早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 国際

オピニオン

▼国際

鈴木 恵美(すずき・えみ)早稲田大学イスラーム地域研究機構主任研究員 略歴はこちらから

9.11米同時多発テロから10年
――アラブに春はやってくるのか

鈴木 恵美/早稲田大学イスラーム地域研究機構主任研究員

世界は良い方向に向かっているか

 世界に衝撃を与えた9.11アメリカ同時多発テロから10年が経つ。世界はこの10年、アフガニスタン攻撃やイラク戦争など、9.11に端を発する「テロとの戦い」に振り回されてきた。オバマが大統領に就任しても、中東が戦場であることには変わりなく、中東和平問題も頓挫したままであった。

 アラブ諸国の人々の間で現状に対する閉塞感が充満するなか、突如起こったのがチュニジアのジャスミン革命であり、それに触発されたエジプトの「1月25日革命」、そしてアラブ諸国の政権崩壊である。梃子でも動かないと思われていたアラブの権威主義政権が大衆デモによって倒されたことで、欧米のメディアや識者の間では、今後中東諸国はドミノ式に民主化に向かうという楽観論が広がった。

 しかし、本当にアラブに春は訪れたのだろうか。現段階で、政権が倒れた諸国に春が訪れたと喜ぶのは、いささか時期尚早である。政権が崩壊した北アフリカを中心とするアラブ諸国における春とは、花咲く前に何十日にも亘って砂嵐が続く不安定な季節でもあるのだ。

東欧革命と「アラブの春」

 欧米メディアが「アラブの春」と呼ぶこの楽観的視線は、アラブ諸国の政変と1989年の東欧革命を同一視することに起因している。確かに、「アラブの春」と東欧革命には、民衆のデモにより相次いで堅固な政権が打倒されたという共通点がある。しかし、両地域の革命の背景は本質的に異なっている。

 東欧諸国の国民が求めたものは、政治的自由とその結果としての豊かな社会であった。目指すべき、新たな体制の明確なビジョンがすぐ西隣の西欧諸国に広がっていた。あとは、その理想モデルに従って突き進めばよかったのである。一方のアラブ諸国は状況が全く異なる。もちろん、東欧諸国同様、政治的自由と豊かな社会もアラブの大衆が求めたものであったが、彼らが真に欲したものを一言でいうならば「公正な社会」であった。実は、アラブの大衆が拒否した不公正な社会が形成されたのは、遠い昔のことではない。

 憲法も議会も存在しないカッザーフィーという一人の独裁者が国家そのものであったリビアを除き、実際に政権が倒れたチュニジア、エジプト、イエメンなどでは、東欧諸国が市場経済化に邁進していた1990年代以降、IMFの構造調整を受け入れ大規模な市場経済化が行われていた。国営企業は解体され、中産階級の生活は困窮していった。一方で新興ビジネスマンが台頭し、有り余る資金を背景に政権与党の要職に就き、大統領やその後継者のとりまきとなって政治的権力と経済的利益を手にするクローニーキャピタリズム(寄生資本主義)化が進んだ。つまり、上記のアラブ諸国における政権崩壊は、東欧諸国が民主化という名で歩んできた道、新自由主義的な経済体制を否定するものでもあったのだ。

革命後の混乱

 新しい国家の進むべき道が見えないなか、政権崩壊後の国家運営を担うことになった各国の暫定政権は、デモ隊を構成した諸勢力(仮にデモ勢力と呼ぶ)や野党、宗教勢力など、これまで政治領域からつまはじきにされてきた者達と交渉を重ねながら、手探り状態で国家の枠組み作りに取り組んでいる。しかし、混乱期の為政者は、これまで経験したことがないような困難に直面している。

 政権打倒に大きな役割を果たしたのは、フェイスブックに代表されるソーシャルネットワークを用いた新しい情報伝達ツールであるが、フェイスブックは組織されない大衆を動員して巨大なものを倒すのには有効であるが、多様な意見を調整し、まとめ上げるには極めて不得手である。

 暫定政権と交渉する側にあるデモ勢力は、明確なリーダーシップが不在のまま、分裂と再組織化を繰り返している。しかも、国民はデモと座り込みが、政権に大きな圧力をかけにはてっとり早く効果的であることを知ってしまった。その結果、若者らによるデモが頻発、自分達の要求が満たされなければ路上を封鎖し、時には暴徒化する事態が頻発している。この傾向は特にエジプトに顕著に見られる。

羅針盤のない船出

 それでも、これらの混乱がアラブ型民主主義を構築するための産みの苦しみであるのならいいだろう。しかし、エジプトなどの暫定政権は今のところ時には感情的になる世論に妥協する一方で、現実社会と世論の間で新体制作りへの道筋を見いだせないままでいる。大衆の要求に妥協し続けることが、どのような結果を招くかは過去の歴史が証明している。エジプトの第二代大統領ナセルは、イスラエル打倒を求める大衆からの声に押され、消極的であったイスラエルとの開戦に踏み切った。その結果、エジプトを中心とするアラブ諸国は惨敗、ヨルダン川西岸地区と東エルサレム、ゴラン高原、シナイ半島(1982年以降段階的にエジプトに返還)が占領されるという、今日まで続くパレスチナ問題を拡大させる結果となった。アラブ諸国でこれから誕生する政治指導者が、時には感情的になる大衆をどこまで説得できるか、その手腕に国の行く末と地域の安定が委ねられている。

 9.11から10年を迎え、世界はまた新たな混迷の時代に入ったのかもしれない。

鈴木 恵美(すずき・えみ)/早稲田大学イスラーム地域研究機構主任研究員

【略歴】
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京大学非常勤講師、財団法人中東調査会研究員を経て2008年より現職。主な著作に「中東・中央アジア諸国における権力構造」(共著)岩波書店など。