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勝間 靖(かつま・やすし)/早稲田大学国際学術院副学術院長・教授、大学院アジア太平洋研究科研究科長 略歴はこちらから

なぜエボラ出血熱は西アフリカで多くの命を奪ったか?

勝間 靖/早稲田大学国際学術院副学術院長・教授、大学院アジア太平洋研究科研究科長

1.問題意識

 エボラ出血熱は、急性ウイルス性感染症である。1976年に現在の南スーダンで発見されたエボラ・ウイルスは、毒性と感染性が非常に高いが、血液や体液に触れなければ周りの人に感染しない。アフリカで10回ほど流行したことがあるが、大規模な流行は2014年まで起こらなかった。それなのに、なぜ、2014年、エボラ出血熱は、西アフリカで多くの命を奪ったのか? 2016年1月までに、2万8千人以上の感染者、1万1千人以上の死亡者を出さなくてはならなかったのは、なぜか?

 この疑問へ回答するため、2015~16年の期間、ニューヨークで国連に、ジュネーブで世界保健機関(WHO)や国境なき医師団に、ギニアの首都コナクリで回復者・医療従事者・政府・NGO・国連機関にインタビューを実施した。

 以下では、まず、西アフリカにおける感染拡大とそれへの対応の経緯を振り返る。そして、①なぜWHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(Public Health Emergency of International Concern: PHEIC)」を宣言するのに遅れたか?、②なぜ国連事務総長は国連エボラ緊急対応ミッション(UN Mission for Ebola Emergency Response: UNMEER)を設置しなくてはならなかったのか?、という二つの研究問題に答えていく。そのうえで、ギニアの事例から得られる教訓をもとに、グローバルヘルス・ガバナンスを改善するため、いくつかの提案をおこないたい。

2.エボラ出血熱の西アフリカにおける感染拡大と国際的対応

 2013年12月、隣国のシェラレオネやリベリアとの国境に近いギニア南東部にある森林地帯の都市で、男の子が亡くなった。ギニアにおけるエボラ出血熱の最初の感染者とみられている。2014年3月、ラボでの検査に基づき、ギニアにおけるエボラ出血熱の発生が確認され、ギニア保健省はエボラ流行を宣言した。同月、国際NGOである国境なき医師団は、「地理的な広がりは前例がない(unprecedented)」と国際社会へ向けて警告を発し、ギニアとリベリアにおける活動を拡大した。

エボラ治療センター

防護服の着用

 しかし、5月にジュネーブで開催されたWHO総会では、西アフリカにおけるエボラ出血熱の流行に関して、ギニア保健大臣もWHO事務局長も十分に注意喚起しなかったため、国際的対応は拡充されなかった。

 6月、危機感を一層高めた国境なき医師団は、「もはや制御できない(uncontrollable)」とし、国際的対応の拡充を求めた。また同月、地球規模感染症に対する警戒と対応ネットワーク(Global Outbreak Alert and Response Network: GOARN)運営委員会は、WHOに対してより強力な指導力を求めた。これを受けて、7月、WHO事務局長は、緊急対応枠組み(Emergency Response Framework: ERF)に基づきグレード3を宣言し、WHOの活動における優先順位を上げた。そして、8月、WHOとギニア・リベリア・シェラレオネは、合同対応計画を立ち上げた。この段階になって、ようやく、WHO事務局長は国際社会へ向けてPHEICを宣言した。

エボラ対策国家調整会議

 ギニアでは、その数日後、大統領が非常事態宣言をおこない、エボラ対策国家調整会議を設置した。エボラ対策調整官の指導力もあって、ギニア政府による活動がようやく本格化した。

 WHO主導による国際的対応だけでは不十分ということで、9月、国境なき医師団は「世界の指導者たちはエボラ出血熱への対応に失敗しつつある」との見解を緊急発表した。その後、国連事務総長の主導により、前例のない、国連エボラ緊急対応ミッション(UNMEER)が設置された。

 各国の努力に加え、国際的対応が拡充された結果、2016年1月、WHOは、西アフリカにおけるエボラ出血熱の流行の終息を宣言した。

3.なぜWHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」の宣言に遅れたか?

 国際保健規則(International Health Regulations: IHR)に基づき、国際的な公衆衛生上の脅威となり、国際的対応をとくに必要とするものについて、WHO事務局長はPHEICを宣言できる。これまで、4回宣言されている。2009年の新型インフルエンザの世界的流行、2014年の野生型ポリオの世界的流行、2014年の西アフリカにおけるエボラ出血熱流行、2015年のジカ熱の世界的流行である。このうち、2014年の西アフリカにおけるエボラ出血熱流行に際して、PHEIC宣言が遅れたという批判がある。

 ギニア国内においては、当初、ギニア政府と国境なき医師団との間で、見解が分かれた。ギニア保健省は、2014年3月にエボラ出血熱の流行を宣言したが、国際的な対応が必要とは認識していなかった。それに対して、国境なき医師団は、国際社会に対して、同月に「地理的な広がりは前例がない」、6月に「もはや制御できない」と警告を発した。このような見解の対立のなか、WHOは、ギニア政府の意向を尊重したと言える。しかし、その数カ月後、首都のコナクリにまで感染が広がったこともあり、結局のところ、WHOはPHEICを、ギニア大統領は非常事態を宣言せざるをえない状況に追い込まれた。

 PHEIC宣言が遅れた理由として、第1に、ギニア国内の要因が挙げられる。西アフリカで最初のエボラ出血熱流行だったため、ギニア政府に十分な経験がなかったことがある。また、南東部の森林地帯で発生しても、首都コナクリにまでは広がらないだろうという楽観論もあった。また、PHEIC宣言による経済的な打撃を恐れたことから、情報開示に消極的となった。この点で、早期から国際的対応を国際社会へ求めていた国境なき医師団との関係には緊張関係が生じた。

 第2の理由として、WHOの組織体制が挙げられる。アフリカにおいては本来、WHOのアフリカ地域事務所(Regional Office for Africa: AFRO)が率先して支援を展開することが期待されている。しかし、人的・資金的な能力の制約から、AFROは効果的な役割を果たせなかった。また、ジュネーブに本部がある政府間機関であるWHOは、組織内的には7月にグレード3を宣言したが、対外的には、加盟国であるギニアなどの政府の意向を配慮して、8月までPHEICを宣言しなかった。

 3月から国際社会へ向けて警告を発していた国境なき医師団から見ると、この数カ月の遅れが多くの命を奪う結果を生んだと言える。

4.なぜ国連事務総長は国連エボラ緊急対応ミッション(UNMEER)を設置したのか?

 2014年8月にWHOがPHEICを宣言し、国際的対応が呼びかけられたからといって、すでに大流行していたエボラ出血熱が終息する見通しはなかった。9月、国連事務総長は、安全保障理事会と総会の決議を経て、UNMEERを設置した。国連事務総長の主導による政治ミッションや平和ミッションはよく知られているが、UNMEERは前例ない感染症対策のための国連ミッションとして2015年7月まで活動した。

 UNMEERが設置された理由として、第1に、WHOの指導力と調整力に限界が見られ、国連として内外に強い指導力を示す必要があった。本来WHOの任務であるはずの感染症対策を使命とする国連ミッションを事務総長が設置することは、異例である。そのことは、時限的ではあるが、国連専門機関の一つとして自律しているWHOの上部に組織を設置すると受け止められたため、WHOからの抵抗を受けた。本来は主従関係のない国連事務総長とWHO事務局長との関係にも緊張が生じた。

 第2に、人道問題であるとして、国連人道問題調整事務所(Office for Coordination of Humanitarian Affairs: OCHA)が対応に乗り出し、国連中央緊急対応基金(Central Emergency Response Fund: CERF)を活用するという案もあったが、それは実現しなかった。自然災害や武力紛争による人道危機が増えていたなか、感染症を起因とする新しいタイプの人道問題に対応する経験も実施体制も資金もOCHAにはないと判断された。

 第3に、一刻の猶予もないなか、すぐに使える活動資金を大規模に動かす必要があった。そのためには、国連ミッションとして安全保障理事会と総会に承認してもらうのが近道だった。

 UNMEERの評価であるが、WHOの指導力と調整力の限界が見られ、OCHAによる対応も困難とされたなか、大規模な資金調達のために他に選択肢はなかったと見られている。しかし、その活動が効果的であったかどうかについて、ギニア国内では非常に厳しく評価されていた。

5.グローバルヘルス・ガバナンスを改善するための提案

日本から贈られた簡易検査器

 ギニアの事例から得られる教訓をもとに、グローバルヘルス・ガバナンスを改善するため、いくつかの提案をおこないたい。

 第1に、IHRで義務づけられている危機管理対応のうえで最低限必要な能力(コア能力)の獲得など、国内的に実施するための国際協力が必要とされている。ギニアでは首都のコナクリにしかラボ施設がなかったため、そもそもエボラ出血熱の実態が十分に把握されていなかった。この点で、日本から供与された簡易検査器は可動式なので、ギニア政府から高く評価されていた。

 第2に、PHEIC宣言に関して、最終的にWHO事務局長が判断するにしても、その判断の根拠となる健康リスク評価は独立した常設的組織において科学的におこなわれるべきである。

 第3に、各国における国連カントリー・チーム(UN country team: UNCT)を基盤として、国連開発援助枠組み(UN Development Assistance Framework: UNDAF)やテーマ別グループ(thematic groups)など既存の調整枠組みを活用しながら、感染症の流行に対応できるようにしておくべきである。医療・保健分野において主導的な役割を果たす機関はWHOで変わりない。しかし、ギニアでのエボラ出血熱は、感染者に祈祷した呪術師や、死亡者に触れて別れを告げた親族や友人によっても広がったため、医療・保健分野にとどまらず、学際的な対応が必要である。

 第4に、感染症の流行を伴う複合的な人道危機に発展してしまった場合、将来的には、UNMEERのような国連ミッションは設置せずに、OCHAが対応に乗り出せるように準備しておくべきである。将来の保健人道危機に対応できるように、感染症対策の経験がある国連人道調整官の派遣や、調整のためのクラスター制度の活用など、OCHAの能力強化が望まれる。

勝間 靖(かつま・やすし)/早稲田大学国際学術院副学術院長・教授、大学院アジア太平洋研究科研究科長

 国連開発計画(UNDP)で『人間開発報告書』諮問委員、国際開発学会で副会長、国際人権法学会で理事、日本国際連合学会で理事を務める。

 英国プロジェクトのボランティアとしてホンジュラスで活動、海外コンサルティング企業協会の研究員として東南アジア・ロシア極東地域・南米で開発調査、国連児童基金(UNICEF)の職員としてメキシコ・アフガニスタン・パキスタン・東京で勤務した後、現職。

 関西学院高等部在学中にインターナショナル・フェローシップ交換留学生として米国ペンシルバニア州で高校卒業。カリフォルニア大学サンディエゴ校留学を経て、国際基督教大学で教養学士、大阪大学で法学士と法学修士、ウィスコンシン大学マディソン校で博士号を取得。

 最近の研究関心として、持続可能な開発目標、人間開発、子どもの安全保障、グローバルヘルス・ガバナンス、アジアにおける人権などがある。

 編著書として、『テキスト国際開発論~貧困をなくすミレニアム開発目標へのアプローチ』(ミネルヴァ書房、2012)と『アジアの人権ガバナンス』(勁草書房、2011)、共編著書として『国際社会を学ぶ』(晃洋書房、2012)と『国際緊急人道支援』(ナカニシヤ出版、2008)がある。