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西原 博史(にしはら・ひろし) 早稲田大学社会科学総合学術院教授 略歴はこちらから

解釈になっていない閣議決定は0点答案
──集団的自衛権問題と憲法9条のいま

西原 博史/早稲田大学社会科学総合学術院教授

1)憲法が守っているもの

 憲法は「空気のよう」に個人の自由を守っています。私たちが問題提起発言をしても処罰されないのは、日本国憲法が表現の自由を保障しているからです。自分たちの手で憲法を変えてしまえば、国家権力が好き勝手に国民を弾圧できるような世の中だって作れます。表現の自由を保障する条文に、「公益を害するときは別」と書き加えればいいだけです。自民党の2012年憲法改正草案がやっているように。

 それでは、国民投票による正式な改正手続を動かさなければ、個人の自由は安心なのでしょうか。そう単純でもありません。憲法12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と書いてあります。気を抜いてはいけないみたいです。

2)「集団的自衛権行使容認」の閣議決定

 2014年7月1日、安倍政権は集団的自衛権行使容認の閣議決定を行いました。集団的自衛権とは、同盟国への武力攻撃があった時に、それを自国への侵略とみなして攻撃国に反撃する、国際法で認められた国家の権利です。これを、日本は憲法9条があるから使えない、としてきました。

 権利があるのに使えないのはヘンだ、と言う人がいます。個人の正当防衛と同じだ、とする議論もあります。しかし、あなたに熱いラーメンを食べる権利がある時、暑い日にラーメンを食べない権利もあります。そして、20人ほどの暴力団に1人が襲われている現場に出くわした時、あなたには、大立ち回りを演じてその1人を助ける権利があります。が、その20人があなたをなぐり殺すかもしれません(違法ですが、あなたは救済されません)。なので、あなたの命を優先しても、誰も非難しません。国家レベルで考えるなら、国民の命を守ることを優先するのは当然の判断でしょう。

 それでも7月1日の閣議決定は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」に際して、一定範囲で「必要最小限度の実力を行使する」ことを認めました。それによって失うものは大きいでしょう。これまで憲法9条を理由に、武力行使の誘いを断ってきました。それは利害関係が錯綜する世界の中で、平和国家・日本に対する信頼を勝ち得る重要な途でした。この理由を手放そうとしているのです。

3)閣議決定で憲法の中身を変えられる?

 それでは、この閣議決定で日本国憲法の意味が変わったのでしょうか。実際には、そこで変更されたのは「政府解釈」です。解釈の一つです。

 もともと憲法は、国家百年の計を考え、国としてやってよいこといけないことを決めるものです。将来の問題にも対応できるよう、抽象的に書いてあります。「通信の秘密」(21条2項後段)を保障しているので、制定時には誰も想像していなかったメールも、権力の盗み見から守られます。このように、今の時代に憲法の言葉がどういう意味なのかを考える作業が、「解釈」です。この解釈を施して初めて、憲法は意味を持つのです。

 そして、憲法を読む人の数だけ、解釈があります。法律を作る時にも、国会は憲法解釈をして、この法律ならば憲法違反ではないだろうと考えるわけです。しかし、法律が憲法に反すると裁判所が判断したら、その法律は無効になるお約束です(81条)。裁判所によって、国会の解釈は間違いだったと断ぜられるわけです。すでに8つの法律条文が9回の最高裁判所で憲法違反とされています。

 また、裁判所だって憲法解釈を変えられる。普通に使っていた法律が、次の裁判で憲法違反だとされることだってあります。なので、今日の憲法の正しい解釈が何なのかは、誰にもわかりません。私が授業で学生に憲法の内容を説明する時、最高裁判所の立場も説明しますが、場合によっては、それとは異なる私の解釈も伝え、どっちが説得力があるのか考えてもらったりします。

4)新しい解釈の法律化という次の段階に向けて

 7月1日の閣議決定は、国会に新しい法律案を内閣として提出する時に前提とする憲法の解釈のしかたを紙に書いてみました、というだけのことです。私が授業で「憲法9条の正しい意味はこうですよ」と喋るのと同じ、事実レベルの話であって、憲法の内容に変更をもたらしません。

 ただ、これから先、新しい憲法解釈をもとに国会で法律が制定されていくと、法秩序にとっての既成事実ができあがります。もちろん、憲法違反の法律かもしれないので、その効力はあくまで仮のものです(そう言ってしまえば、実は、自衛隊が憲法9条に違反しないという立場も、最高裁判所で是認されていない、仮のものですが)。

 そして、そこで問題になるのは、なぜ集団的自衛権の行使が憲法上、許されると言えるのか、です。集団的自衛権が行使できないという話は、これまでの政府解釈では、憲法9条2項の「戦力保持の禁止」から導き出されていました。自衛隊はあくまで、日本が攻められた時のための必要最小限度の実力だから、「陸海空軍その他の戦力」ではない、でも、日本が攻撃されてもいないのに出ばっていって武力行使するなら、それは軍隊そのものじゃないか、という論理です。

 実は閣議決定は、集団的自衛権を行使できる自衛隊がなぜ軍隊でないのか、全く説明していません。憲法の単位がかかった学生の答案なら、「解釈になっていない」という理由で、零点です。そんな解釈でない政府解釈で国会審議に耐えるのかが、まず問われます。

5)憲法を尊重する意思が問われる

 最も深刻なのは、こんな零点答案でもよいと想定されていることです。確かに憲法は“言の葉”に過ぎません。確定的な意味だって、そこにはありません。しかし、やってよいことといけないことを言葉で書き表し、その「意味」をめぐって様々な解釈の説得力を比べあい、納得できる国家権力のあり方を作っていこうとしたのが、近代立憲主義です。

 最も民主的な憲法だと言われたドイツのワイマール憲法が、ナチスによって壊されていったとき、正式な憲法改正手続は動きませんでした。ヒトラーに全権を集中させる法律が、普通の法律として制定された(1933年)だけです。憲法を尊重する意思が失われた時、憲法は死んでいきます。

 憲法12条が国民に「不断の努力」を求めるのは、憲法が、共通の権力ルールとして尊重する人々の意思に基づいてしか生きていけないからです。その意味でも、憲法は国民の手の中にあります。国会や最高裁判所に向けて憲法の正しい読み方を作っていくのも、国民にしかできないことなのです。

西原 博史(にしはら・ひろし)/早稲田大学社会科学総合学術院教授

【略歴】

1958年生。早稲田大学法学部卒、大学院法学研究科修了、博士(法学)早稲田大学。専攻は憲法学。著書に、『良心の自由』(増補版、2001年、成文堂)、『平等取扱の権利』(2003年、成文堂)、『良心の自由と子どもたち』(2006年、岩波新書)、『自律と保護』(2009年、成文堂)ほか。2014年4月には、憲法の意味と解釈のしかたを小中学生向けに説明する『うさぎのヤスヒコ、憲法に出会う』(太郎次郎社エディタス)を上梓。