早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 政治経済

オピニオン

▼政治経済

齋藤 純一(さいとう・じゅんいち) 早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

選挙結果は「民意」の反映か?
──「数」の力から「理由」の力へ

齋藤 純一/早稲田大学政治経済学術院教授

 「民意」とはよく耳にする言葉であるが、その意味は必ずしも一義的ではない。その意味について少し考えてみたい。

 「民意」を英語で表現すれば "the will of the people" になる。デモクラシーは、政治的な意志決定——それによって法が制定され、政策が方向づけられる——が、主権者たる「人民」(people)の表明する「意志」(will)に沿って行われることを求める政体である。法や政策は、人民すなわち参政権をもつ市民の意志に沿っているときに民主的な正統性(legitimacy)をもつことができる。法案や政策立案について全市民の意志が一致することは稀であり、通常、多数派の意志に沿っていればそれらは正統とみなされることになる。

 この意味での民意が正式に表される機会はあまり多くはない。数年に一度行われる選挙がそれである。投票を通じて表明される市民の意志は政党や候補者に対する支持であり、どの法案や政策立案を支持するかについての市民の意志をそれによって特定することはできない。選挙(とりわけ国政選挙)の争点は、大多数の市民の関心を惹き、しかもその支持を見込めそうな事柄——景気・雇用対策や福祉の充実など——に絞られる傾向があり、それ以外の問題はいかに重要なものであるとしても選挙の主要な争点にはなりにくい(このことは、最近行われた都知事選によっても確かめられた)。

 この難点をある程度カバーしうるのが世論調査であり、それによって、個々の争点をめぐる市民の意志がどのように分布しているかを知ることができる。それは、内閣支持率や政党支持率のように、政府や政党が民意の支持をどれだけ得ているかを示すだけではなく、特定の争点について市民がどのような政策を支持しているか(ないしそれに反対であるか)をとらえることができる。とはいえ、世論調査を通じて個々の争点についての民意が明らかになるとしても、政府がその民意を尊重し、政策の転換をはかることになるかといえば必ずしもそうではない。政府に正統性を与えるのはあくまでも選挙を通じて示されるフォーマルな民意であり、世論調査が個々の争点について示すインフォーマルな民意ではないからである。

 たしかに、投票によって個々の争点についてフォーマルな民意を問う制度としては、住民投票などの直接投票の制度がある(現時点でもし原発再稼働について直接投票を実施すればそれに否定的な意志が多数を占めるだろう)。しかし、直接投票を実施するためにはまず議会で多数派を占める必要があり、それは選挙によって決まる。

 このように、選挙において示される民意は必ずしも重要な政策争点に関する民意とは一致しないという問題がデモクラシーにはつねにつきまとっている。

 この問題をすっきりと解決するソリューションはないが、それに対応することができないわけではない。その一つの途は、法案や政策立案の幅を制約するような——より基層にある——「民意」を形成することである。どのような政府も市民の激しい反撥を招く政策を推進することには躊躇せざるをえない。たとえば、女性を差別的に扱う政策を政府が推し進めることは今日では不可能だろう。それは、性差別を不当と判断する民意がすでに定着しているからである。実際、「戦時性奴隷」についての大阪市長の発言が、この意味での民意による激しい批判を浴び、自身に対する支持を大幅に失う結果を招いたことはまだ記憶に新しい。

 この場合の民意は、長い時間をかけて市民によって妥当なものとみなされ、受け容れられてきた判断ないし確信を指している。それは、選挙や世論調査によって集計されるその時々の「意志」というよりもむしろ市民の間に定着した「公共の意見」(public opinion)である。公共の意見は、意見交換の過程を通じて形成されるものであり、その過程は、ある主張が妥当かどうかの理由の検討(public reasoning)をともなっている。社会における少数派が不当とみなす法の改廃や政策の転換を求めるとすれば、このような市民による意見形成に訴えるほかはない(つまり「数」の力ではなく「理由」がもつ力に訴えるほかない)。

 市民自身が民意を信頼することができなくなればデモクラシーの基盤は崩れていく。それを防ぐためには、民意をその時々の市民の「意志」に還元するのではなく、それが「理由」の検討を通じて形成される過程を重視していく必要がある。「理由」と「意志」を媒介しうる機会をどのように制度化していくか(「ミニ・パブリックス」や「参加型予算」などの制度もある)。これがデモクラシーの存続と活性化にとっての鍵である。

齋藤 純一(さいとう・じゅんいち)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】

1958年、福島県生まれ。プリンストン大学客員研究員、横浜国立大学教授を経て2004年から現職。専門は政治理論。主な著書に『公共性』(岩波書店、2000年)、『自由』(岩波書店、2005年)、『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』(岩波書店、2008年)、主な編著に『表現の<リミット>』(ナカニシヤ出版、2009年)、『社会統合――自由の相互承認に向けて』(岩波書店、2009年)、『アクセス デモクラシー論』(日本経済評論社、2012年)、『岩波講座政治哲学第5巻 理性の両義性』など。主な論文に「政治的空間における理由と情念」『思想』(岩波書店、2010年)、「場所の喪失/剥奪と生活保障」『原発政策を考える3つの視点 震災復興の政治経済学を求めて③(早稲田大学ブックレット「震災後」に考える 27)』(早稲田大学出版部、2013年)など。主な翻訳にロールズ『政治哲学史講義』(岩波書店、2011年)、アーレント『アイヒマン論争』(みすず書房、2013年)など。