早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 国際

オピニオン

▼国際

宮下 史明(みやした・ふみあき) 早稲田大学商学学術院教授(経済地理学) 略歴はこちらから

ブータン王国に学ぶもの
―GNPからGNHへ―

宮下 史明/早稲田大学商学学術院教授(経済地理学)

 GNHという言葉を聞いたことがありますか。この言葉は英語のGross National Happinessの略語で、日本語では国民総幸福量と訳されている。この言葉を最初に用いたのは、ブータン王国の4代目国王のジグメ・センゲ・ワンチュックである。同国王が1976年にコロンボの会議で、“Gross National Happiness is more important than Gross National Product.” と発言したことに始まる。このGNHという考えは、当時の世界の主流であったGNP(国民総生産)・経済成長至上主義に疑問を投げかけるものとして国際的にも注目され、国際会議も何度か開催された。

 何故、ブータンの4代目国王がこのような発言をしたのだろうか。ブータンは中国とインドに挟まれたヒマラヤの小国である。国土面積は4.65万平方kmと日本の九州の1.1倍、人口も約65万人と少ない。ブータンはシャングリラ(桃源郷)とか秘境と言われて来たが、過去に一度も植民地にもならず、永らく鎖国状態の国だった。こんな国と欧米や日本、中国などの大国とGNPの比較をしてもかなわない。しかし現実のブータン国民はもっと幸せに暮らしているのではないか、そこで何か別の指標で測定して見ようということになった。 私はGNHの概念を知るために、本年8月にブータンを訪ねた。

 GNHには4つの柱がある。日本語訳は人によって若干異なるが、(1)持続可能で公平な社会経済開発、(2)自然環境の保護、(3)有形、無形文化財の保護、(4)良い政治の4つだ。この考え方はチベット仏教の考え方に根ざしているという。貨幣的・物質的な尺度とは全く異なる。精神的な面も考慮している。この考えに賛同する人も多い反面、勿論反対意見もある。その最大のものは、どうやってこれを数値化して測定し、国際比較できるのかという点だ。これは確かに困難な作業だ。しかしこのようなGNHの考え方で国際比較すると、ブータンの国際的地位は非常に高くなると言う。それはブータン人の大部分は、自分達は現在幸福だと考えていることから分かる。またブータン人は自分たちの幸福より他人の幸福の方が大切だと考えている国民だ。ブータン人の約80%はチベット系、残りの20%はネパール系などだ。宗教も大部分はチベット仏教徒。言語は20ほどの方言があるが、国語のゾンカ(語)に統一されている。しかし学校教育は、国語とブータン史を除いて全て英語で行なわれている。

 ブータンはこれまで絶対王政であった。聡明な4代目国王の発案によって、この3月に初の国政選挙を行い、首相を選出し、立憲君主制の国家へ民主的改革・近代化を行なってきた。若者たちの夢はインドや欧米の大学に留学し、帰国して官僚になることだ。教育にも非常に熱心で教育費は無料である。また手工業や職業訓練にも力を入れている。また優れた僧侶は尊敬され、民衆の生活に深く関わっているので、早くから僧院に入る者も少なくない。また死亡した場合、輪廻転生を信じている国なので、火葬し遺骨は川に流す。従ってお墓もない。また基本的な医療も無料だ。

 自然保護の面ではブータンとネパールは異なる。ネパールは積極的に登山隊を受け入れている。ブータンでは山には聖霊が住んでおり、信仰の対象だ。未だに20ほどの高山は未踏峰であり、山腹にトンネルを掘るなどもっての他だ。そのため道路は3000m級の峠を幾つも上り下りする。渓谷が深く橋がなかなか架けられない。国道1号線の開通によって、自給自足・物々交換経済から市場経済に移行してきた。道路は地形的に無理して造っているので、雨期には土砂崩れが頻発する。そのためブータンでは森林の伐採を原則的に禁止し、積極的に植林し、国土の約72%が森林だ。ネパールでは大規模な森林伐採の結果、洪水で自国だけでなく下流の国々にも重大な被害を与えている。

 この国の人々の約80%は農民だ。米やそば、果実、野菜などを栽培しているが、その生産高も充分でなく、また品質も良くない。進んだ農業技術の導入、品種改良、流通組織の改善などによって、もっともっと豊かになれる。ブータン自身も経済的自立・発展を図っていかねばならない。対外収支では電力のインドへの販売がトップで、観光収入がこれに次ぐ。ブータンの市場規模では工業製品の自給は困難で、勢い大部分の工業製品はインドなどから輸入されている。

 ブータンは一見すると幸福な国である。しかし現実には各国から多額の支援を受けている。インド、日本、スイス、デンマーク、オランダなどが主要援助国である。意識的にアメリカ、ロシア、中国などの大国からは多額の援助を受けていない。ブータンが国際社会の中で生き残っていくためには、どうしても国際的な資金・技術援助が必要だ。このような小国が大国に混じって国連の中で独立国として生き残っていくこと、それが世界の民主主義であり、また国際平和に繋がる道でもある。11月6日~8日には、ブータン王国の若き第五代国王ジグメ・ケサル・ナムギュル・ワンチュックの戴冠式が行なわれる。ブータン王国の安定した緩やかな発展を願って止まない。

宮下 史明(みやした・ふみあき)/早稲田大学商学学術院教授(経済地理学)

【略歴】

慶応義塾大学経済学部 早稲田大学大学院商学研究科博士課程で学ぶ。その後、オーストラリア国立大学、ロンドン大学(SOAS)など、海外の大学に於いても研究と教育に当たる。

【著書・論文】

「クリントン大統領講演と対話の会」(翻訳)早稲田大学 1993年
「鉄鋼業」『新・日本産業』(分担執筆)所収 日本経済新聞社 1997年
「近世鋳物業の生産構造」『鋳物の技術史』(分担執筆)所収 日本鋳造工学会 1997年