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小口 彦太(こぐち・ひこた)/早稲田大学法学学術院教授 略歴はこちらから

上海万博における盗作問題
知的財産をめぐる中国特有の背景

小口 彦太/早稲田大学法学学術院教授

 最近、上海万博の宣伝曲「2010年はあなたを待っている」が日本の岡本真夜さんの「そのままの君でいて」の盗作ではないかということで、話題をさらっている。「待っている」の作曲者は盗作ではないと主張しているようであるから、もし訴訟になれば、いわゆる「依拠」の有無をめぐって原告、被告双方が証明責任を負うということになるのであろう。 ところで、中国でも、著作権法、特許法、商標法等知的財産権関係の法は二度、三度と改正を経、現在では相当整備がはかられてきており、立法当局も、WTO加盟以来、一連の国際条約に沿う方向で立法作業に従事してきていて、国際条約を遵守しようとの意識も高い。そうした中で、中国で知的財産権がなかなか尊重されないということについて何か特有の事情があるのだろうか。このことを少し考えてみたい。

 今回の上海万博での事件は楽曲の著作権をめぐる問題であったので、この著作権について見てみよう。この点で、中国法研究を専門とする筆者がかねがね気になっていたのは、中国の研究者の論文においても、注記の仕方が相当杜撰なものが多かったということである。それは、執筆者自身の問題もあるが、たとえ執筆者が他人からの引用であることを注記していても、出版社、編集者の側で一律に脚注を削ってしまうという方針にも由来した。筆者は、アメリカの某ロースクールから依頼されて論文を執筆したことがあるが、校正段階で、編集者によって最も厳しくチェックを受けたのは、注記部分であったことを記憶している。これなど、欧米諸国と中国の著作権観念の対蹠的性格を表すものといえる。

 では、翻って、中国で著作権が十分尊重されてこなかったのは、この権利自体の歴史が新しいからだろうか。否、決してそういうことはない。すでに宋代の神宗のとき、「九経」(易経、書経等九種類の経書)を国士監(政府直轄の学校)が編集し、それを保護するために、一般人が勝手にこの本を出版することを禁じたという(いわゆる編修著作物に相当)。もし出版したければ事前に国士監に許可を求めなければならなかったというわけである。この事例を紹介した鄭成思氏は、ヨーロッパの出版特許よりも五百年も前に版権が成立していたと述べられている。注目すべきは、この著作権者が私人ではなく国家であるということである。この、国家が権利主体をなすという構造は、何も古い時代だけのことではなく、中華人民共和国においても同様であった。その典型が特許権についてである。旧特許法(1984年)では、国営企業が特許を得た場合、外資企業による特許などと異なり、他の国営企業がかなり自由にその特許を利用できた。それは、国営企業の財産は国家の財産であり、国家の財産はとりもなおさず全人民の財産である、したがって、全人民所有制企業はどこでもその財産権を行使できるという論理が働いたからである。つまり、何を言いたいかというと、私有財産権が基本的権利として承認され、且つ社会的にも尊重されないところでは、財産権の一種である知的財産権も尊重されないであろうということである。その意味からすると、2007年に制定された物権法が私有財産権と公有財産権の平等を謳ったことは、それまでの「社会主義」中国からすると画期的意義を有すると、筆者は考える。私有財産権保護の趨勢は知的財産権保護にも必ずや有利に働くはずである。近年、頓に知的財産権侵害訴訟が増大していることも、私有財産権観念の発展の反映といえる。

 ただ、中国の知的財産権侵害現象を考えるうえで、看過できないもう一つの構造的問題がある。それは、いわゆる地方保護主義と呼ばれる問題である。地方保護主義とは、地方政府が、行政手段や司法手段を動員して当地の経済的利益を保護するというもので、知的財産権侵害現象もこの保護主義と深く関わっている。「ある地方では、財政収入を増やし、就業を拡大するために、偽物製品を放任し、ひどい場合は偽物業者と示し合わせて“地下経済”をはびこらせている」(馬懐徳「地方保護主義の要因と解決の道」政法論壇、21巻6期、2003年)といった報告がなされていて、それを取り締まるべき法律執行機関が「打仮」(偽物に打撃を加える)どころか、「仮打」(打撃を加えるふりをする)と揶揄されているような有様である。こうした権利侵害現象の背景には、中国の経済発展の地域的不均等、中央と地方の経済利益の不一致、地方党・政府幹部の昇進基準としての経済発展への寄与度といった諸々の構造的要因が絡んでいて、その克服は容易でない。この構造が打破されない限り、中国における知的財産権侵害を食い止めることは容易ではないだろう。

小口 彦太(こぐち・ひこた)/早稲田大学法学学術院教授

【略歴】

1947年、長崎県に生まれる。
1965年、早稲田大学第一法学部入学
現在 早稲田大学法学学術院教授、早稲田大学アジア研究機構長、中国人民大学客座教授
1981年~1982年 ハーバードロースクール東アジア法研究プログラム訪問研究員

【著作】

中国法入門(共著、三省堂、1991年)
中国ビジネスの法と実際(監修、日本評論社、1994年)
唐令拾遺補(共著、東京大学出版会、1997年)
中国の経済発展と法(編著、早稲田大学比較法研究所、1998年)
現代中国の裁判と法(成文堂、2003年)
現代中国法(共著、成文堂、2004年)
Some Observations About “Judicial Independence”in Post-Mao China,Boston College Third World Law Journal Ⅶ,1987.