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モッツ ホルガー マルティン/早稲田大学理工学術院助教  略歴はこちらから

国際宇宙ステーション(ISS)に搭載したCALET宇宙線検出器を用いた暗黒物質探査について
- そして暗黒物質未発見でも可能な社会貢献 -

モッツ ホルガー マルティン/早稲田大学理工学術院助教

CALETから得た最新結果とその解釈

 カロリメータ型宇宙電子線望遠鏡(CALET:CALorimetric Electron Telescope)は、2015年8月に打ち上げられ、国際宇宙ステーション(ISS)[図1、図2]に取り付けられた宇宙線検出器です。開発および運用は、宇宙航空研究開発機構(JAXA・日本)、アメリカ航空宇宙局(NASA・米国)、イタリア宇宙機関(ASI・イタリア)、さらにこの3カ国の大学・研究機関による国際共同研究の形で行われています。このプロジェクトを主導するのは早稲田大学で、鳥居祥二教授が代表研究者を務めています。直近の宇宙線国際会議(ICRC2017)は韓国の釜山で開催されましたが、そこでCALET研究グループは世界の研究コミュニティに対し、その主要成果である1 TeVまでの電子 + 陽電子宇宙線エネルギースペクトル[図3]を発表しました[参考文献1]。これは20年という長期にわたる数多くの物理学者とエンジニアが成し遂げた成果でもあります。この成果の重要性は、果たしてどの点にあるのでしょうか。

図1:CALETは2015年8月19日、種子島宇宙センターから、無人宇宙ステーション補給機HTV-5に搭載され、H2Bロケットで打ち上げられた。8月24日にはISSに到着し、日本の実験モジュール「きぼう」の船外実験プラットフォームに、ステーション付属のロボットアームによって設置された。[写真:JAXA]

図2:CALET検出器の概略図:主検出器カロリメータは、宇宙線のエネルギー測定用に最適化された粒子検出器である。副検出器であるガンマ線バーストモニター(CGBM)の設置位置も示されている。

 物理学から見たCALETの主要な目的の1つは、暗黒物質(ダークマター)の対消滅または崩壊の痕跡を明らかにすることです。暗黒物質は新しい素粒子であると広く信じられているもので、その発見は最も注目を集めている研究分野です。 暗黒物質は素粒子物理学における標準理論を超える物理の存在を証明するものとして現在最も有力視されています。標準理論は、既知素粒子同士の相互作用の厳密な計算を可能にし、ヒッグス粒子の存在を予測しました。ヒッグス粒子の発見によって標準理論はしっかりと裏付けられています。

 暗黒物質の存在とその特性の多くは、銀河内での恒星の移動速度や、銀河団周辺の光の曲がり方など、様々なスケールにおける重力的影響の観察から確認されています。暗黒物質の総量は、恒星や惑星、塵雲、ガス雲など普通の物質の総量の5倍にもなると考えられています。

 最近発表された重力波の発見により、重力は一般相対性理論によってきちんと説明することができ異なる重力法則を提案する他の理論を制限することが示されました。

 しかし暗黒物質は重力の影響を受けるものの光とは相互作用せず、普通の物質との相互作用があったとしても非常に弱いため、質量以外の性質はほとんどわかっていません。ところが、暗黒物質を素粒子と考える理論の多くは、暗黒物質粒子が2つの暗黒物質の衝突によって破壊されるなど自己消滅するか、あるいは非常に長い時間をかけて崩壊する可能性があると予測しています。

 どちらのプロセスにおいても、自己消滅や崩壊した暗黒物質のエネルギーは高エネルギーの可視粒子に転換します。

 超新星が生む通常の宇宙線の滑らかなバックグラウンドとなるスペクトルの上に、際立ったピークのある特徴的なエネルギースペクトルを持つ宇宙線成分が存在する可能性があるのです。

 CALETにより測定されたスペクトルは、暗黒物質の痕跡であると解釈できるかもしれないいくつかのステップとピークを示しています。粒子の流束(フラックス)は小さく、エネルギーとともに急速に降下するため、スペクトルのこの構造を解析するためには、優れたエネルギー分解能や、十分な大きさを備えた検出器による宇宙空間での長期観測が必要になります。CALETはこの2つの要件を満たす、TeV領域内でのスペクトルを正確に測定する最初の実験になります。

 宇宙物理学的な近傍の加速源である超新星やパルサー(急速に回転する中性子星)は、まだ統計誤差の大きい現在のスペクトル構造を説明する、より普通の解釈です。従って、スペクトル内の構造が暗黒物質の自己消滅や崩壊によって起こったと解釈するためには、その構造が観測可能な宇宙、つまり超新星やパルサーによっては作ることができないことを確認しなければなりません。

図3:CALETによって測定された宇宙線電子 + 陽電子のエネルギースペクトル。青色で示された滑らかな曲線からの乖離は、近くにある宇宙物理学的なソースや、暗黒物質の痕跡(赤色の線で示す)である可能性があるが、(まだ?)統計的に有意ではない。さらなる観測による統計の改善が期待されている。

 暗黒物質の性質についての情報は、制限という形でこのスペクトルから抽出することができます。つまり観測されたスペクトルよりも顕著に高いピークを生じると予想されるようなモデルは実験的に棄却されます[参考文献2]。これらは暗黒物質探索の存在を否定する結果なのですが、様々な方法による数々の実験が示す通り、暗黒物質がどのようなものであるかを表すパラメーターを制約しているからです。

 暗黒物質の探索は、CALETプロジェクトの多くの目的の1つです。当プロジェクトは他にも、銀河内における宇宙線の伝播状態を解明するため、比較的近くに存在する超新星残骸の痕跡の探索や、ガンマ線バーストの検出・研究なども行っています。

 CALETは、LIGOや他の検出器が観測したブラックホールや中性子星の合併による重力波イベントに同期する、ガンマ線のシグナルの検出に関わっています[参考文献3]

基礎科学が社会と教育に与えるインパクト

 CALETは数十億円をも費やしたプロジェクトです(H2B輸送ロケットの打ち上げは、それだけで約150億円の費用がかかりましたが、CALET以外のISS補給品も同時に運搬されました)。こうした大規模な基礎科学プロジェクトは、投資に見合うだけの直接的な利益を生まないため、その正当性は常に論争の的になっています。この記事の後半部分では、当研究が社会に影響を及ぼすだろうと私が考える重要な事項を取り上げたいと思います。今回取り上げる項目以外にも、派生技術など多岐にわたる恩恵が当プロジェクトから期待できることは言うまでもありません。

 物理学、特に素粒子物理学は、現代宇宙論の基礎をなすものです。宇宙論とは宇宙の生成に関する学問であり、宇宙における私たち自身の役割の認識に強い影響を及ぼし、人々の行動に影響を与えます。しかしながら、科学は宇宙を記述するのみで、宇宙の、そして私たち人類の存在意義を示すものではありません。科学においては観察に基づいた検証により反証可能な理論を原則とするもので、人間の存在意義のような究極概念の検証は想定できないからです。それでもなお、現代宇宙論はかなり複雑ではあるものの、初期宇宙における均質な熱プラズマから、現在の銀河や恒星系、惑星の状態まで、物質とエネルギー生成の過程を、外的な影響を排除して説明できる理論です。宗教やそれに類する思想は、宇宙の始まりについて理解しやすい解説を提供してくれるため、一般的に人気があります。これらは日常的な知恵や習慣を吸収し、我々の生活に大きな影響を与えています。思想や良心の自由は基本的権利であり、いかなる形態の信仰も尊重されるべきですが、信仰に基づいてなされる個人の行為は社会全体に影響を与えます。これは複雑にもつれた状態とも言えるでしょう。だからこそ私は、宗教的な教えや神話等に代わる唯一の選択肢として基礎科学が重要であり、その地道な究明が必要であると信じるのです。

 高校や大学で教える力学や電磁気学、熱力学は、主に実効的な理論で、ある範囲において予測や計算をするのには有効な知識です。日常生活で無数に観察ができ、あるいは単純な実験で確認されるもので、それらの理論に疑問を抱く理由はほとんどありません。

 一方、宇宙論や関連分野、特に暗黒物質の素粒子的性質の研究においては、仮説の提案と観測による検証のプロセスがダイナミックに進行中であり、教育機関で教えられる確立した理論とは大きく異なることを強調しておく必要があります。

 暗黒物質とは何かという問いに対する答えはまだ出ていないのですが、その探索の過程を知ってもらうことは、学生を含む一般の人々に、科学的手法がどのように機能するかを体感してもらう最適な機会となるに違いありません。

 高等教育におけるフンボルト理念では、研究と教育の一体化、さらには学問の独立(早稲田大学の教旨)が推奨されます。学生には、独立して研究を行える能力が期待されているのです。また研究の手法はそれに精通した者によってのみ教えることができるという発想のもと、教授は学内の研究者から採用されるのが普通です。ところが近年、この体系に疑問を呈する人が少なからず現れ始めました。卒業生の大多数がアカデミックの世界ではなく実業界に職を求めることを受け、大学も将来の雇用主が求めるニーズに合致した教育を提供するべきだとする意見です。大学教育のスタイルの変化は、徐々に進行しつつあります。私個人の意見としては、残念に思う次第です。多くの仕事が人工知能システムに取って代わられようとするなか、独立した研究能力は、アカデミックな世界だけでなく、様々な職域においてますますその重要性を増しています。解決策がすでに存在する場合も、問題点を再考し、既知の手法に疑問を投げかけることは、新たなメソッドの発見という見返りをもたらしてくれることがよくあります。これこそが、技術の進歩を生むのです。既存のメソッドが最良であると考えられている場合でも、再検証を行い反証することで、新たなより良い代替策が見つかることもあります。

 このようなプロセスにおいて、それぞれの課題に貢献したり改定したりするためには、既存の情報(知識やデータ)を徹底的に理解し解析することが必要となります。ところがこの情報の量は、ほぼ全ての分野で、個人が全ての発展を追いかけられる段階を超えて大きくなってしまっているのです。インターネットの活用により特定の問題について迅速に適切な情報を得ることが可能にはなっているのですが、その分誤った情報や時代遅れの情報と有益で正しい情報を見分ける基礎的な力が必要となっています。専門的な知識よりも重要と言えるかもしれません。

 こうした「研究プロセス」や科学的手法を効果的に体現する方法は、教科書から学ぶことはできません。学生が研究を学ぶ正統な方法は指導者(mentor)とともに研究し、その成果を学位論文としてまとめることです。私はこの方法こそが一番の手本だと思います。

 理論と実験/観察が交差する暗黒物質探索のような研究分野では、比較的短い時間軸で直接的に最先端の研究を経験することが可能です。学生がこれらの技術を習得するには、もってこいの研究分野なのです。暗黒物質の性質を解明するという大きな対価が得られるのはまだ遠い先かもしれませんが、その探索過程を通じ、科学教育は確実に多くの糧を得つつあるのです。

図4:右にいるのは、インド出身の博士課程学生、Saptashwa Bhattacharya。JICAプログラムから支援を受けながら、鳥居研究室で私とともに宇宙線における暗黒物質痕跡の探索を行っている。(彼の論文の1つ:[参考文献4]))。

参考文献
  • ^ The CALorimetric Electron Telescope (CALET) on the ISS:
    Preliminary Results from the On-orbit Observations since October, 2015
    S. Torii for the CALET collaboration, presented at the ICRC 2017 conference
    Proceedings: PoS (ICRC2017) 1092
  • ^ CALET’s Sensitivity to Dark Matter Annihilation in the Galactic Halo
    H. Motz, Y. Asaoka, S. Torii and S. Bhattacharyya
    JCAP 1512 (2015) 0047
  • ^ CALET Upper Limits on X-ray and Gamma-ray Counterparts of GW 151226
    O. Adriani et al. [CALET collaboration]
    Astrophys. J. 829, no. 1, L20 (2016)
  • ^ Decaying Fermioninc Dark Matter Search with CALET
    S. Bhattacharyya, H. Motz, S. Torii, Y. Asaoka
    JCAP 1708 (2017) 0012

モッツ ホルガー マルティン/早稲田大学理工学術院助教

モッツ ホルガー マルティンは早稲田大学理工学術院の助教である。彼はドイツのフリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク(Friedrich-Alexander Universität Erlangen-Nürnberg)の大学院課程で学び、2011年にニュートリノ望遠鏡「ANTARES」を用いた暗黒物質探査に関する研究で博士号を取得した。2012年に来日し、東京大学宇宙線研究所においてプロジェクト研究者として研究を行った。2013年に早稲田大学に移り、鳥居研究室ならびにCALETプロジェクトに参加した。
2014年以来、早稲田大学理工学術院国際教育センターにおいて現職に就いている。
学問的関心分野は、天体素粒子物理学、宇宙線物理学および暗黒物質である。