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小沼 純一(こぬま・じゅんいち)/早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

式典はどの方角なのだろう

小沼 純一/早稲田大学文学学術院教授

 1月20日はアメリカ合衆国大統領就任式がおこなわれます。1961年、J.F.ケネディ大統領就任以来、就任式ではたびたび詩が読まれてきました。詩は大統領へ送られるメッセージなのです。この風習にならって、ひとつの詩(らしきもの)を試みてみることになりました。

 多くの人たちの何かを代弁しているのか。こうした場にふさわしいかどうか。わたしにはわかりません。また、想定されているのは特定の誰かではありません。

 誰か、を想定するより前に意識すべきことがあるだろう。わたし自身とわたしのまわりをまずふりかえる。そして考えること、書くことをひとまかせにはせずに。こうしたことをかたちにしておきたい。自らへの戒めをたてておきたい−−−−そんなところで書いてみました。

 なお、引用には、ホイットマンは木島始訳、ディキンソンは亀井俊介訳、ともに岩波文庫版をつかわせていただきました。

式典はどの方角なのだろう

預言も神託もない あてになるのはきくこと きき わけること 声たちがいり まじり いり みだれる なかにくぐもっている異和の声 無言の声を きき とろうとチューニングする 膝を曲げ 腰をおとす くびをかしげて 耳をよせる 影で ささやかれ またささやかれなかった 声たち に耳かたむけようとする ふるえを触知 する しようとする

言い古されながら つい と 忘れてしまうことどもをおもいだす 百年 二百年のあいだ どれだけの種類の生きものたちがいなくなってきたか はなすはなされるひとたちの少ないことばが 勘と手で磨かれた技が 失われてきたか いま住む土地を、水を、星を借りている 住まわせてもらっているとのおもいはどうなったか 謙虚や遠慮 つつしみといったことばが古語に化石になってゆくのを横目にみながら 何度もあやまちをくりかえしくりかえしつつ それでも過去をふりかえり少しずつでも教えを得ながら 一歩一歩試行錯誤がなされるなら 口の端にのぼる遺産という語の空虚もすこしは軽くなる なるだろう か

式典はどの方角だろう むかってゆくことばはどれくらいの速度で 光の 電子の 音の 速度で か ここ 書いているここ あなた、ひとりひとり、が読んでいる ここ からは あまたの距離が ひと、ひとびとのあいだがある 届くまで どれだけのひとにふれてゆくだろう あまたの物語が描いてきた未来を いまはまだ と化学物質と電子機器と共存し安心しながらみつづける

 

いたずらな期待も 歓喜も賞賛も 悲嘆も憤怒も 抑える 
証人にして当事者 
それが生きるもの 過去に生きたものたちのまなざしを背におぼえながら

かの土地で発されたことばをおもいだそうと繰るページ 

あらゆる詩句からことばから逃れさり 「きみやわたしや、いつも追い求めるみんなが、いつも取り逃がしているもの」 「魂はそのためにあり、そして目に見える全宇宙がそのためにあり、そしてついには天界がそのためにある」 ウォルト・ホイットマンが指さしたただ「二息のことば」 
希望は羽根をつけている と けっして休むことなく 嵐のなかも 冷え冷えとした土地でも 見知らぬ海でも 「けっしてわたしにパン屑をねだったことがない」 と エミリ・ディキンソンがうたった小鳥
このことば、この小鳥、は まだ生きている だろう か 百数十年のときをへて おなじ広大な土地のなか ひとつは声を大に ひとつはそっと でもおなじことばで記され
このことば、この小鳥はもっともっと以前から感じられてきた 伝わってきたものが ふと 姿をあらわしただけだろう このことばや小鳥の来歴にどれだけの過去がある か 
教えてくれる辞書はある か

忘れるから 記憶しきれないから 記しておく 
記すばかりで参照されず ただ蓄積されてゆくばかりのことどもがある
読みとかれ 行間にあるものは想像されぬこともある
記すだけでなく 記す必要を 記す必要を感じるからだのおもいをも記しておく
たぶんことばにはそれができるから
そうでなければ 
ただ形骸しかのこらないから

数字につかれ 数字をおう顔がある
数字につかれ 数字の世界からこぼれおちる顔が 表情が まなざしがある
数字につかれているのに数字を忘れる くちのはにののしりあざけりが浮かびかかる 

と 
みえてくる
見知らぬ町でむけられたまなざしが 怪訝さをむけられてすくんだ肌が
さしだされた傘が さりげなさのしみいってくるのが 
そして
ともたちが 猫たちが 気をはらず ゆっくりと眼をつむることのできるときとところがあたりまえになる
そんなときとところをゆめみられるなら

詩はたちどまること たちどまって考えること 考えをめぐらすこと めぐる じぶんを じぶんのいるところを 
詩はたちどまりながらうごくこと 一文字の空白が 句点が 読点が 行がえが 待つ 跳ぶ 機会でないなら−−−−−何だろう

ヘッドフォンをはずし とどくもの とどいてくるものに鼓膜をふるわせる 
ひとりひとりのからだは楽器だから生という音楽をかなでる
気温や湿度で かなでられるべつの楽器で ひとの ひとりひとりの音は 音楽は 変わる
だから 待っている どんなふるえがとどくのか どんな共鳴がおこるのか おこらないのか

小沼 純一(こぬま・じゅんいち)/早稲田大学文学学術院教授

1959年東京生まれ。音楽を中心にしながら、文学、映画など他分野と音とのかかわりを探る批評を展開。現在、早稲田大学文学学術院教授、詩人。音楽・文芸批評家。著書に『武満徹 音・ことば・イメージ』『バカラック、ルグラン、ジョビン 愛すべき音楽家たちの贈り物』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』『映画に耳を』『オーケストラ再入門』『音楽に自然を聴く』他多数。詩集に『し あわせ』『サイゴンのシド・チャリシー』ほか。編著に『武満徹エッセイ選』『高橋悠治対談選』『ジョン・ケージ著作選』『柴田南雄著作集』。NHK Eテレ『”スコラ” 坂本龍一音楽の学校』のゲスト講師としても出演。