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加藤 恵美(かとう・えみ)/早稲田大学政治経済学術院助教  略歴はこちらから

震災を切る、震災によって切る──東北朝鮮学校の被災と再建

加藤 恵美/早稲田大学政治経済学術院助教

 仙台市八木山の高台にある東北朝鮮初中高級学校(東北朝鮮学校)。学校を取り囲む木々の紅葉も美しいこの季節、屋外で行う朝礼には、カモシカが参加することもあるという。その歴史を紐解きつつ、2011年の大震災によって東北朝鮮学校が変化へと歩みを進めた経緯を述べたい。

朝鮮学校の歴史

東北朝鮮学校に至る八木山の小道から。犬と散歩する人たちを見かける。

 東北朝鮮学校には、在日朝鮮人の子どもが通っている。彼らは朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった時代に、当時は日本国民として朝鮮半島から日本に移住してきた人びとの子孫で、その多くが4世世代である。在日朝鮮人は、1945年までの数十年にわたり日本各地で労働力不足を補い、その数は200万人を越えた。そのうちの多数は、日本の敗戦による植民地支配からの解放直後に朝鮮半島へ帰還したが、その一方で在日生活が既に長くなっていた人びとを中心に、およそ60万人が日本に残った。2014年現在、日本国籍をもたない在日朝鮮人はおよそ35万人である。加えて、日本政府の統計情報からは知ることができない、日本国籍を持つ在日朝鮮人も多くいる。

 終戦直後、自由な教育に飢えていた日本の人びとは、多くの学校を設立した。その中で在日朝鮮人は、彼らが彼ら自身であるための「ことば」を取り戻そうと、朝鮮語を教え学ぶ国語講習所を全国各地に設立した。1948年の時点で、全国642の国語講習所に6万7千人を越える在日朝鮮人の子どもが通ったといわれている 1 。その後、国語講習所は朝鮮学校となり、「国民の育成を期」する(教育基本法第1条)日本の公教育の一部として、ローカルな多様性をもって運営された時期もあった。1951年からしばらくの間、東京都・大阪府・兵庫県・愛知県では公立の「朝鮮人学校」(全33校)として、またその他多くの地域では公立学校の課外学級あるいは全日制の特別学級(13府県、77学級)として、である 2 。

 このような教育体制は、1952年、日本の主権回復と同時に在日朝鮮人が日本国籍を喪失した時に一変した。在日朝鮮人はもはや法的に日本国民ではなくなったという理由で、朝鮮学校は日本の公教育から排除されたのである。しかし当時の在日朝鮮人の生活はとても貧しく、彼ら自身で朝鮮学校を運営し続けるための資源など持っていなかった。そのような中で支援の手を差し伸べたのが、朝鮮民主主義人民共和国政府(北朝鮮政府)であった。1957年に北朝鮮政府が最初に送った教育援助費と奨学金は、在日朝鮮人には「生命の水」として受け止められたという 3 。つまり、1952年に日本の公教育が朝鮮学校を排除しなければ、朝鮮学校と北朝鮮政府との関係は違うものであったかもしれない。

 これに対し日本の地方自治体は、1960年代以降、朝鮮学校に学校法人格を認め免税措置の対象にし、また補助金を拠出することで、日本の公教育から排除された朝鮮学校を支えてきた。それは朝鮮学校が、「日本国民」を育てる学校ではなくなったとしても、日本の地域社会の一員を育てる学校であり続けてきた、という認識に基づく 4 。歴史を経て、現在の朝鮮学校運営の資源は、そのほとんどが在日朝鮮人によって賄われるようになった。故に、今はこの地方自治体の支援の方こそが、朝鮮学校にとって死活的なものになっている。

東北朝鮮学校の被災と再建

 さて1965年、東北地方で暮らす在日朝鮮人は、東北の中心地である仙台に、東北6県の彼らの子どもが寄宿生として、あるいは通学生として学ぶ東北朝鮮学校を設立した。そして、その設立45周年を祝った半年後の2011年3月11日、東北の多くの学校がそうであったように、東日本大震災により被災した。八木山の高台にある校舎が受けた被害は、主に地震によるものであった。幸いにも学校関係者の身体は無事であったが、生徒と教師、卒業生のさまざまな思い出がつまる4階建ての校舎は、この震災によって「大規模半壊」し、立ち入ることさえできなくなった 5 。

 東北朝鮮学校はその再建にあたり、一切の日本の公的支援を受けられていない。日本政府は激甚災害制度に基づき、広く私立学校施設の再建費用の2分の1を負担する 6 が、東北朝鮮学校の適用申請を認めていない。加えて、宮城県は2011年度以降 7 、仙台市は2012年度以降 8 の朝鮮学校への補助金の支給を停止した。このような宮城県と仙台市の態度は、2010年の東京都の決定に始まった、地方自治体の朝鮮学校に対する補助金支給停止の全国的な流れに棹さすものである。つまり共通の被災経験にもかかわらず、朝鮮学校の日本社会からの重層的な排除が進むこの数年間の動きに、宮城県と仙台市は抗わなかった。私はそこに、日本における多文化共生の危機が表れているのではないかと思った。

 東北朝鮮学校の教師は、この現状をどうみているのだろうか。それを知るために、私は東北朝鮮学校を訪ねた。

 お会いした同校の教頭は、私よりもずっと冷静であった。彼は、「われわれの側にも責任がある」と語った。在日生活において受けてきた積年の差別と、不可抗力としての被災と、その後の再建にあたり新たに受けた深刻な差別にもかかわらず、である。

東北朝鮮初中高級学校(東北朝鮮学校)

 そして教頭は、学校設立50年を迎えた今年に「震災を切る」のだといった。激甚災害制度適用のために積み立てられた資金は、震災後から「仮校舎」として用いていた寄宿舎を「校舎」として利用するための改修費用にあてた。そして、教員になりたての若い教師のための寮を学校敷地内に整え、就労環境を改善した。更に、被災直後の避難所間での衣食住の支え合いに始まった、近隣の公立小中学校との交流も本格化した。こうして「震災を切る」ことを通じて学校を「変える」ことは、東北朝鮮学校がより多くの東北の在日朝鮮人にとって魅力ある学校になるためになせる、あるいはなすべき重要なことだ、と教頭は語った。

 現在、東北朝鮮学校に通う子どもの数は、小中学生合わせて18人であり、震災前に比べ7人減った。この生徒数の減少は、被災により加速された面をもつものの、より長期的な傾向でもある。東北朝鮮学校には、かつて生徒が千人近く在籍していたこともあった。日本社会も、在日朝鮮人社会も、東北の社会も、こうして高齢化が進んでいる。その中で被災した東北朝鮮学校の「再建」とは何か。それは、被災し壊れた校舎を建て直すことに留まるものではなく、被災前の学校に戻ることでもなかった。代わりにそれは、学校を創造的に変化させるために「震災を切る」こと、あるいは根源的に大切なものを残すために何かを「震災によって切る」ことだといえるかもしれない。

おわりに

 仙台市は補助金停止の理由として、東北朝鮮学校で学ぶ生徒数が少ないが故に充分な「教育効果」を見込めないことを挙げている。しかし、朝鮮学校は、「日本人」に対する重要な「教育効果」を持っている。なぜなら朝鮮学校は、日本の戦争と戦後、そして植民地支配と植民地支配後の歩みにまつわる、「日本人」が忘れてしまいたい、しかし忘れてはならない過去を鋭く照らす存在であるからだ。そのような存在がひとつでも失われることは、日本社会にとっても重大な損失である。ここに述べた東北朝鮮学校の変化の先に、少なくとも仙台市の補助金の再支給はありうるのかもしれない。けれども、地方自治体は地域社会の「日本人」に対する「教育効果」という理由に基づいて、朝鮮学校に補助金を出し続けることもできるはずだ。

※このレポートは、東北朝鮮学校教頭の崔志学先生のご協力を得て作成したものである。この場を借りて厚くお礼申し上げたい。
※今回の東北朝鮮学校の訪問は、科学研究費補助金(15K21445、代表者:加藤恵美)の助成を受けたものである。

^ 1  小沢有作『在日朝鮮人教育論-歴史編』亜紀書房、1973年、200頁。
^ 2  金徳龍『朝鮮学校の戦後史-1945~1972』社会評論社、2004年、111-131頁。
^ 3  金『朝鮮学校の戦後史』、167頁。
^ 4  例えば、佐藤栄佐久福島県知事(2001年当時)は、「(朝鮮学校に通う)この子らは日本国民ではないが、福島県民だ」と、福島朝鮮初中級学校(福島県郡山市)に支給する補助金を倍増させたことがある(「朝鮮学校のいま 郡山からの報告(2)困窮 寄付減り運営に支障」(河北新報、2009年2月23日))。
^ 5  被災直後の様子については、2011年10月の山形国際ドキュメンタリー映画際で上映された『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』(制作:コマプレス)が詳しい。
^ 6  「私立学校建物其他災害復旧費補助金交付要綱(東日本大震災に係る私立専修学校等災害復旧事業)」(平成23年[2011年]9月21日 23文科生第420号 文部科学大臣裁定)。
^ 7  「朝鮮学校への公費補助 宮城県、打ち切り 2011年度」(河北新報、2011年3月31日)。
^ 8  「朝鮮学校への補助金を停止 仙台市」(河北新報、2013年2月28日)。

加藤 恵美(かとう・えみ)/早稲田大学政治経済学術院助教

【略歴】

1975年愛知県生まれ。国際基督教大学卒。政治学博士(早稲田大学、2012年)。(株)三菱総合研究所研究員、日本学術振興会特別研究員、早稲田大学政治経済学術院助手などを経て、2013年より現職。専門は、国際関係論、国際文化学、人の国際移動研究。

【主著】

『川崎市政の研究(自治総研叢書)』(共著、敬文堂、2006年)、『多民族化社会・日本』(共著、明石書店、2010年)、『国際文化関係史研究』(共著、東京大学出版会、2013年)。