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川原 ゆかり(かわはら・ゆかり)早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

大統領選にみるアメリカの家族像

川原 ゆかり/早稲田大学文学学術院教授

 「Family values」(家族の価値)という言葉をご存知だろうか? 日本では聞きなれないこの言葉は、米大統領選において大きな争点の一つとなっている。

 9月初めに、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に降り立った際、空港の大スクリーンに映し出されていたのは、民主党、共和党の全国大会をめぐる白熱した議論であった。その行方が五分五分といわれるこの選挙戦は、メディアの政治的言説のみならず、実際に多くのアメリカ国民の関心を呼んでおり、オバマかロムニーのどちらかのステッカーを貼っている車を町中で多く見かけた。

 一見すると、今回の大統領選で争点となっているのは泥沼化した経済を立て直すための「経済政策」のようにみえる。しかし、民主党、共和党の全国大会での人々の熱狂ぶりを見ると、アメリカ国民をこれだけ巻き込む要素が他にもあるように思える。現地の人々への聞き取り調査から浮かび上がったのは、「Family values」というキーワードである。どのようにその言葉を定義するかは、人それぞれ違うが、そのキーワードは、接戦である大統領選において、浮動票をとりこむ重要なファクターとなっているように思えた。

 およそ、2000万人の国民が見守ったとされる民主党、共和党の全国大会では、どちらの候補も家族観のメッセージを全面に押し出す。なかでも浮動票を揺さぶるのは、日本の選挙戦では見られない両候補の夫人のスピーチである。共和党ロムニー候補のアン夫人は、子供や孫に取り囲まれながら、自分が専業主婦として、病気と闘いながら、5人の子供を育てた事を誇らしくスピーチし、会場から大喝采を浴びる。さらに、ロムニー候補は、自分自身を強い夫、父親としてアピールし、自分が今後この国の舵取りを担える人物であることを強く訴える。もともと、「Family values」という言葉は、1990年代の初頭、「伝統的」な家庭中心の価値観への復権を訴えた共和党の党大会で強調されたものであるが、ロムニー候補もその路線を受け継ぎ、いわゆる「保守的」な家族像をアピールする。

 一方、民主党の党大会では、別の形の家族像が提示される。夫人のミシェル・オバマが、民主党大会の初日に壇上に立ち、オバマ支持を訴える。そのなかで、夫がいかに家族思いであるかということを繰り返し強調し、また自身のキャリアよりも、自分がいかに夫をサポートしているかを強調する。壇上に上がる14歳と11歳になった2人の娘の存在もまた、彼の家族像を伝達する重要な役割を果たしている。共和党と違い、同性婚支持を表明し、リベラルな家族観を打ち出すオバマ候補であるが、党大会で人々が見るのは、あくまでもアメリカンドリームの象徴ともいえるミドルクラス の「Family values」である。

 このようなイメージだけでなく、両候補の家族観を映し出すのは、具体的な政策である。とりわけ、妊娠中絶の是非に関して「中絶選択権を支持するPro-Choice」と「中絶反対で生命尊重の Pro-Life」をめぐる議論は大統領選を揺るがす大きな争点となっている。宗教色の強いアメリカにおいて当然ともいえるが、しかし、それ以上にこの問題が重要な意味を持つのは、それが、「Family values」を議論する場を人々に与えるからである。さらに、この問題は、国民の私生活、とりわけ、女性のリプロダクティブヘルスや、胎児の生命の権利をめぐる問題と深く関わっている。

 何故、これほどまでに「Family values」がアメリカの行方に影響を及ぼすファクターとなっているのであろうか? 端的に言えば、人々がしばしば口にするように、家族や親子間の愛情がアメリカ人にとって、最も重要な人生の一部とみなされているからであろう。もともと、家族概念は、公的領域と私的領域の対比に基づいており、ビジネスのように競争的な公的領域の対極にある愛情と親密の空間として象徴的に概念化されてきた経緯がある。しかし、現実には、理想像として象徴化された家族像は空転し、離婚率の高さや、家庭内暴力や児童虐待事件の多発などアメリカにおいて家族の危機をめぐる言説が脅迫的に繰り返されている。このような言説が増加する時、その対極にどうしても「愛情と情緒的絆の場」としての家族像が再生産される必要がある。そこで、政治家は、理想の家族像を人々にイメージとして与え、多くの国民が熱狂してこの構築化された理想像に複雑に巻き込まれてゆくという構図ができる。しかし、政治家の流す理想としての「家族像」からすり抜ける人々は確実に存在し、彼らは、理想と現実の食い違いに悩み、さらに、混乱してゆくという悪循環が繰り返されるという一面も見過ごすことはできない。

 米大統領選における「Family values」の政治利用を見てゆくと、アメリカにおける政治と家族の関係性、また家族に対する人々の考え方が浮き上がってくるように思われる。このようなアメリカの現状と比較して、日本では何故このような議論が選挙戦においても、国民の間でもあまりなされていないかを考えてみるのも興味深いかもしれない。

川原 ゆかり(かわはら・ゆかり)/早稲田大学文学学術院教授

【略歴】
慶應義塾大学法学部政治学科卒業。イェール大学Ph.D. (人類学)取得。現在、早稲田大学文学学術院教授。専門は、文化人類学、ジェンダースタディーズ。著書に『The Family Revisited』(編著)など。2007年度にイェール大学人類学部にてVisiting Fellow。