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高橋 則夫

高橋 則夫(たかはし・のりお) 早稲田大学大学院法務研究科教授 略歴はこちらから

光市母子殺害死刑判決
―修復的司法による被害者救済―

高橋 則夫/早稲田大学大学院法務研究科教授

 光市母子殺害事件差戻し控訴審(広島高裁平成20年4月22日)は、元少年(犯行当時18歳1ヶ月)に対して死刑の判決を言い渡した。この事件は、被害者遺族の思いがメディアを通して広範に報道された結果、国民の多大な関心事となった。

 この控訴審判決については、様々な角度から検討されるべきであるが、ここでは、修復的司法の観点、とくに犯罪被害者という観点から考えてみたいと思う。

永山基準と「被害者遺族の感情」

 最高裁は、「連続ピストル射殺事件(永山事件)」(最判昭和58・7・8刑集37巻6号609頁)において、犯行の罪質、動機、態様とくに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性とくに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯行時の年齢、前科、犯行後の情状という9項目を総合的に考慮し、刑事責任がきわめて重大で、罪刑均衡の見地などからやむを得ない場合には死刑の選択も許される、と判示した。

 まずは、この永山基準との関係が問題とされるべきである。たしかに、この永山基準は抽象的な指針にすぎず、個別事案において具体化されるべきものであるが、「例外的に死刑」という基準を採用していたのに対して、破棄差戻した最高裁判決(最判平成18・6・20判タ1213号89頁)は、永山基準を前提としつつも、「原則的に死刑」という基準を採用したといわざるを得ない。すなわち、犯罪が悪質な場合には原則として死刑であり、とくに酌量すべき事情がある場合に限って例外的に死刑を回避するという考え方が表明されたといえるだろう。しかし、本件は、被害者の数と被告人の年齢などの点で、このような「原則・例外の逆転」という判断を簡単には下すことのできない限界事例であることに注意すべきであろう。それにもかかわらず、最高裁がこのような判断を行い、控訴審判決もそれに従ったのは、9項目の永山基準のうち、とくに「被害者遺族の感情」を重視したのではないかという推測が働くのである。

 
被害者感情を充足しきれない刑事司法

 犯罪被害者遺族が「死刑にしてもらいたい」という感情を抱くのは、至極当然のことである。愛する人を残忍な形で失ったのであり、被害者の声はまさに魂の叫びである。被害者の手記を読むと、加害者への復讐感情が湧き出ることを押し止めることはできないだろう。しかしながら、これは被害者という私人の応報感情であり、国家刑罰権はそれのみによって根拠づけられているわけではないことも自明である。ここには、私的なレベルと公的なレベルという段階の差があり、問題は、その差を埋めることができるのか、埋めるための適切な手段は何かという点にあるように思われる。すなわち、国家刑罰権が被害者の応報感情のみで行使されるわけではない以上、刑事司法において被害者感情が完全に充足されることはあり得ない。そこでは、個々の被害者感情は、客観的被害者感情として類型化・一般化されてしまうのであり、法の世界である以上、これもまた当然のことであろう。むしろ、被害者感情を表明する公共の場として刑事司法とメディアしかないということが問題なのである。

修復的司法システムによる橋渡し

 修復的司法は、犯罪を人々の関係の侵害と把握し、被害者、加害者、コミュニティが関与して、それぞれの修復・回復を目指すシステムであり、刑事司法の補完的役割を果たし得るものである。各当事者は修復的司法システムに任意に参加し、うまくいかない場合には刑事司法システムに戻ることになるが、このようなシステムが存在しないところに問題がある。すなわち、修復的司法システムにおいては、訓練された仲介者によって、当事者のコミュニケーションが実施され、この場でこそ感情のぶつかり合いが可能なのである。もちろん、直接対話が不可能な事案であれば、代理人等による間接的なコミュニケーションが行われる。要するに、修復的司法は、事件に関わる様々な人々がコミュニケーションをとれる場を提供し、それらの人々を架橋しようとするシステムなのである。

 刑事司法はいわば「勝ち負けの世界」であり、今回の弁護人の弁護方法もこの世界では一つの方法といえるかもしれない。しかし、たとえばアメリカには、死刑事件において、加害者弁護人や検察官から独立した専門家が、被害者遺族と加害者弁護人とを橋渡しする「Defense InDefense Initiated Victim Outreach(DIVO)」というシステムがあり、修復的司法の一つのシステムとして注目に値するだろう。

応報から修復・回復へ

 このように、法的コミュニケーションの場である刑事司法と生のコミュニケーションの場である修復的司法とが相俟って犯罪問題の解決に向かうべきであるように思われる。被害者の応報感情は、まさに修復的司法システムにおいて表明されるべきものなのである。これによって被害者の応報感情が軽減しない場合もあろうが、「応報から修復・回復へ」という道筋を創設することが重要なのではないだろうか。

 修復的司法の観点によれば、加害者の責任とは、被害者の回復・再生のために何らかの措置を果たすことであって、刑罰に服することではなく、また、コミュニティの責任さらにはメディアの責任は、被害者の苦しみを共有し支援することであって、加害者に厳罰を科すことを要求することではない。

 「応報は、被害者が突き落とされたレベルまで加害者のレベルを落とすことによって、バランスを回復する試みである。それは、悪事を行った者を打ち負かし、優越感を棄てさせ、被害者の尊厳感を改めて確認させようとすることである。一方、回復は被害者を元のレベルまで引き上げようとするものである。」(ハワード・ゼア『修復的司法とは何か』195頁以下)。この言葉を、単なる綺麗事であると思うか、真摯に受け止めてこの方向へと進むべきであると思うかは、これからの社会を各自がどのように構想するかということの試金石であるといえるだろう。

高橋 則夫(たかはし・のりお)/早稲田大学大学院法務研究科教授

【略歴】

1951年 東京都に生まれる。1975年 早稲田大学法学部卒業。その後、同大学大学院法学研究科修士課程・博士課程修了。東洋大学法学部専任講師、助教授、教授を経て、現在早稲田大学大学院法務研究科教授、法学博士(早稲田大学)。

【主著】

『共犯体系と共犯理論』(1988年・成文堂)、『刑法における損害回復の思想』(1997年・成文堂)、『修復的司法の探求』(2003年・成文堂)、『修復的司法とは何か:応報から関係修復へ』(監訳)(2003年・新泉社)、『法科大学院テキスト刑法総論[第2版]』(共著)(2007年・日本評論社)、『規範論と刑法解釈論』(2007年・成文堂)、『対話による犯罪解決―修復的司法の展開―』(2007年・成文堂)、『法科大学院テキスト刑法各論』(共著)(2008年・日本評論社)