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高山 裕二(たかやま・ゆうじ)早稲田大学政治経済学術院助教 略歴はこちらから

トクヴィルで読み解く大阪市長選
―日本のデモクラシーの課題

高山 裕二/早稲田大学政治経済学術院助教

 昨年11月27日に行われた大阪市長選で、前大阪府知事の橋下徹氏が、現職の平松邦夫氏に圧倒的な大差をつけて当選した。ダブル選挙となった府知事選でも、橋下氏が代表を務める大阪維新の会幹事長の松井一郎氏が当選を果たした。

 市長選の投票率は60・92%で、前回(2007年)の43・61%から17・31ポイント上昇した。既成政党/政治家に不信を持つ多くの無党派層が「何か変えてくれる」と期待して橋下氏に投票したという。全国の知事選の投票率が戦後大きく減少してきたことを考えれば、大阪ダブル選の有権者の関心の高さは好ましいことだ。

 デモクラシーの利点と欠点を最も鋭く論じた19世紀フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(1805~59)によれば、デモクラシーを支えるのは地域政治への市民の持続的な関心や参加である。しかし、大阪市長選のように、近年の選挙を大きく左右する指導者への期待や行政への不満という一時的なムードは、トクヴィルの言うような関心や参加とは位相が異なるのではないか。政治学の古典『アメリカのデモクラシー』(1835/40年)を参考に、日本のデモクラシーの課題について考えてみたい。

アレクシ・ド・トクヴィル(テオドール・シャセリオー画、ヴェルサイユ美術館蔵)

『アメリカのデモクラシー』第一巻〈初版〉(1835年、ゴスラン社)

「何者でもない」という不安/無関心と嫉妬心

 大阪市長選の各社の出口調査によれば、年代別では、70歳以上を除くすべての年代で橋下氏が平松氏を支持率で上回った。特に20代、30代の7割が橋下氏を選んだ。思い返せば、2008年1月の府知事選でも、朝日新聞の出口調査によれば、民主党など推薦の対立候補が橋下氏を上回ったのは唯一60代男性だった。既存の体制への不満を募らせ、橋下氏を特に支持したのは社会的地位の定まらない若者世代である。背景には、先の見えない不安があった。

 ただ、橋下氏への支持は40代、50代でも大きく、そうした不安はいまや「若者」に限定されない。低成長の時代、年功序列や終身雇用といった制度/慣行が解体するなか、不安な時期は30代、40代と長期化する。一方、そうした不安を〈世代〉として共有し、社会活動に転換してゆくような共通の関心や一体感は今日成立し難い。

 ところで、身分制度や伝統によって「何者であるか」が保証されない、その意味で人間が平準化されるのがデモクラシーである。そう語るトクヴィルは、「何者でもない」という不安に襲われた最初の〈世代〉の一員だった。その後、人間はそうした不安と同時に何者かになれるという希望を抱くが、それをかなえる見通しが社会のなかに失われると、大きな空虚感に襲われるようになる。政治/社会への無関心、無気力が社会を支配するのだ。

 他方で、彼らは自分より生活が安定し幸せそうに見える他人の存在によって不満を鬱積させる。役人の安定した地位も嫉妬心を刺戟するため、デモクラシーの下級公務員の給与は下がる傾向にある。そこで、国民は自分たちの不満や嫉妬を解消してくれるように見える指導者を求め、強大な行政権力を彼に委ねる恐れがある、とトクヴィルは指摘した。

 大阪市長選に見られるような一時的なムードは政治を大きく変える原動力にもなり、その役割を一概に否定すべきではない。ただ、その背景には不安や嫉妬といった非合理な情念があるという現実と正面から向き合うことが今の政治には求められている。

素人政治のコスト

 「普通選挙こそよい政治家を選ぶ保証だと考える者が完全な幻想にとらわれていることは、私にははっきり証明された」。『アメリカのデモクラシー』の一文である。

 トクヴィルは、北部諸州で白人成人男性の普通選挙をすでに一般化していたジャクソン時代のアメリカ合衆国を訪れ、政治家の質の悪さを目の当たりにした。しかしデモクラシーの利点を別のところに発見する。それは「地域自治」(地域自治体の政治)の実践である。市民自身による公共問題への日々の関心と参加は彼らの知識を広げ、社会活動を活性化していた。デモクラシーの定着には、一時のムードに拠らない市民の関心と参加が欠かせない。

 とはいえ、市民自治に問題がないわけではない。トクヴィルはこうも言っている。「人民による公共の問題の処理はしばしばきわめて拙劣である」。政治のプロではない人民が支配者となる時代は、喫緊の課題が遅々として進まない。今日、大阪に限らず、人民を代表する地方議員の落魄は、多くの国民を失望させている。無駄な議論は止めて物事を早急に決めて実行してほしい――。逆に、首長の指導力に期待が集まるのは自然の成り行きである。

 強い指導者が物事を決め実行してくれるなら、無駄が削れて政治は効率化される。しかしデモクラシーを支えるのは市民の日々の参加と討議である。デモクラシーはコストの高い政治制度/理念であることが改めて認識されなければならない。もちろんコストは無限にかけられない。行政の無駄を省き、議員の適正な定数が検討される必要もあろう。ただ、指導者や政党への過度な期待と失望の間で国民が躍るだけでは、一向にデモクラシーは定着しない。デモクラシーより悪くない政治制度がないかぎり、その高いコストを引き受ける覚悟も必要ではないか。

 言うまでもなく、橋下氏が多数の支持を得て市長に選ばれた事実は重く受け止めなければならない。有権者はその時々の政策に一喜一憂せず、任期中の「業績」を冷静に見極める必要がある。トクヴィルはデモクラシーの利点として自己変革を評価している。市民はある判断が誤っていたと分かれば、次の選挙で別の選択肢を選ぶこともできるのである。

高山 裕二(たかやま・ゆうじ)/早稲田大学政治経済学術院助教

【略歴】
早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士課程修了、博士(政治学)。日本学術振興会特別研究員、早稲田大学政治経済学術院助手を経て、2010年より現職。

【著書・論文等】
『トクヴィルの憂鬱――フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生』(2011年、白水社)。
『ロールズ政治哲学史講義I.II』(ジョン・ロールズ著、共訳、2011年、岩波書店)。
『社会統合と宗教的なもの――十九世紀フランスの経験』(宇野重規・伊達聖伸・髙山裕二編、2011年、白水社)。
「豊かさのなかの不安――トクヴィルの個人主義批判と「利益」の再発見」『思想』(特集〈政治と情念〉、1033号、2010年5月、岩波書店)、94~111頁。