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桜井 洋(さくらい・ひろし)早稲田大学国際教養学部 略歴はこちらから

「もののあわれ」と弱者の哲学

桜井 洋/早稲田大学国際教養学部

グローバル化と日本社会

  グローバル化の時代に共有される価値観は競争であるといわれている。それは強者の価値観である。競争社会で勝ち抜くためには終身雇用制のような非効率な要素を排除し、日本の社会を真に競争的にしなければならない。このような考え方のもとで大いに改革を行ったものの、日本社会はむしろ逆にデフレに突入してしまい、日本の将来に関する悲観的な見方が広がっているように思われる。明治以来、日本は脱亜入欧の道を選び、産業社会を建設し富国強兵にいそしみ、帝国主義国家となった。強者の価値観はこの産業社会の価値観にほかならない。

反ディシプリンの哲学

 日本の経済的な苦境とは裏腹に、日本のポップカルチャーは世界的に注目の的となっている。アニメや漫画に代表される、いわゆる「オタク」文化である。オタクは社会的な強者と対極にある存在と目されてきた。だが歴史をひも解くと、それは意外にも日本文化の正統の系列にあるのである。

 ドイツの哲学者ニーチェの思想は、強者の哲学である。ヨーロッパにおいてキリスト教道徳によって個人は自律性を失い、弱者となり果てた、と彼はいう。道徳、規範などは哲学者フーコーの言葉を借りれば、ディシプリンである。近代化とともに、西欧文化の支柱であった神が死んだ。それがニヒリズムを招いたのだ。いまや人間は神の死という最大の無意味に耐えうる強者とならなければならない。こうニーチェは考えた。

 興味深いことに、日本においてもニーチェと同様に規範的なディシプリンを批判した学者がいた。江戸期の国学者、本居宣長である。だが、彼の結論はニーチェと正反対であった。宣長の思想は、いわば弱者の哲学なのである。宣長が批判した相手は、儒教であった。それは封建道徳の支柱であり、道徳と規範のディシプリンである。彼がそれに対抗させたのは、「もののあわれを知る」という思想であった。「もののあわれを知る」ことがもっとも典型的に行われたのは平安王朝期である。源氏物語や和歌の世界がそれである。

「もののあわれ」の世界

 当時、律令国家はディシプリンに基づく官僚制国家であり、そこで使用されていた文字は漢字であった。この権力中枢からはずれたところでひらがなが生み出され、それに基づいて和歌が誕生した。こうして王朝時代には男性的な官僚制機構と、女性的なひらがなと和歌の世界という二重の表現世界があった。もののあわれを知る、という価値観は後者の価値観である。それに対して、制度、論理、道徳、規範などは前者の価値観であり、正統な文字としての漢字でそれらは表現されていたのである。

 ではどうして漢字で表現される規範的な、あるいは官僚的な文書では「もののあわれ」に接近できないのだろうか。じつはこのことは20世紀の後半に世界を席巻したポストモダンの思想のテーマであった。男性支配の権力機構、つまり強者の世界ではなんらかの「枠組み」が支配する。その中で上昇するのが立身出世である。個人の主観的な様々な思いというものは、この社会に共有される枠組みから排除されてしまう。ここから、強者であることの意味が知られる。それは個人としての感覚への鋭敏な気付きを捨て、社会的に用意された枠組みによって自身を定型化する、ということなのである。

 要するに、国家、制度、権力、統一、支配、論理、抽象概念、これらが社会を成り立たせる枠組みであり、男性的な強者の世界である。それに対して「もののあわれ」の世界とは個人の感覚や感性を第一と考える世界であり、論理的で概念的な表現からこぼれ落ちるものにむしろ思いを寄せる世界である。競争社会における強者とは前者の世界の住人だから、後者の感性的な世界に立ち入ることができないわけである。この感性的な世界を表現するのに適切な言葉がひらがなであり、文学形式としては和歌だったのである。

 ニーチェと宣長の哲学は対照的である。共にディシプリンを批判しながら、その結論は正反対であった。宣長が提示した「もののあわれ」の思想は、幽玄やわび・さびという価値とも深い関連をもち、日本文化の歴史におけるもっとも大きな水脈であると思われる。

競争社会の行方

 こう考えると、近代日本がとった軍事化、帝国主義化の方向性は日本文化の本流からは大いに外れたところでなされたのである。そうだとすれば、アニメ、漫画、ファッションなどの一見軟弱にみえる文化の系列が台頭してきたことは、日本社会が逆説的ではあるがその本来の姿を取り戻しつつあるのかもしれない。文化的な豊穣は権力や制度、金でどうにかできるものではない。感性の鋭敏性がそれを可能にするのである。がつがつした競争社会は他の国に任せて、「もののあわれ」をとことん突き詰める、という方向性が開けているのかもしれない。

桜井 洋(さくらい・ひろし)/早稲田大学国際教養学部教授

【略歴】

東京生まれ、山梨県在住
東京大学大学院社会学研究科博士課程修了
山梨大学教育学部、早稲田大学商学部を経て現職

【専攻】
理論社会学、特に自己組織性の理論
『ライフスタイルと社会構造』共著・日本評論社
『社会学でとく 現代のしくみ』共著・新曜社
現在、『社会秩序の起源』が近刊予定

http://sakurai.jp