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井上 達彦(いのうえ・たつひこ)早稲田大学商学学術院教授 略歴はこちらから

「ありえない!」ことの素晴らしさ
定説を覆すブラックスワンの発見

井上 達彦/早稲田大学商学学術院教授

業界の常識を覆す実践の論理

 「ありえない」と思っていたことを目の当たりにしたとき、人は慌てふためき、右往左往してしまうものです。あとで、それが起こった背景や原因を聞いてみると「知っていればもっとうまく対応できたのに」と悔やむことでしょう。

 文芸評論家のナシーム・ニコラス・タレブは、「ありえない」ことをブラックスワンにたとえました。ヨーロッパの人たちがオーストラリア大陸に渡り、そこでブラックスワンを発見するまで、黒い白鳥の存在は「ありえなかった」からです。

 このブラックスワンの発見が、学術の世界ではたいへん役に立ちます。通説では説明しきれなかった新しい論理を発見するまたとないチャンスとなるからです。

 ブラックスワンが発見をもたらすというのは実務の世界でも同じです。今から40年以上前のお話ですが、日本の家具の業界団体の一行が、アメリカへの視察ツアーでブラックスワンに遭遇しました。

 「こんな安いはずがない。」「このような陳列の方法はありえない。」

 家具店の経営者たちは多かれ少なかれ、そう感じたに違いありません。商品価格は日本の3分の1程度に抑えられていました。展示方法もアイテム別ではなく、生活空間にコーディネートされた形で提案されていました。価格面でも生活水準面でもアメリカの豊かさを実感させられたそうです。

 そして、参加した経営者の中で、本当の意味でブラックスワンに向き合った唯一の人物が、似鳥昭雄さん(2014年現在株式会社ニトリホールディングス社長)だと言われています。似鳥さんは、創業間もないころ経営危機に陥り、藁をもすがる思いでこのツアーに参加していました。

 なぜ、価格をここまで下げることができるのか。彼は、表層的な部分だけではなく経営の仕組みにまで深く潜り込み、多面的に分析しました。そして、アメリカでは200店舗を超えるチェーンストアオペレーションによって、標準化と効率化が高い水準で実現していたということを発見したのです。

 当時、日本では「5店舗以上出店すると目が行き届かず倒産する」と言われており、これが業界の定説となっていました。この定説を疑い、アメリカのチェーンストアの数々の事例を徹底的に研究して生まれたのが、「お、ねだん以上。」で知られるニトリです。創業者である似鳥昭雄さんは、異国で見つけたブラックスワンから、業界の常識を覆し、家具とホームファッションのチェーンストアという業態を打ち立てたのです。

将来を先取りする事例研究

 「ありえない」というブラックスワンのいくつかは、純粋に「不確実性」や「ランダム性」から生まれます。しかし、世の中には無知から来るブラックスワンというのもあります。その時点の知識では、十分に解明されていなかったり、解明されていても知れ渡ってはいなかったりすることがあるのです。

 このようなブラックスワンを発見するのに最も適した方法の一つが、事例研究です。なぜなら、統計学の発想だとブラックスワンを「はずれ値」(統計において他とは大きくはずれた値、いわば1%にも満たない発生確率でしか観測されないような値)として分析対象から外してしまうからです。

 統計的な分析をする時、はずれ値があると、全体の傾向を乱してしまいます。はずれ値を入れたまま分析すると、全体の傾向がうまく数字に出てきません。それゆえ、原則として、統計分析では「はずれ値」を集計対象から除外します。

 一方、事例研究では、「はずれ値」を捨てるようなことはしません。むしろ「はずれ値」に注目して研究をします。たとえば、将来の動きを先取りするようなものを「先端事例」と位置づけ、これを詳しく観察します。

 またあるいは、大多数とは異なる「逸脱事例」を見つけて、なぜ逸脱したのかを調べることで、これまでの常識を疑い、いままで気づかなかった要因を浮き彫りにします。

 実は、マネジメントの学会では、現在の統計学の大ブームが起こる前から統計学をベースにした研究が主流で、多くの論文が学術雑誌に掲載されてきました。掲載比率では、全体の約9割を占めています。

 しかし、その反面、ベストアーティクルとして最優秀論文賞を受賞するような論文となると、事例研究の存在感が増します。最近の傾向を見ると、米国の学会、アカデミー・オブ・マネジメントが発行する学会誌では約50%が事例研究によるものです(2000年代から2013年現在)。

 拙著『ブラックスワンの経営学──通説をくつがえした世界最優秀事例研究』日経BPでも解説しましたが、事例研究には、統計学的研究にはない素晴らしい力があります。われわれも普段の生活で身近に行っているものです。ブラックスワンを見つけ、日々のビジネスに幅広く役立ていただきたいと思います。

井上 達彦 (いのうえ・たつひこ)/早稲田大学商学学術院教授

【略歴】
1997年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了、博士(経営学)。広島大学社会人大学院マネジメント専攻助教授、早稲田大学商学部助教授(大学院商学研究科夜間MBAコース兼務)などを経て、2008年より現職。独立行政法人経済産業研究所(RIETI)ファカルティフェロー、ペンシルベニア大学ウォートンスクール・シニアフェローなどを歴任。

【主要著書】
『模倣の経営学-偉大なる会社はマネから生まれる』(日経BP、韓国、台湾、タイで翻訳)、『キャリアで語る経営組織 -個人の論理と組織の論理』(共著、有斐閣)、『収益エンジンの論理-技術を収益化する仕組みづくり』(編著、白桃書房)、『事業システム戦略-事業の仕組みと競争優位』(共著、有斐閣)、『変貌する日本企業の戦略インフラ』(共著、白桃書房)、『情報技術と事業システムの進化』(白桃書房)、『コピーキャット―模倣者こそがイノベーションを起こす』(監訳、東洋経済)、『日産V-upの挑戦』(監修、中央経済社)