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村上 公子(むらかみ・きみこ) 早稲田大学人間科学学術院教授 略歴はこちらから

壁崩壊から25年、ドイツはどう変わったか

村上 公子/早稲田大学人間科学学術院教授

 1989年の夏、ミュンヒェン市内のある有名書店の支店前、木陰のある、小さな広場のオープンカフェで、たまたまテーブルを共にしたドイツ人女性の言葉が、今でもくっきりと記憶に刻まれている。“Uns geht es zu gut.“日本語でこの発言の感覚を再現するのは簡単ではない。言葉の意味としては、「うまく行きすぎている」ということなのだが、日本語でそう言った時の「直に揺り戻しが来るだろう」という危惧の念はそれほどない。しかし、「これでいいのだろうか」という漠然とした不安はある。そんな発言だ。

 確かに、当時西ドイツ経済は絶好調で、ドイツ・マルクと呼ばれた西ドイツ通貨は信用絶大、その強いマルクを持って世界中に出かけていく、(西)ドイツ人観光客の尊大さが各地で顰蹙を買っている、という話が時々ドイツのマスコミで取り上げられる、そういう時代だった。

 良識ありげなその女性の発言が忘れられないものになったのは、恐らくその年、帰国した後に、次から次に伝えられた(東)ドイツでの大きな変革のうねりと、その結果生じた歴史の転換を、報道を介してではあるにせよ、目の当たりにしたからでもあるだろう。普通の人が“Uns geht es zu gut.“と発言するほど、経済力に余裕があると信じればこそ、当時の西ドイツ首相ヘルムート・コールは東西ドイツの統合を実現したのだし、国民もそれが可能だと信じたのだ。

壁が崩壊すると

 早とちりや誤解が引き起こした事態だったと言われているが、1989年11月9日の夜、「ベルリンの壁崩壊」が起こって、東ベルリンから大勢の人が西ベルリンに出かけ、西ベルリンでも多くの人がそれを出迎えて、双方が大喜びをしたとき、そこにいたドイツ人たちは本当に幸せそうだった。そして、そこにいなかったドイツ人たちも、本当に喜んでいた。そんな、純粋な歓びの瞬間は、人の一生にも、ましてや国民の歴史の中で、滅多にあるものではない。しかし、そのかけがえのない瞬間があったからこそ、その後、統合までの疾風怒濤の革命と改革の日々、そして統合後の、現在まで続く、平坦ではない「正常化」の日々を、ドイツの人たちは耐えてきたのだ。

 ドイツの政治にも経済にも直接関係がない、一人の外国人として見ていると、ことの経緯はこんなふうに感じられる。1989年秋以降、自国民を監視し閉じ込めていたそれまでの体制を倒し、民主主義を実現したのは、東ドイツの「市民革命」。その結果行われた1990年3月の東独議会選挙で、「西ドイツとの再統一」を主張する勢力が多数を獲得したのは、「楽をして、早く西ドイツと一緒になり、自分たちも西のマルクを使える身分になりたい」という一般庶民の願望の結果。西の国民は、首相が「増税なしで東西統合できる」と保証していたこともあり、統合推進のコール政権を支持したが、「再統一」はどちらかというと他人事。結局、統合は国家としての東ドイツが消滅し、西に入ると言う形で実現した。

 かなり無理をして統合を急ぎ、東西の通貨を一対一で交換したりした結果、元々崩壊寸前だった東ドイツの経済基盤はガタガタと崩れ、東の復興のために必要な資金はいくらあっても足りず、結局「連帯税」を導入せざるを得なくなったばかりか、ドイツの経済状況そのものが悪化して、長く財政赤字と高失業率に苦しむことになった。

 東の人たちは「こんなことなら昔の方がよかった」とOstalgie(Ost=東+Nostalgie=郷愁)に耽溺し、「指導者」としてやってきた西の人たちを傲慢なWessie(West=西からの造語)とののしり、西の人たちははっきり意思表示をしないOssie(Ostからの造語)にイライラする、という状況が一時はよく報道されていた。が、いつの間にかそんなこともなくなった。

ドイツは一つになったか

 気がついてみれば、信頼できる政治家として安定した支持を受け続け、三期目に入った連邦首相も、国家元首である連邦大統領も、東ドイツの出身だ。東独の独裁政党であったSED(社会主義統一党)は、党内改革派の手で党名変更と党改革を行い、更に数年前に西の社会民主党左派の分派と合同して、その名も「左派党」となり、現在、連邦議会の野党第一党である。SEDが東独の抑圧体制を作り、維持していたことを誰も否定はしない。しかし、その後継政党である左派党は、今や正当な民主主義政党として認知されている。2014年秋に行われた州議会選挙の結果、恐らく年内に、初めて左派党の州首相が誕生することになるだろう。「東」の要素は着実に「全」ドイツに広まり、定着しつつある。

 かつて西ドイツでは、「集団保育」は子供の個性を抑圧し、全体主義体制に都合のよい人間を作る、東独政権の手段だと言われたが、今や、幼児が保育園に行くことは、憲法で保障された「権利」となった。2013年、中高生対象の共通試験で「東」の州の生徒の理数系の成績が「西」よりよいのは何故か、という疑問が大きな話題となった。ある新聞は、旧東独の文化系科目担当中高教員は、思想的な理由から、統合後多く教職を追われたが、理科系の教員は残れたから、と説明していた。旧東独の教員の方が「西」より優れていると言わんばかりの解説を掲載していたのは、言うまでもなく、元々「西」の新聞である。

村上 公子(むらかみ・きみこ)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】

1952年生まれ。上智大学外国語学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。
富山国際大学を経て早稲田大学人間科学部(現人間科学学術院)教授。専門分野:ドイツ地域論。
著書に『ミュンヒェンの白いばら』(筑摩書房)、『ヒトラー暗殺計画と抵抗運動』(講談社)いずれも山下公子名義、など。