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棚村 政行(たなむら・まさゆき)略歴はこちらから

国境を越えた子どもの連れ去りは犯罪か?
―急増する国際離婚が生む問題

棚村 政行/早稲田大学法学学術院教授

身柄を拘束された日本人女性

 米国で離婚訴訟中に長女を日本に連れ帰った日本人女性が、2011年4月にたまたまハワイに行った際に米国司法当局から身柄を拘束されてしまった。彼女に対しては、現在、ウィスコンシン州において刑事裁判が続けられ、来週にも判決が出される予定であるという。(※この事件については、2011年11月23日に米国ウィスコンシン州の裁判所で、30日以内に母親が米国の父親に長女を引き渡すことで正式な司法取引が成立した。)この日本人女性(43歳)は、ニカラグア出身の米国籍の男性(39歳)と2002年にウィスコンシン州で婚姻し、2人の間には長女(9歳)が誕生した。しかし、2人の夫婦関係は悪化し、2008年に男性は同州の裁判所に離婚訴訟を起こしたが、その直後に、日本人女性は男性のDVがあったなどと日本に長女を連れて帰国した。同州の裁判所は、2009年6月に、離婚を認めるとともに、男性に長女の単独親権者とすること、直ちに長女を男性に引き渡すか、日本で男性に長女を渡すことなどを命じ、その裁判が確定していた。これに対して、女性も、兵庫県で離婚と親権者の指定・養育費の支払いを求める裁判、親権者の変更を求める裁判を日本において起こしており、日本では母親に親権が認められ、米国人男性が争っていた。長女は、現在、兵庫県内の親族のもとで暮らしており、この裁判や母親が身柄を拘束されていることは知らされていないようだという。それにしても、両親の間に挟まれた長女にとっては、どのような判断がでようともあまりにも気の毒だ。

増え続ける国際的な子の監護・面会をめぐる事件

 そもそも、なぜ、このような不幸な事件が起こったのか。日本が子の国際的な連れ去りに関するハーグ条約に加盟すれば、今回のような問題は起こらないのか。ハーグ条約というのは、いったいどんな条約で、これに加盟することがどのようなメリット、デメリットをもつのか。まず、今回のような事件が起きる背景として、グローバル化に伴い国際結婚が増えたことがあげられる。2009年の国際結婚は3万4393件で、毎年3万~4万件の国際結婚がある。これに対して、国際結婚の破局に伴い国際離婚も急増している。2009年には、1万9404件と増え、これに伴い、国際的な子の監護・面会交流をめぐる事件も、2007年に640件だったのが、2008年774件、2009年には846件と増え続けている。国際結婚は、文化摩擦、異文化コミュニケーションの困難さから、破綻すると熾烈な争いになり易い。そして、各国の法制度の違いも、問題の解決をさらに困難にする要因となっている。たとえば、欧米諸国は、離婚後の親による共同親権・共同監護・共同子育ての原則を採用しており、子の監護・面会交流の問題の合意形成援助、面会交流支援制度の整備など子どもの最善の利益や子の権利を守る法制度と社会的支援制度を整えつつある。

 このような状況で、欧米では、親の一方が子を他方の同意や裁判所の許可なく連れ去れば、犯罪として重い刑罰が科せられる。これに反して、日本では、離婚後の単独親権の原則を採られており、親子の面会交流や子の引き渡しについても十分な実効的な解決や社会的支援制度も保障されているとは言えない。また、無断での子の連れ去りも、余程のことがないかぎり、犯罪を構成したり違法とは見られない。さらには、離婚後の親子関係のあり方についても、母親の子育てや母子一体感の強さなど、欧米にはない独自の親子感情や当事者の意識、慣行も根強く、欧米諸国との乖離には激しいものがある。

86ヶ国が加盟するハーグ条約

 国際的子の奪い去りの民事面に関する条約は、1980年10月のハーグ国際私法会議において採択され、1983年に発効した。現在は、イギリス、アメリカ、カナダ、フランス、イタリア、オーストラリア、ドイツ、ロシアなど世界の86カ国が加盟している。条約の目的は、子の国際的な奪い去りを防止し、連れ去られた子を速やかに元の居住国に返すために国際的に協力をし合おうというものだ。ハーグ条約は、子どもの生活の安定性・養育環境の継続性を守り、中央当局が責任をもって子の迅速な返還に協力しなければならないものとする。そして、ハーグ条約では、子どもと親との面会交流権を保障し、一緒に暮らしていない親の気持ちを汲んで、更なる子の奪い去りにならないよう予防しようとている。行政上の返還のメカニズムとして、同条約は中央当局制度を採用している。つまり、締約国は、条約上の義務の履行のために中央当局を指定し、中央当局は、子の迅速な返還を確保するために各国の司法行政当局間の協力の促進、子の所在の発見・特定、仮の措置による危険や損害の防止、任意の返還や紛争解決への便宜、子の社会的背景に関する情報交換、安全な返還の確保など、あらゆる適当な措置を講じなければならないとされている。

 また、何らかの監護権や面会交流権の侵害がなく、16歳以上に子が達していたり、国境を越えた不法な連れ去りや留置がなければ、ハーグ条約は適用されない。しかも、ハーグ条約は加入前の不法な連れ去りに遡及的に適用されることはない。ハーグ条約では、子の将来にわたる最終判断はせず、あくまでも常居所を有した国に迅速に返還を命じることが建前となっている。しかしながら、例外的に、子の連れ去りから1年以上が経過し、子ども環境になじんでいる場合、連れ去り時親の監護権不行使の場合、同意、事後承諾した場合、子の返還が心身に危害や耐え難い状況に置く重大な危険がある場合、子が返還に反対している場合、人権及び基本的自由の保障に関する基本原則に反する場合には、裁判所は子の返還を命じることを拒否することができる。

条約のメリット・デメリット

 ハーグ条約に日本が加盟することのメリットはなにか。ハーグ条約に加盟することで、日本では、加盟国の中央当局や関係機関との連携・協力が促進され、国際的な子の連れ去りや面会交流などの問題解決が迅速かつ円滑になされる。しかも、日本から国境を越えて不当に連れ去られた子も迅速に返還を求めることが可能になる。国内的にも子の親権や監護の法制度、社会的支援制度の整備が促進される。しかし、他方、海外で孤立し逃げ帰ってきた連れ去り親(TP)と子どものケアや支援もしなければならない。外国人夫のDVや子育てに対する執拗な干渉からようやく逃れて落ち着いた生活を取り戻していた連れ去り親にとっては、元の居住国に子が戻されることで、平穏な生活が脅かされかねない。メリットとしては、国際協力の促進、国際的な信頼度の獲得、世界基準への適合などがあげられるが、他方、自国民保護、独自の家族観、親子観の尊重、DVや暴力に対する対策の不備などデメリットも予想される。日本では、今、外務省が中央当局を引き受けることになったために、中央当局の任務や権限、他の関係機関との連携協力について、またハーグ条約の返還手続については、裁判管轄の集中、審理手続、返還拒否事由、調停などについて、国内実施法の整備が急がれている。しかしながら、ハーグ条約は、単に国際的外交的問題というにとどまらず、国内問題、とくに日本国内での離婚後の親子のあり方や社会的法的支援とも密接にかかわっている。今回のような事件を起こさないために、子どもの利益を守ることを中心にして、関係機関の役割分担と連携とが図られなければならない。

棚村 政行(たなむら・まさゆき)/早稲田大学法学学術院教授

【略歴】
早稲田大学法学部、大学院法学研究科博士後期課程満期退学。青山学院大学法学部教授を経て、現在、早稲田大学法学学術院教授。家族〈社会と法〉学会事務局長、宗教法学会理事、ジェンダー法学会理事、法務省法制審議会委員、外務省懇談会委員、東京家庭裁判所家事調停委員・参与員、弁護士。

主要な著書:
『結婚の法律学(第2版)』(有斐閣、2006年)、『ライフステージと法(第5版)』共著(有斐閣、2009年)、『夫婦の法律相談(第2版)』共編著(有斐閣、2010年)、『民法7親族・相続(第2版)』(有斐閣、2010年)等