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豊永 郁子(とよなが・いくこ)/早稲田大学国際学術院教授 略歴はこちらから

トランプ氏はなぜ危険かー2016年アメリカ大統領選挙が意味するもの

豊永 郁子/早稲田大学国際学術院教授

 2016年11月9日、日本時間の午後4時過ぎ、アメリカ大統領選挙の開票結果を見ようとTVをつけた私は、共和党のトランプ氏勝利の報に接し、呆然とする。ほぼ同じ時刻、内外の友人たちから立て続けにメッセージが入る。友人たちは「いやぁ~」と唸るばかりだったり「ニュースなんか聴かないでずっとシューベルトを聴いてた方がいいわ!」と叫んでいたり、それぞれ明らかに、トランプ氏当選の結果に動揺している様子(ちなみに皆、アメリカ人ではない)。私もしばらく固まっていた。

 何故、勝利を確実視されていた民主党のヒラリー・クリントン氏が、敗れたのか。とくにテレビ討論会以来、ヒラリーの当選は揺るぎないものとなっていたはずではなかったのか。まず脳裏に浮かんだのはこの問いだ。動揺さめやらぬアタマで、二三の要因を考えてみる。

 一つには、メディアの果たした役割があろう。メディアが、これまで何度も引導を渡して然るべきだったトランプ氏について、その候補者生命を、選挙報道を面白くする意図があったのかどうか、投票日まで繋ぎ続けた。確かに氏の、スタンドアップコメディアンを思わせるような挑発的な語り口、数十年来アメリカを代表するセレブとして社交欄を賑わしてきた華やかな経歴、過激な公約の数々―一種の怖いもの見たささえ覚えさせる―は、氏を格好のニュースの材料とした。今回、アメリカのメディアは、トランプ氏の選挙キャンペーンが危機に瀕するたびに「トランプ氏はこれまで(共和党の候補者指名争いの段階から)前代未聞のことを引き起こしてきた。従ってまだ結果はわからない」という台詞を繰り返した。たとえば、こうした決まり文句がトランプ“候補”を延命させ、いつしかお茶の間にも前代未聞のことを密かに期待するムードを醸成したということは十分に考えられる。

 二つ目には、民主党支持者ないしはより広くトランプ氏に反発する人々の“油断”があったであろう。少なからぬ有権者が民主党のヒラリーの当選を確実と見た上で、ヒラリーまたは現オバマ民主党政権への不満や抗議を表明するために、ヒラリーへの投票を避けたのではないか。ヒラリーの当選を見据えて、トランプ氏に投票した民主党支持者さえいたかもしれない。彼らはいわばヒラリーと民主党に“お灸”を据えようとしたわけであるが、皮肉なことに、その意図が裏目に出た。

 ここまで考えてため息をつく。メディアが選挙を“娯楽”として扱い、有権者が政治への嫌気や選挙結果への予断から棄権や捨て票を自らに許し始めると、ろくなことは起こらない。11月9日には、こうした自分たちの行動がもたらした結果を見て、顔面蒼白になったメディア関係者や有権者も多かったのではないか。「違う行動をとるべきだった」、「もっと出来ることはあった」、「これは避け得た結果だ」―彼らの内心の呟きが聞こえてきそうだ(かくいう私も、ヒラリーの当選を当てにして悠然と11月9日を迎えたことを恥じていた)。

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 とはいえ、冷静になって考えてみると、トランプ氏はやせてもかれても共和党の大統領候補。大統領選挙での勝者を指す振り子は、ちょうど民主党から共和党へと動く時期にあった。つまり、民主党のオバマ大統領が二期8年をつとめたあと、本来、民主党大統領の誕生は考えにくいところであった。連邦議会の上下両院の選挙でも、最近数次の選挙結果は、共和党優位の時代が到来したことを物語っている。そういう意味では、今回の選挙では順当な結果が出たとも言える。むしろ民主党のクリントン候補が大統領になることが予想されていたとは、トランプ候補がよほど不人気であったことを意味している。彼は、共和党の御歴々からも見放されていたほどの、“あり得ない”大統領候補であった。

 実際、トランプ氏は、当選させてはいけない候補というイメージをまとい続ける。選挙戦中に言及された政策に焦点を当てるならば、次の政策がトランプ氏の“危険性”を端的に表していた。

1)移民政策。移民政策は、氏の政策のアルファでありオメガである、かのようである。氏は「1000万人の不法移民を本国に強制送還する」、「移民の流入を防ぐ壁を隣国メキシコとの間に建設する」と繰り返し述べ、これらは氏のシグニチャーポリシーとなった。氏はさらに、シリア人やイスラム教徒について、ひとまず一括りにテロリストと見なして「アメリカに入れない」ことを提唱する。こうした排斥的な移民政策は、移民による犯罪の撲滅やテロリストの入国封じのための必然的な施策として言及される一方、外国人からアメリカ人に仕事を取り戻す失業対策としての意味も与えられ、あたかもあらゆる社会問題への特効薬であるかのように提示された。トランプ候補は他にも様々なかたちで、アメリカへの入国規制の強化、移民の制限、国内の外国人への締め付けを唱えている。それにしても、彼のように、アメリカの「移民国家」としての来歴を一切顧慮しない、顧慮する素振りさえ見せない大統領候補の出現は、まったく新しい現象ではないであろうか。(移民の子孫であることはアメリカ人の誇りであり、このことがアメリカのナショナリズムの要諦をなしてきた。トランプ候補を「ナショナリスト」とは呼び難い理由がここにある。)

 言うまでもなく、人種や信仰、出自を理由に人の移動を制限すること―なかんづく人をその住処から引き剥がして国外に追い出すことは、人権の蹂躙にあたる。20世紀の歴史を知る者であれば、ナチスのホロコーストへの道(特定集団に対する「国外追放」政策が、きわめて迅速かつロジカルに殺戮による「絶滅」政策へと進化した。ためしに行き場の無いひとびとをどうするかという問題を考えてみるとよい。解決策はよくても収容所送り、となる)をすぐさま思い起こし、身構えるであろう。

2)エネルギー政策。もう一つ刮目すべきは、「石炭回帰」のエネルギー政策である。炭坑と発電所が次々と閉鎖においこまれる中、トランプ候補は産炭地帯を廻り、石炭産業の復活を約束する。そしてそのためとして、石炭の採掘や石炭発電に課される環境規制を緩和することを提唱する。政府と産業界がすでに化石燃料からの離脱の方針を固め、とくに化石燃料の中でもCO(二酸化炭素)の排出量が大きい石炭の利用が問題視される中で、この「石炭回帰」の公約は打ち上げられた。それはトランプ候補の時代錯誤の表れと見えた。実際、トランプ氏は、石炭だけでなく石油や天然ガスも含めた化石燃料全般の利用に積極的であり、そもそもCOが地球温暖化をもたらすという説に懐疑的だ。オバマ政権による国内のCO排出削減のためのプログラム(クリーンパワープラン)はもちろん、温暖化防止への国際的な行動計画に関するパリ協定も反古にする構えであり、全てを一昔前に戻そうとしているかに見える。

 しかし、この“アナクロニズム”を見くびってはならない。「石炭回帰」の政策は、トランプ氏における“魔法の杖”のようなものである。この杖が見せるのは、次のような夢だ。国土に無尽蔵に眠る石炭が利用されるならば、アメリカは自前のエネルギーにもっと頼れるようになり、その「独立」も果たされる。すなわち、アメリカは“海外”への依存から解かれ(ここでの“海外”とは、具体的には、現在アメリカに石油などのエネルギー資源を供給している中東諸国、つまり氏が国内から排斥したいイスラム教徒の国々を指している)、“海外”で起こる内戦や紛争、テロリズムに煩う必要もなくなるであろう。さらに石炭は第二のシェールガスとして、アメリカ経済を浮揚してくれるかもしれない。このように石炭は、外交・軍事および経済の両面で「強いアメリカ」の基盤づくりに貢献し得る。

 そして何より石炭の生産と利用の拡大は(現実化すれば、の話だが)炭坑で働くひとびとの雇用の保障と産炭地帯の経済的な再生を可能とする。つまり、かつて炭坑によって栄えたが、今や慢性的不況と失業問題に苦しみ、衰退の一途にある地域が、トランプ氏の石炭へのテコ入れによってよみがえる。炭坑での雇用は守られ、消滅寸前だったコミュニティー(町や村)も存続する。地域には好景気も訪れ、新たに多くの雇用が生まれるかもしれない。もし、このヴィジョンを好ましく思った産炭地の有権者が共和党のトランプ氏に投票するということが起これば、産炭地は伝統的に民主党に固い支持基盤を提供してきただけに、そのインパクトも大きなものとなる。

 移民政策が支持者の現在の不満や不安の対象を取り除くネガティヴな政策とすれば、「石炭回帰」の政策はトランプ氏が支持者に与えるヴィジョンやゲインを語るポジティヴな政策となっていた。それは中東の産油諸国から独立したアメリカ、石炭ブームに沸く好景気のアメリカをイメージさせ、地方には産業を、コミュニティーには再生を、個人には働き口を提供することを約束する。さらに付け加えるならば、上述のように外交・軍事、経済と関連づけられ、なおかつそれ自体が独特の産業政策、地方対策、労働政策をなすことによって、トランプ候補が重要な政策領域を網羅した政権構想を持つ、という外観を生んだのかもしれない。こうした積極的なヴィジョンやゲインの提示、政権構想の十全性の外観が、たとえば、トランプ氏の移民政策に強く共感するが、ネガティヴな政策しかもたない、または一つのイシューについての主張しかもたない大統領候補は支持しにくいという有権者を、氏への投票に踏み切らせることは十分に考えられた。

 だが、実際に実施されたとき、「石炭回帰」の政策が行き着くのは、石炭ビジネスによる地方の乱開発と環境破壊でしかないであろう。アメリカの「石炭回帰」はまた、新興国や途上国の石炭利用を勢いづかせ、国際社会のCO削減への取り組みをより困難なものにするであろうし、とくにそうした国々でローテクノロジーによる石炭の利用が拡大されるとすれば、環境汚染も増悪する。その先に見え隠れするのは、温暖化が急速に進行し、煤けて汚染された―おそらくは穴ぼこだらけの―地球である。

3)対外政策(保護主義と孤立主義)。国内のみならず世界中を震撼させているのが、氏が対外的な通商政策の分野で掲げる保護主義である。氏は、自由貿易の建前よりも国内の生産者を守ることを優先する意向を明らかにし、たとえば中国とメキシコにそれぞれ45%、35%の輸入関税をかけると宣言する。また、あらゆる自由貿易協定に批判的であり、いまだ加盟交渉中のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)はもちろん、NAFTA(北米自由貿易協定)やWTO(世界貿易機構)についても、アメリカの脱退を示唆する。言うまでもなく、アメリカがこれまでのように自由貿易体制の盟主を自任することをやめ、保護主義を率先し巨大な国内市場を他国に対して閉ざせば、世界および諸国の経済の様相は一変する。しかし氏がそのことを気にかける様子はない。概して対外政策に関わる氏の主張は、氏がアメリカを孤立主義の道に導こうとしていることを示している。氏がNATO(北大西洋条約機構)の見直しを唱え、またパリ協定からの離脱に言及した際には、世界中に衝撃が走った。国際社会が苦心して作り上げた多国間協調の枠組みを、氏が重んじていないことは明白であった。

 トランプ氏のこれらの政策に通底しているのは、世界大の秩序維持・秩序形成への無関心、国際的なルールや取り決め・共同事業の軽視である。オバマ氏は、アメリカの大統領がいよいよ「世界の大統領」になるとの期待を内外の多くの人々に抱かせた。トランプ氏はこうした期待を木っ端みじんに打ち砕く。言うまでもなく、氏はアメリカ大統領に世界のリーダーとしての役割を求めるひとびと(世界のどこかでアメリカ大統領の行動に望みをつなぐほかないという状況に生きているひとびとを含む)には、到底受け入れられない大統領候補であった。

 さて、保護主義と孤立主義―これらがアメリカと世界をどれほどの混乱に陥れるかは未知数である。しかし何より薄気味悪いのは、これらが政策的に1930年代への回帰を意味することだ。トランプ氏のアメリカは、戦間期の国際秩序を瓦解させ、ヨーロッパの全体主義化と第二次世界大戦を用意した、当時のアメリカを彷彿させる。

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 以上の三つの政策が物語っているのは、トランプ氏における「人権」、「環境」、「世界」への無関心(軽侮)である。それぞれの政策は、結局は人気取りや票集めのための政策であったり、特定の利益集団やビジネスを優遇したいがための政策であったりするのかもしれないが、いずれもこれらの価値への無関心なくしては出てこない政策である。「人権」、「環境」、「世界」が軽んじられるとき、私たちはとても危険な状況にある。トランプ氏の危険性の核心は、オポチュニズム(機会主義)やネポティズム(縁故主義)ではなく、これらの価値への無関心にある。開票直後に起こった“反トランプ”デモは、一見敗者のヒステリックな行動と見えたが、こうして氏の政策を整理してみると、それが単なる党派的反応ではなかったことがよく見えてくる

 ところで、まだ政策のかたちはとっていないイデオロギーが判るのが、言辞やふるまいを通じてである。トランプ氏の言辞とふるまいは、氏についてこう語る。世界の貧困問題や紛争に冷淡であり、独裁者と心安く付き合え、白人優越主義者であり、女性を蔑視し、一部の個人や団体の恣意的な優遇や、公私混同に無頓着であり、人権をすべての人に認めることはなく、ステレオタイプで集団や個人を論じ(メキシコ移民=犯罪者、イスラム教徒=テロリストといった風に)、治安維持には熱心であるが正義には関心がない。通常、大統領候補はこれらの態度を示唆する言辞やふるまいを周到に回避しようとするものだが、トランプ氏はこれらすべての態度を大統領候補に(そしていまや大統領に)“あり得るもの”、“あってよいもの”とし、政治の表舞台に引き入れた。

 しかし、トリッキーなことに、トランプ氏の発言にはどこまで本気なのかわからないと感じさせるスタンドアップコメディアンさながらの自由奔放さがあって、氏の支持者も反対派も、氏の発言の真剣度を疑い、氏の“ショー”を楽しむことで、自分を安心させてきた部分があるように思われる。話の中身の過激さも、まったく馴染みの無い過激さというわけではない。個々の家庭レヴェルでは、たとえば「お父さん」の口から、日常的に聞かれる種類の過激さではなかったであろうか。つまり、有権者の側には―少なくとも公的な議論や社会的立場からは切り離されたそのプライヴェートな言論環境には―氏の過激さを受容する下地があったのだろう。さらに、氏の語りにはまさにスタンドアップコメディアンの語りがそうであるようにステレオタイプが効果的にちりばめられ、このステレオタイプが氏の話を“胸のすく”、“腑に落ちる”ものとしている。しかし、トランプ氏の場合、使用するステレオタイプは、聴衆の怒りや嫌悪感に訴え、差別感情を助長するネガティヴなものが主であり、この一点だけでも氏は危険と言えた(法令で禁止されているヘイトスピーチが大統領選挙のキャンペーンでは大手を振ってまかり通るというのも奇妙な話である)。従って、氏に関して「トランプ旋風」と呼べるほどの熱狂は起こっていないから安心ということにはならない。お茶の間の日常に入りこみ、毒のある発言を繰り返し発することで、氏の人物やイデオロギーは、ひとびとの間に着実に浸透を果たしたのだろう。

 トランプ氏が掲げる政策や氏の言動には、以上のような“危険性”がある。そうした危険性にもかかわらず、氏は大統領選挙に勝利した。選挙戦では危険が見過ごされたというより、トランプ氏の危険性一切にもかかわらず、あるいはその一切の故に(予想される危険があまりに非現実的に感じられるが故に)トランプ氏への油断が生じた、と見るべきであろう。トランプ氏がヒトラーになるとは言わない。ただヒトラーのような独裁者が好むであろう道具立て―政策・イデオロギーを、アメリカ大統領(トランプ氏)が認知した、あまつさえ実践している、ということにはなりそうだ。我々は今後4年間、ないし氏が再選を果たしたとして8年間、氏の存在が日常化して、氏を危険と感じる感覚が鈍麻しないように、お茶の間で見る政治家の気安さや軽さに惑わされないようにしなければならない。さもないと、5年後、10年後に、世界は危険な指導者であふれ返っているであろう。

豊永 郁子(とよなが・いくこ)/早稲田大学国際学術院教授

東京大学法学部卒業。九州大学法学部助教授を経て、2004年より現職。東京大学博士(法学)。専門は、政治学・比較政治。著作に、『新版サッチャリズムの政治』(勁草書房)、『新保守主義の作用』(勁草書房)、「小沢一郎論上・下」(岩波書店『世界』掲載)、「ヒラリーはなぜ負けたか」(WASEDA ONLINEオピニオン掲載)など。『豊永郁子小論集』ウェブサイトがある。