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今関 源成(いませき・もとなり)/早稲田大学法学学術院教授  略歴はこちらから

個人の表現活動と民主主義――9条俳句事件を契機に

今関 源成/早稲田大学法学学術院教授

報道・表現の不自由

 総務相による停波発言、「民主主義に対するイメージ(筆者注:多数決)で放送していけば、政府と真逆になることはありえないのではないか」、「政府が右って言っているものを我々が左と言うわけにはいかない」との見識を示す人物のNHK会長への任命など、マスコミへの露骨な介入が公然と行われている。ヘイトスピーチ規制の法制化にあたっての表現の自由の強調とは対照的だ。マスコミ自身も幹部が首相と頻繁に会食するなど権力監視機関としての独立性に疑念を持たれている。これに対して、安保法制反対や反原発など一般の市民や学生の民主的意見表明に対する期待は高まっている。しかし同時に、政権批判を許さない空気の広がりも感じられる。たとえば、9条Tシャツを着用して歩いていただけで警察官に職務質問され、市の施設で従軍慰安婦パネル展が拒否され、都美術館では「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止」との文面を貼り付けた作品(中垣克久「時代(とき)の肖像―絶滅危惧種」)に、都現代美術館では「檄」(「文部科学省に物申す」と教育政策を批判する会田誠一家の作品)に撤去要請がなされ(会田は拒否)、姫路では「駅前文化祭」での労働組合の寸劇「安倍政治にノーと訴えましょう」が公序良俗違反で中止させられた(提訴後に市が謝罪)等々。

表現の政治性と行政の対応

「梅雨空に『9条守れ』の女性デモ」、この9条俳句の掲載拒否事件は訴訟となり、市側は①憲法9条の解釈変更が「世論を二分する」「大きな政治問題」となっていた、②市は「中立性や公平性及びこれに対する市民の信頼」に留意する義務を負う、③「『9条守れ』のデモの光景を詠んだ」俳句の掲載は、「公民館だより」に「『9条守れ』とのデモの主張を表示すること」になり「中立性や公平性と相容れない」、④本件俳句の掲載が公民館の政治的意図によるという「誤解」を受けては「市民の信頼を確保」できない、と主張した。

 表現の自由の保障は、政治的事柄に関する自由闊達な議論が民主主義の前提だという認識に基づく。表現の自由なき民主主義はない。最終的には多数決で決めるにしろ、決定過程で意見を表明できるから、多数決で敗れた者もその限りで決定を受け入れる。これは政治家の世界だけでなく、広く社会にも妥当する。とすると、世論を二分する政治的問題こそ議論を広く活発に行うべきであって、論拠①はむしろ掲載拒否から正当性を奪う方向に機能する。

 論拠④は、政治デモを警備したら警察はデモの政治的立場の支持者と誤解されるから警備してはいけないという類のものである。実際には警察は正当なデモを敵対的聴衆から守る義務を負う。むしろ行政も表現活動に政治的立場を超えて配慮すべきことになるではないか。論拠③も作品の政治性(「9条守れ」の立場)を行政の中立性違反と直結するが、両者は峻別すべきである。市にとってはクレームに対する危機管理の問題なのであろうが、作者の立場は市とは別であり、市は公正な手続で選考を行ったと説明すれば、「市の中立性」に対する嫌疑は簡単に晴れてしまいそうである。作品掲載拒否による表現の自由侵害のリスクを冒すのでなく、市はこの説明責任を果たすべきである。

民主政治と表現の自由

 政権批判の要素以外に理由らしい理由のない事件における公的機関の対応には、クレーマーの影に怯える弱腰と責任回避、政権の意思や社会の大勢を忖度する卑屈さ、表現の自由の侵害への加担の自覚の欠如などによって大勢に抗して声を上げるのが困難な言論空間の構造が垣間見える。作品に異論がある者は権力を利用して表現を止めるのでなく、作品についての意見を伝えるべきだ。「言論には言論で」(モア・スピーチ)、それが表現領域での原則である。少なくとも公的機関による系統的プロパガンダではないのだから、公的機関も自己の正当性を説明すればよい。不可視の大勢と権力を背景にクレーマーと公的機関が政治性をあげつらって特定の表現を排除するのでは、言論の場は荒廃してゆくだけである。

 憲法改正規定の先行改正論が主張された時、発議要件緩和で国民投票による主権者国民の出番の増加が説かれ、司法制度改革では国民は統治主体に転化せよと促された。そこでは国民の政治的主体性の回復が強調されたが、民主主義にとって肝腎要の通常の政治過程では、その前提条件となる自由な表現活動が制約を受け、個人の政治的主体性が否定されている。個々人の積極的な意見表明の積み重ねのうちにしか「主権者国民」は立ち現れないのだから、国民主権、民主主義を真剣に考えるのであれば、多数決の前提としての表現の自由の保障にこそ最大限の配慮が払われなくてはならない。忖度に基づく沈黙の言論空間から脱出して、自由でオープンな討議を試みる個人やメディアの営為を「民主主義者」であれば妨害してはならない。

今関 源成(いませき・もとなり)/早稲田大学法学学術院教授 憲法学

【略歴】
1957年生。1979年早稲田大学法学部卒業、1984年同大学院法学研究科博士課程満期退学。
「検察審査会の強制起訴―『統治主体』としての『国民』」法律時報83巻4号(2011年)、「刑事裁判への『国民参加』とは何か」憲法理論研究会『政治変動と憲法理論』(敬文堂・2011年)、「『大学の自治』と憲法院」早稲田法学87巻2号、「フランス憲法院への事後審査制導入」同85巻3号、『フランス法律用語辞典(第3版)』(中村・新倉・今関共同監訳)三省堂(2012)など。