職業キャリアを構築し、20世紀日本の基幹労働者のキャリア形成のダイナミズムを把握することが第三の課題である。前者については、下表のように、4,626名の閉山離職者の30年後を追跡しているが、幸い地元関係者のあつい協力を得て、これまでの追跡率は9割近くに達している。

表「炭砿離職者の閉山離職とキャリアの再形成研究」追跡調査結果
1971年閉山
離職者総数
追跡終了 2007年までに追跡終了 追跡不能
面接・郵送調査 回答 死亡確認 生存確認・ 調査不能 住所確認のみ
4,626名 4,147名 1,467名 1,595名 918名 167名 479名
100.0% 89.6% 31.7% 34.5% 19.8% 3.6% 10.3%
炭鉱アーカイブの構築と整備:アカデミックユーズから社会的還元へ

 第四の課題は、上記3課題にのなかで収集された多面的な資料を包括的なデジタル・アーカイブ(早稲田大学常磐炭砿アーカイブ研究所:現ライフコースアーカイブ研究所)として構築し、研究者ならびに地元への公共利用へ提供することである。アーカイブの構成は下図のとおりである(嶋﨑2007を参照)。こうした活動は、過去の資料の散逸、紛失、劣化を防止するだけでなく、広く社会科学研究者に公開しデータを提供することで、多角的な研究成果の蓄積をめざしている。むろん、他炭鉱地域ならびに他産業との比較研究へとつながる。また、社会的財産として常磐地域在住者、炭砿関係ならびに一般にむけて公開し共有することは、まさに近年盛んな産業遺産のコンセプトと合致しており、地域再生と社会教育に資するものである。

21世紀、炭鉱研究の新たな展開

 産業遺産としての炭鉱への注目や旧産炭地の地域再生の動きは、いわば同時多発的に北海道(たとえば夕張の再生)、九州(たとえば「軍艦島」ツーリズム)ならびに海外で発生している。これが時代的要請なのか、社会科学史上の必然なのかは今後明らかになるだろう。いずれにしても、21世紀をむかえ炭鉱への注目は再び高まっている。われわれも2008年に新しい形態の研究ネットワークとして旧産炭地研究会(JaFCof)を組織した。当面の課題は、常磐研究でのノウハウを活かした北海道空知地域での炭鉱離職者の追跡調査ならびに炭鉱資料のサルベージュとアーカイブ化である。さらに、Walesをあしがかりにヨーロッパの炭鉱地域との比較研究への拡大をめざしている。そこでは新たに「記憶」というキーワードが加わった。炭鉱研究は、一方では実態としての炭鉱が脈々とつづき、他方では記憶としての炭鉱への新たな注目が始まった。それをアーカイブと地域が連結している。ポストモダンあるいはセカンド・モダン社会の到来が指摘されるなかで、重量型近代産業である石炭産業研究はあらたな地平へとつづく。

今夏シンポジウム

今夏、北海道空知とWalesで日英共同シンポジウムを開催します。
※詳細は、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団web上でお知らせします。

「日本とウェールズにおける炭鉱の記憶:地域再生へのアーカイブズと社会教育の役割」
“Collective Memories of Coal Mining in Japan and Wales: The Roles of Archives and Social Education towards Community Regeneration”

空知シンポジウム2009:2009年8月7日(金)・8日(土)
美唄アルテピアッツァ(7日)/岩見沢コミュニティホール(8日)

Symposium in Wales2009:2009年9月10日(木)・11日(金)
Swansea University, Wales

■主催 旧産炭地研究会(JaFCof)+NPO法人炭鉱の記憶推進事業団+ 早稲田大学ライフコースアーカイブ研究所
■後援 札幌学院大学、スウォンジー大学、日本学術振興会、英国学士院、大和証券日英基金

参考URL

早稲田大学常磐炭砿研究(旧常磐炭砿アーカイブ研究所)http://www.tankou.org/
South Wales Coalfield Collection (Swansea University)http://www.swan.ac.uk/swcc/

地域発の動き

NPO法人炭鉱の記憶推進事業団 http://www.soratan.com/
常磐炭田史研究会 http://www6.ocn.ne.jp/~tanden/index.html など

研究成果の一部

■『社会科学討究 炭砿と地域社会』早稲田大学社会科学研究所1963
■『炭砿労働者の閉山離職とキャリアの再形成』(早稲田大学常磐炭砿アーカイブ研究所:PartI 1998、PartII 1999、PartIII 2000、PartIV 2001、PartV 2002、PartVI 2003、PartVII 2004、PartVIII 2005、PartIX 2006、PartX 2007)
■嶋﨑尚子,2004「炭砿離職者の再就職決定過程 -昭和46年常磐炭砿K.K.大閉山時のミクロデータ分析」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第49輯,43-56.
■嶋﨑尚子,2007「包括的デジタル・アーカイブ構築の試みとその意義:常磐炭砿アーカイブの例」『プロジェクト研究』2号,1-12.など

嶋﨑 尚子(しまざき・なおこ)/早稲田大学文学学術院教授

東京女子大学文理学部社会学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了、同博士後期課程単位取得退学。早稲田大学助手、放送大学専任講師、助教授、早稲田大学文学部助教授を経て現職。ライフコース論、家族社会学。ライフコースアーカイブ研究所所長。
主著書に、現代家族の構造と変容(共編著/東京大学出版会)、ライフコースの社会学(単著/学文社)、社会をとらえるためのルール(単著/学文社)、社会調査データと分析(単著/トランスアート)、近代社会と人生経験(共著/放送大学教育振興会)、ライフコース論(共著/放送大学教育振興会)など。