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深川 由起子(ふかがわ・ゆきこ) 早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

「中進国の罠」を超えて:韓国・朴槿恵政権の教科書なき挑戦

深川 由起子/早稲田大学政治経済学術院教授

 グローバル化、とりわけ貿易の自由化と直接投資の増大、国際金融へのアクセス、人の移動の自由化は経済開発の環境を一変させた。グローバル化の波に乗った国、或いは都市は急速に発展し、短期間で「中進国」水準に到達できるようになった。世銀は一人当たり国民所得約1000~12000ドルをいわゆる「中進国」として定義する。しかしながら、今度は多くの国がここで停滞し、この「中進国の罠」を振り切って成長したのはアジアNIEsぐらいしかない。中でも人口5000万を擁する韓国の躍進は大きく注目された。

 かつてメキシコ、トルコ、マレーシアなどより低かった韓国の一人当たり国民所得は2012年には23000ドルに達した。成長の原動力は一貫して輸出で、同年には世界8大輸出国となっている。「中進国の罠」を提起した世銀報告(2007)など、国際機関は専ら、韓国が研究開発支出を拡大させたことで「例外的に」「技術立国」に移行できた、と分析する。実際、韓国の研究開発支は対GDP比でOECD4位、国際特許出願件数でも中米日に次ぐ4位である。「グローバル企業へのビジネス環境整備」を計るIMDの国際競争力ランキングでは22位(2012年)で日本(29位)を上回った。競争力を「国の生産力レベルを決定する制度や政策、諸要因の組み合わせ」とした世界経済フォーラム(WEF)では19位で日本より下だが、フランス、オーストラリアより上である。韓国は教育水準とIT化の浸透で得点しており、これが「技術立国」をイメージを加速してきた。

 だが、社会指標ではまだ異なる顔が見える。比較可能なOECD統計では労働時間の長さや男女賃金格差、奉仕活動への関心が示す社会的求心力など多くの点で韓国はメキシコやトルコ、ハンガリーなどと共に下位グループに位置する。不平等度を示すジニ係数こそOECDの平均水準で日本より平等だが、年金など財政に占める社会政策支出は最下位圏で、専ら成長によって社会の安定性を維持してきた。今日の新興国の多くは強い成長志向と弱い社会政策の組みあわせを特徴としており、韓国も例外ではない。アジア通貨危機の折にはさすがに失業保険など社会的安全網が強化されたが、構造改革の補完に過ぎなかった。

 先の2月には朴槿恵政権が発足したが、その新しさは初の女性大統領というより、「国民幸福社会の実現」を掲げ、歴代政権で初めて成長戦略より社会政策を押し出した点にあった。確かにマクロレベルでみれば、近年、「財閥」系大企業は研究開発を含めた巨額投資によって躍進した。しかしながら、収益第一主義の下で投資は国内にとどまらず、雇用への波及効果は限られた。雇用の不安定化・短期化は金大中政権、盧武鉉政権といったリベラルな政権下でも続き、李明博政権下ではさらなる成長主義の下で雇用の質的改善は等閑視された。この間、通貨危機が社会に残した傷跡は(1)家計の負債急膨張、(2)少子高齢化の進行、(3)北朝鮮との対立激化、内政における左右間葛藤の深刻化、などと絡み合いながら深まり、社会政策を余儀なくされた。

 政府部門の健全さとは裏腹に、家計部門の負債は2012年末には959兆ウォンを超え、対GDP比で80%水準にある。輸出好調でも大企業は手元流動性を積み上げ、行き場を失った資金で不動産市場は乱高下が続いた。家計は雇用不安と住宅不安に対応して不動産、教育目的の借入を増やさざるを得なかった。雇用不安を抱えた若年層が結婚・出産を遅らせて少子化が進む一方、朝鮮戦争後のベビーブーム世代の引退が本格化し、長寿化の進展と共に、年金や医療保険制度整備は急務となった。年金が保障されているのは軍人、公務員、教員だけで、8000円にも満たない自営業者などの最低国民基礎年金は抜本的な制度再設計を必要とする。問題は財源の捻出と配分の優先順位だが、「財閥」系に牛耳られた財界は過度な租税負担や中小企業保護を名目とする規制強化は競争力を削ぐとし、分配を求める勢力と鋭く対立する。10年のリベラル政権の時代には親北朝鮮政策が続き、北朝鮮に民族主義的シンパシーを覚え、「財閥」などの旧勢力(及びその基礎を築いた父の朴正煕政権)を敵視する左派勢力の台頭も社会的葛藤を深刻化させる。

 かくて「国民幸福社会」を目指す朴槿恵政権の内政・経済環境はのっけから極めて厳しい。地下経済の根絶、大企業-中小企業間の公正取引推進といった政策は閣僚任命の遅れなどでつまずき、本格的な社会保障の財源確保にはさらなる政治調整が必要となる。成長過程のどこかで分配制度を作って社会基盤を強化するプロセスは殆どの先進国が経験しており、この点では韓国は本当の意味で中進国からの卒業段階にある。しかしながら、早い段階での少子高齢化は先進国には経験がなく、他方で中国、タイなど今日の新興国ではむしろ韓国よりさらに所得の低い段階で問題の直面しつつある。グローバル化は未曾有の成長加速をもたらしたが、他方で教科書なき挑戦を迫るようになった。朴槿恵政権の経済政策の成否は現代新興国に大きな影響をもたらすこととなろう。

深川 由起子(ふかがわ・ゆきこ)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】

早稲田大学卒業後、日本貿易振興会(JETRO)入会。長銀総合研究所、青山学院大学経済学部助教授、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授を経て2006年4月より現職。第13期日本学術会議会員。この間、外国為替審議会、農林審議会、産業構造審議会臨時委員、日韓自由貿易協定研究会など政府委員を多数兼任。イエール大学大学院国際経済開発プログラム修了(修士)、早稲田大学大学院商学研究科(博士)課程修了、韓国産業研究院(KIET)、コロンビア大学、高麗大学客員研究員など。共編著に「世界政治経済と日本・米国・中国」、東洋経済新報社、2010年など多数、朝鮮日報などにも定期コラムを執筆。