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小野充一 (おの・みちかず) 早稲田大学人間科学学術院教授 略歴はこちらから

死生の際を越えて生きる勇気
-臨床死生学事始め-

小野 充一/早稲田大学人間科学学術院教授

 「死生の際」という言葉が「乗り越えることが難しい体験」としてより実感的に受け止められるようになったのは、昨年の「3.11」以後のことであろう。このようなつらい体験によって、日本人一人ずつが自らの「死ぬこと」や「生きること」についてもつ考えや理解(死生観)がどのように変化したのかということは、まだまとめられていない。しかしながら、生きていくうえで「乗り越えることが難しい」と感じられることは、現実の死以外にも様々な状況や要因から生じる。

 臨床死生学は、現実の死や死と同等につらい体験、すなわち「死生の際」における個別の行動や思索、周囲の人との関係の変化などについて、哲学、宗教学、倫理学、社会学といった社会的な学問と、様々な臨床医学(精神医学、緩和医療学など)、看護学、薬学、臨床心理学などの現場で活用されている臨床的学問の両方からアプローチして支援することを目標としている。さらに、専門職の側だけでなく、死生の際を迎える当事者としての患者さんや家族の側も、それを乗り越えるために必要とされる知識や技術について、現場での様々な体験を通して得ることや、世代を超えて蓄積された生活の知恵をもうまく活用していくことを目標としており、双方の共同作業によって目の前にある課題を解決するための仕組みを構築していくとする点が特徴である。

図1

「人の死」を構成する要因に関する技術的なアプローチと限界

 まず、「人の死」を構成する要因について、生物学的な死の面から把握する場合は、生命活動の停止があり、その事象は、細胞死・臓器死・個体死から捉えることが出来る。一般的に個体死を判定する方法として、心臓拍動の停止、呼吸の停止、瞳孔反射の消失が死の三徴候として定着しているが、脳死/臓器移植技術の出現によって、臓器死と個体死の関係が揺らぎを見せ始めていることも理解しておく必要がある。すなわち個体死をできるだけ先延ばしにしようとする延命治療技術の結果の一端として脳死という病態が出現したが、この状態が不可逆的であるとする立場と、可逆的であるとする立場の対立は解消していない。一例を挙げれば、長期的脳死症例の報告があることについて、脳死判定されてから3徴候死に至るまでの期間について、判定後の治療内容や、脳死の原因疾患、患者の年齢や全身状態など多くの医学的要因が関係することが報告されているが、それ以外に患者家族や医療スタッフの生命観・死生観、社会的経済的条件なども影響する可能性が議論されている。このような社会的な要因については、脳死判定基準の確定や法的手続きの厳守といった仕組みの確立によって最小限度の影響にとどめることが可能となるが、臨床死生医学の視点からは、脳死を判定された患者の個別の死を家族や関係者がどのように了解するべきかといった課題は解決がついていない。すなわち、脳死判定された患者さんの人生の延長や死を了解するための合理的な判断基準といった概念を提出することが困難であるために、あくまでその現場に立ち会う医療従事者と患者さんを支える家族や身内の人たちが、其々のライフストーリーを重ね合わせて何らかの行動や結論を得ることを目標に向き合っていくことが望まれる。

 さらに、生命現象や死を巡る生物学的な定義についても議論がされており、厳密には合意できていない状況があることから、死の現象を科学的に絶対であるとする立場ではなく、社会的・相対的に合意された死の判定手順(死の三兆候)と脳死判定基準という二つの死の判定基準の整合性を巡って、さらに多角的な検討を行って社会的な合意形成が進むように取り組むことが求められている。

「死を迎える場所」の変化と「死の医療化」への流れ

 下図のごとく、日本人が死を迎える場所は、1951年(昭和26年)の自宅で死亡(82.5%)から、2004年(平成16年)の病院で死亡(79.6%)に大きく変化している。このような劇的な変化の原因としては、国民皆保険制度の導入による医療アクセス性の大幅な改善や、医療制度の構造変化として開業医から病院医療へのシフト(専門化・分業化の進行)、社会構造(家族制度)の変化として被雇用者(サラリーマン)の増大と核家族化の進行が在宅ケア人員の減少をもたらしたことなどが挙げられる、さらに、これらの要因が在宅死体験の機会減少につながり、「病院死が普通」という概念への転換という死生を巡る環境変化をももたらしていると考えられている。

 このような、社会的な変化は、「死」の不可視化という現象として検討されているが、「死の場所」の病院への移動が死の医療化「囲い込み」につながっているという批判の基盤となり、主体は死者の家族から医療スタッフへという転換をもたらし、「死の時間」の孤立や「死」の苦悩の抑圧といった課題を発生させている。これは総合的に、「死」の現実性喪失現実体験としての共有の減少という状況をもたらし、消費者の視点からは長期的には現実的な対応能力の減少につながることが危惧される。

死のあり方についての医療者と患者の食い違い

 このような状況について、日本人に共通する望ましい死のあり方に関するアンケート調査の結果をもとに医療者と患者の間にあるギャップを検討してみよう。患者の希望する項目の中で、医療者とのギャップが少なかったのは「疼痛が少ないこと」であるが、それ以外の項目では患者の望むことに十分に沿えていない傾向が認められた。特に、「人生を全うしたと感じられること」「意識が明確であること」「負担にならないこと」「他人の役に立つこと」などについては医療的な目標として設定することが困難であるという状況はあるものの、患者の望む医療やケアが現在の医療環境では提供されにくい可能性が示唆される。

 以上、死の臨床現場には様々な困難と課題があるが、臨床死生学が果たす役割として期待できるのは、患者さんや家族の一人ずつがもつ各々のライフ・ストーリー(生活史)を、医療やケアという専門領域における対話の基盤として位置づけ、相互に調整・介入を図る仕組みを構築することである。そのために用いられるコンセプトとしては、「目の前の人と肯定的に繋がる」「顔の分かる範囲の人に肯定的に伝える」という2つが挙げられるが、このような取り組みから死生の課題を越えて生きる勇気を生み出すことが期待される。さらにこれらを統合する学際的な取り組みだけでなく、市民の立場からの共同作業の場を構築することを目標とすることが最も重視されるべきであろう。

小野 充一 (おの・みちかず)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】
1953年11月06日生まれ
早稲田大学人間科学部健康福祉科学科 教授、緩和医療学・臨床死生学研究室、医学博士

『専門領域』
臨床死生学、緩和医療学、医療の質評価、リスクコミュニケーション

『学歴』
1979年 東京医科大学卒業
1984年 東京医科大学大学院医学研究科博士課程 中途退学)

『職歴』
1980年 6月 東京医科大学外科学教室 臨床研修医として勤務
1984年 4月 静岡県立こども病院新生児・未熟児外科医員
1985年 4月 東京医科大学外科学教室助手
1988年 6月 戸田中央総合病院外科医員
1993年10月 メモリアル・スロ-ン・ケッタリングガンセンタ- 精神科留学、『治療とケアの移行点に関する国際共同研究』
1994年 4月 戸田中央総合病院緩和治療科外来開設、専任医員
1997年 4月 戸田中央総合病院緩和治療科部長
1998年10月 東京医科大学外科非常勤講師
2005年 4月 埼玉県立大学非常勤講師、2005年4月から現職
2007年 4月 国際医療福祉大学非常勤講師(兼務)

『社会的活動』
・日本臨床死生学会常任理事およびテキスト編集委員会委員長
・日本ホスピス緩和ケア協会理事、評価委員会委員、機能評価部会長
・日本医療機能評価機構調整部会委員
・北里大学倫理員会委員など

『著書』
・QOL調査と評価の手引き
・看護QOLBOOKS 緩和ケア
・知っておきたいモルヒネと緩和ケア質問箱101 など