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堀 真清(ほり・まきよ)早稲田大学大学院政治学研究科教授 略歴はこちらから

国家・国民と言うなかれ
政治家は命をすりつぶす生業(なりわい)

堀 真清/早稲田大学大学院政治学研究科教授

 かつて政治は命がけの仕事であった。眼前の政治家は「国家・国民のために」、「国民の目線に立って」などと力めば安穏無事で、ひと財産つくれそうな気配である。この点、明治の有名な政治家田中正造は、鉱毒に苦しむ農民のために身代をかけた。彼の生涯は義人のそれである。大正の政治史に突出する政治家と言えば宰相原敬だが、彼は自党政友会を大ならしめるため権略を駆使し、ついに兇手に斃れた。彼が残したものは毀誉褒貶で、私財ではなかった。政治家の生きざまとは農民救済を志しても党勢拡張をめざしても命をすりつぶす生業で、家業どころではない。

 必死というなら民衆の側もそうである。高い地租や米価によって流血の惨事を招くほど追いつめられてきた民衆は、昭和に入っても恐慌や農村の疲弊に直撃された。かくて政党政治家やその「金主」と見なされた資本家に不満の目が向けられたのも自然の成り行きであった。植民地統治も中国の反日ナショナリズムも欧米との競争も民衆に無関係な事柄はひとつもなかった。民衆はどこに光明を求めたら良いのか。

二・二六事件のセンチメント

 この先、日本はどうなっていくのか。生活は? 政治家がこうした不安に対処しえないなら我々が立ちあがるべきだ。こう考えた陸軍の一部青年将校らは、昭和11(1936)年、二・二六事件を起した。これは部内派閥抗争の飛沫ではなく、農民の窮状にたいする蹶起者のセンチメントの爆発であった。彼らは民衆の前衛を自負したが、民衆の組織者ではありえなかったし、事件は陸軍幕僚の政治進出を加速する結果に終った。西田税(みつぎ)という陸軍出身者の存在に淵源をもった二・二六の顚末や国家主義方面からの社会変革志向については、800頁余をかけた拙著『西田税と日本ファシズム運動』(2008年、第3刷、岩波書店)で論じたので省略するが、政治の貧困が何をもたらすのかは今後とも十分検討さるべきテーマである。

民衆の政治家

 では、民衆と共に進もうとする事例だが、大山郁夫を先頭とする農民・労働者・小営業者ら「無産者」、小市民から成る政治的自由獲得と搾取廃止と植民地解放という三位一体の闘争が代表的なもののひとつである。

労農党委員長時代の大山郁夫

 大山は大正デモクラシーの論客から無産政党運動の指導者に、そして第二次大戦後は世界平和運動の牽引者へと歩みつづけた「永遠の青年」型政治家であった。戦後、湯川秀樹へのノーベル賞授与(日本人第一号)が世間の耳目を奪ったとき、稀代(きだい)の評論家大宅壮一いわく。大正期から「大山のようにいつも全日本のあらゆる身分、階層、年齢の人々によって、話題の対象となった人は珍しい。……アメリカにおける亡命時代を除いては大山はいつも社会運動の脚光を浴びつづけた名優であり、ジャーナリズムの寵児であった。……意識的にスタンド・プレーを試みたというよりも、性格的にそういう要素を身につけていた…〝われらの行くところ戦場であり、墓場である〟といった名セリフが、かれほどピッタリ当てはまるものは日本にいない。ほかのものがそんなことをいったら、キザで鼻もちならぬところである。」

大隈講堂前で挨拶をする大山郁夫

周恩来と大山郁夫

原水爆禁止を訴える大山郁夫
(本学現代政治経済研究所所蔵)

第二の大山郁夫は今どこに

 もともと大山は政治学者で、国家の侍女としての政治学を民衆のための政治学につくり変えようと献身していた。社会科学は人間的であるべきだと力説した彼はそれゆえ思想と実践の統一を模索し、マルクス主義にも接近した。こうした経緯については拙著『大山郁夫と日本デモクラシーの系譜――国家学から社会の政治学へ――』(2011年、岩波書店)でふれたので割愛するが、彼は無産政党運動が転機に立ったとき、労働農民党の委員長に推され、母校早稲田の教壇から追放された。大山にとり、学生同様、勤労民衆も大切な同志で、純真な彼は、民衆の手となり足となることに喜びを覚えた。わずか五人の無産党代議士の最左翼として弾圧の嵐のなか彼は農村に工場にと命がけで奔走した。彼の同志山本宣治代議士は暗殺された。大山も山本も「国家・国民のため」、「国民の目線に立って」などとふやけたことは決して口にしなかった。彼らの前にいるのは飢えた農民、賃金をカットされた労働者、その日の売り上げに不安を感じる小営業者など、生身の民衆であった。第二の大山や山本は今どこにいるのか。

民衆に辞表なし

 思想とは我々の幸せのために人類が築き、全力で守護してきた先に進むための活力である。政論とはかかる思想が政治の在り方に向けられ、人心を感化し、行動をうながす議論のことで、政治家には政論家の資質が要請されよう。

 政論家と言えば、半世紀以上も筆一本で生きた新聞記者丸山幹治(政治学者丸山真男はその次男)は、時勢に羽ばたきはしない批評精神の持主であった。その彼はいう。「軍人や政治家らが進退をいかにしようが、この国に生きる国民に辞表なし」と。この社会に生きる民衆に辞表なし。まさにその通りで、政治家ばかりか我々自身しっかりしていなくてはどうにもならないのである。

堀 真清(ほり・まきよ)/早稲田大学大学院政治学研究科教授

【略歴】
1946年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、西南学院大学法学部長、ケンブリッジ大学客員教授、オックスフォード大学交換研究員などを歴任。現在、早稲田大学大学院政治学研究科教授。
著書に『西田税と日本ファシズム運動』(2007年、岩波書店)、『一亡命者の記録―池明観のこと―』(2010年、早稲田大学出版部)、『大山郁夫と日本デモクラシーの系譜―国家学から社会の政治学へ』(2011年、岩波書店)、翻訳に『ファシズムを超えて―一政治学者の戦い―』(新版2009年、早稲田大学出版部)ほか。小野梓記念学術賞(1974年)、政治研究櫻田會特別功労賞ならびに大隈記念学術褒賞(いずれも2009年)受賞。