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若林 正丈(わかばやし・まさひろ) 早稲田大学政治経済学術院教授  略歴はこちらから

台湾の総統政治に棲む「魔物」
——「ヒマワリ学生運動」が浮きぼりにしたもの

若林 正丈/早稲田大学政治経済学術院教授

「ヒマワリ学生運動」の衝撃

 去る3月17日台湾は台北の立法院(国会に相当)では、与党国民党が「サービス貿易協定」(昨年6月調印)を内政委員会で審議終了・本会議送付を強行した(一種の強行採決)。その夜、これに反発した学生の一団が立法院突入を敢行し、本会議場を占拠した。大方の予想を裏切って、この行動は急速に支持を集め、占拠直後から立法院周辺の街頭は支持の座り込みで埋まり、議場内外の連絡と補給、台湾内外への主張の発信などの態勢が、文字通りアッという間に整えられ、一つうねりとなり、数日後には「太陽花学運」(ヒマワリ学生運動)と通称されるようになった。3月30日には総統府前に、警察発表11万人、主催者発表50万人の抗議集会を開催するまでの広がりを見せた。

 国際社会の反響も小さくは無く、中東テレビ局アルジャジーラまでが運動幹部のインタビューを報道した。2008年国民党馬英九候補の総統(大統領に相当)による政権返り咲き以来(12年再選)、中国との間の航空機直接運航と多数の中国観光客の来訪、中国の対台湾関係機構トップの訪台、対中「経済協力枠組協定」(ECFA)の締結、国共両党の頻繁な交流活動、そして今年初めの中台の担当閣僚の初会合の実現と、経済関係正常化から強化へ、さらに経済関係から政治関係へと、中台関係が急速に発展する様を国際社会は見てきた。「ヒマワリ学生運動」が今後大局の展開にどれだけの影響があるかは推測困難であるが、台湾内部からの反発で中台関係の停滞や後退もあり得ることを国際社会は改めて知ったことになる。

 「ヒマワリ学生運動」は、4月6日国民党籍の立法院院長(国会議長に相当)の「両岸(中台)協議監督法令制定前にサービス貿易協定審議について政党間協議を招集しない」との譲歩を引き出し、翌7日夜事実上の勝利宣言を発して10日夕刻に議場占拠を解除することを自ら決定した。何故このようなインパクトを生むまでに「ヒマワリ学生運動」は広がり持続することになったのであろうか。

 よく指摘されるのは、08年馬英九政権誕生以来の対中接近により台湾社会には急速にいわゆる「中国要素」が浸透し、このままでは台湾は急速に中国に呑みこまれてしまうという不安が広がり、運動がそれに政治的結集点を与えたという理解であろう。

 ただ、民主化以降の台湾政治の内部にさらに目をこらすと、見落とせない背景として、民主化後台湾の総統政治の問題点が浮かび上がってくる。

台湾総統政治のメカニズム

 新興民主体制においては、大統領の権力行使をめぐるメカニズムの整備が進んでいないため、国家指導者の選挙は民主化しても、選出された後には政治権力の頂点ないしその周辺の腐敗や独裁化が起こりやすい。台湾でも、陳水扁政権二期目に浮上した腐敗問題のようにこれに当てはまるところがある。だが、加えて、台湾の総統政治には、台湾政治特有の文脈に起因する問題点がある。

 台湾の最大野党民進党は綱領に「台湾独立」を掲げている。近年そのリーダーが直接これを主張することは無くなったが、「台独綱領」を廃止するという議論は節目節目で持ち出されては消えている。またそのリーダーが中国共産党のいう「一つの中国」原則を受け入れると表明したことはない。一方、与党国民党はそもそも「中国国民党」であり、党主席の馬英九は中国との「終極統一」を否定せず、また「一つの中国」原則を自ら宣揚はしないが否定はしないスタンスを採っている。つまり、台湾の政党システムをイデオロギーの対抗軸で見ると、そこにはいわば台湾ナショナリズムと中国ナショナリズムとの対抗があり、政党や政治家はこの軸の上に何らかのポジションをとることを少なくとも潜在的には求められている。

 ところで、1990年代初めから続けられている世論調査から明らかなのは、自身のアイデンティティ意識を問われたときに「台湾人」と答える割合が着実に上昇している一方、将来の国家選択、つまり「台湾独立」、「中国との統一」、「現状維持」のいずれが好ましいかを問われた場合は、一貫して「現状維持」が多数を占めていることである。特に馬英九政権になってからは、「台湾人」と「現状維持」の割合が増加している。総統たる政治家は当選するにも、当選後に安定的に施政を続けるにも、この微妙なバランスを持つ世論の上にうまく立たなければならない。もちろん中国はそうはさせまいとするのである。

 1996年以来台湾の総統は有権者の直接選挙で選ばれるようになった。任期は4年で再選は認められるが三選は禁止である。立法委員(国会議員)や地方首長、地方議会議員などの政治家の多くは、イデオロギーよりは現実利益で行動し、有権者も投票の際に候補者のイデオロギー傾向にのみ着目して投票するわけではない。だが、国家指導者を選ぶ総統選挙となれば話は別である。

 前記のように、有権者の「統独問題」に関する意見分布は、明らかに中間が最も多い逆U字型である。イデオロギー対抗軸の「台独」側を「左」、「反台独/統一」を「右」と表現すると、総統選挙キャンペーンでは、民進党候補は中間点から「左」の支持を固めるとともにそこからさらに「右」にも、国民党候補の方は「右」の支持を固めるとともに「左」にも、「ウィング」を伸ばして、得票の最大化をはかることとなる。2000年選挙で陳水扁を立てた民進党が党大会で「台湾はすでに独立しており、目下の国名を中華民国という」との趣旨の決議文を採択して「台独綱領」を棚上げし、08年選挙で国民党候補の馬英九が「死して台湾の灰となる」などのレトリックを駆使して「台湾意識」に歩み寄ったのは、その顕著な例である。

 ところが、実際の施政が始まると、選挙時の姿勢とのズレが生じ始める。そもそも総統本人もその政治的信念は、イデオロギー対抗軸の中間点の「右」か「左」のどちらかにあるのであり、選挙後に政権入りする政党人や学者などについても同様である。また、選挙の時には周囲に熱心に働きかけ、事あるときに街頭デモなどで声援してくれる熱心な支持者たちは、通常左右の極に比較的近いイデオロギー的位置にいる。こうした熱心な支持者のイデオロギー対抗軸上の分布は、M字型なのである。かくして、当選第二年目の予算編成から、しだいに「緑色がかった」(民進党色が出る)、あるいは「青色がかった」(国民党色が出る)政策が施政にも入り込み、反射的に反対側の支持者の不満を強めていくことになる。

 こうした選挙後のM字型スタンスが選挙時の逆U字型スタンスを凌駕していく傾向は、総統が再選を果たした二期目により明瞭となる。二期目は一般に支持率は下がるが、台湾の制度では三選はないので、総統の念頭には当面の支持率云々よりは退任後の名声如何のほう重要になってくる。公共政策の成績による政権浮揚が難しくなればその傾向は強まり、施政のスタンスは選挙時のバランス重視のスタンスからの乖離を強める。たとえば、陳水扁の場合は、対中政策の不調や周辺の腐敗が明るみに出たことで窮地に陥り、「左」の極により近い「深緑」の支持者に訴える施策を行い、国民党馬英九候補に対抗する自党候補謝長廷の足を縛った。馬英九総統の場合、中国との関係の進展にもかかわらず台湾内部経済状況の改善ははかばかしくなく、対中政策が国際的に評価されている割には、支持率は低迷したままである。馬総統は二期目に入ってから「歴史的使命」を口にしている。経済面から関係の緩和を成し遂げたのに続いて、習近平主席との会談を実現して、「両岸の平和に道筋をつけたい」という使命感を持っており、そのためにも「サービス貿易協定」を是が非でも立法院で承認させなければならないと考えている。そして、そうした使命感から来る総統の焦慮が、今回の国民党による委員会強行採決の背景にあるとの懸念が広範に懐かれているようだ。

台湾の総統政治に棲む「魔物」

 大げさな言い方を許していただければ、台湾の総統政治には、このような「魔物」が棲んでいる。判じ物のような言い方で恐縮だが、「魔物」を呼び出さないようにするには、台湾の総統は「陳水扁」と「馬英九」の両方をバランスよく演じる必要がある。これには、与党内を抑えて「統独」のバランスを速く大きくは崩さない党内威信、民意の脈動を受け止める政治的感受性、そして何よりも政権のアジェンダを国民の胸に届くように説明する政治的コミュニケーション能力が必要だろう。これらが果たせなければ、「陳水扁も馬英九も」は、ほとんど「不可能な任務」である。陳水扁が呼び出した「魔物」のため、民進党は政権を失ったばかりか、自らがその構築に貢献した民主政治の制度の民意応答力を低下させた。馬英九総統の二期目に潜んでいた「魔物」もこの傾向を加速してしまったのではないか。二期目の政権運営に対して、また「サービス貿易協定」に関して、多くの人々が「政府からきちんと話しかけられていない」と感じていたからこそ、議場占拠という「違法行為」が社会に対する強力な「ウェイクアップ・コール」になって支持を集めたのであろう。

 「魔物」を呼び出してしまった代価が政権交代だけであるなら、台湾の民主体制にとっては必ずしもマイナスばかりではなかろう。しかし、台湾が置かれた過酷な国際政治環境の中で、その度に民主的政治制度の威信が流失し、それに抗議する制度外政治との悪循環に入り込んでいってしまうならば、民主的政治制度は中国と台湾社会の間の隔離膜作用を失い、国民党vs.民進党の政治対抗関係は見せかけの対抗にすぎず、真の対抗関係は国民党・共産党連合vs.台湾市民運動という極めて非対称なものに横滑りしてしまうかもしれない。「ヒマワリ学生運動」が一時成功しても制度内民主を担う政治家がその意義を受け止めきれなければ、この危惧はぬぐえまい。アメリカの影響力が低下し権威主義中国が肥大化していく中で、台湾の民主体制の底が抜ければ、アジアの民主主義の底も抜ける可能性が高まるのではなかろうか。

(4月8日擱筆)
10日夜付記 学生はその後議場の設備の復元と清掃とを行った上で、10日午後6時過ぎ予告通り議場を退去した。

若林 正丈(わかばやし・まさひろ)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】

1949年生。早稲田大学政治経済学術院教授
「葉榮鐘的『述史』之志:晩年書写活動試論」(中央研究院台湾史研究所『台湾史研究』第17巻第4期、2010年12月)、「台湾との関わり−−花瓶の思い出」(鴨下重彦・木畑洋一・池田信雄・川中子義勝編『矢内原忠雄』東京大学出版会、2011年)、『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)、『台湾抗日運動史研究 増補版』(研文出版、2001年)、『台湾 分裂国家と民主化』(東京大学出版会、1992年)