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浦野 正樹(うらの・まさき) 早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

中国・四川大地震にみる社会的脆弱性
―自然災害が写し出す課題―

浦野 正樹/早稲田大学文学学術院教授

 中国・四川大地震から1ヶ月。四川大地震は、死者・行方不明者が10万人に達するといわれるミャンマーにおけるサイクロン災害に続き、2008年5月に入って立て続けに起こった死者・行方不明者が同規模にも及ぼうとする巨大災害である。これら2つの災害は、地域の抱える長年の脆弱性が瞬時にあらわになったという点で共通性がある。

ミャンマーと中国、日本に共通する問題

 ミャンマーにおけるサイクロン被害では、軍政下の長年にわたる閉鎖的で抑圧的な支配体制のもとで国際的な支援すら受け入れられず見捨てられる被災民の姿が、クローズアップされた。国際的な援助物資はどのような経路でどのように被災者に届けられているのか全く不透明で、断片的に伝えられる多くの被災者の生活はほぼ被災時のままの放置状態に近く、困窮度がますます高まっているといわれる。

 そして中国・四川大地震では、地震発生後に次のような被災状況と二次災害の危険や懸念が次々と報道されていった。耐震性の著しく弱い小中学校校舎の倒壊による子供達の被災、上流の化学工場の爆発事故の流言によって起こった水源汚染と断水懸念からの飲料水獲得パニック、山崩れなどにより川がせき止められて出来た巨大な土砂ダムの出現と決壊危険、水力発電などのために開発された多くの大型ダムの亀裂発生による決壊危険とそこからの避難、がれきの中での生活と清潔な飲料水や食糧の不足による感染症の危険の増大、被災した核関連施設での放射能漏れの危険などである。被災地が中国内陸部でチベット族などの少数民族が多く住む地域であったこと、被災地は広大な範囲に小村落が点在する過疎の貧困地域を抱えていると同時に、一部では大規模ダムや軍事核関連施設などの局地的な開発がなされ、小中学校などの新しい公共施設が建てられてきた地域でもあることを考慮すると、これらの一つ一つの被災状況や二次災害の危険や懸念が、地域のもつ脆弱性と深く関連していることが読み取れよう。のちに糾弾の対象とされる耐震性の弱さと手抜き工事の背景にある過疎地域の経済体質や癒着構造などは、地域のもつ脆弱性と表裏一体の現象である。

 また、数百万世帯規模にも及ぶ家屋喪失世帯を考えると、国内少数民族の置かれてきた社会的位置をめぐる問題やそうした地域が構造的に抱えてきた貧困問題などと深く絡み合いながら、今後長期間にわたって進むだろう復旧・復興に向けての地域の苦闘のさまが推測されよう。しかしながら、こうした災害状況は必ずしも発展途上国に特有なものではなく、日本国内でも、規模は幾分異なるものの類似の質の問題を体験してきたのではないかと思われる。

続く自然災害 日本に鳴らされている警鐘

 1990年ごろから、日本は「地学的平穏の時代の終焉」を迎え、再び大きな災害に見舞われる時代に入ってきたという警鐘がなされている。日本の戦後の経済成長は、いわばこの「平穏の時代」の果実で、今後、巨大都市においても、地方都市・農山村社会においても、少子高齢化とこれまでの地域社会の変動の過程で蓄積してきた<社会の歪み>をえぐりだす、さらに深刻な災害が発生する危険性が高いとの警告である。雲仙普賢岳噴火災害、奥尻島津波災害、阪神・淡路大震災、三宅島群発地震による全島避難、新潟県中越地震、それに原子力発電所の危険が身近なものになった新潟県中越沖地震とつづく一連の災害は、そうした警告のリアリティを裏づけていると思われる。

 日本における災害事情を考えていくうえで1990年代はひとつの転換点であったといわれる。それは、なによりもそれ以降に頻発した災害の特徴とその影響の現れ方によるところが大きかった。たとえば、1990年代初頭に起こった雲仙普賢岳噴火災害は、次々と起こる火砕流や土石流に翻弄されながら緊迫した被害状況が続き災害が長期化したことで知られている。そのなかでの被害と生活危機の拡大・長期化は、それ以前にはあまり意識されなかった災害現象のもうひとつの側面を明らかにした。生活への影響は、被災実態や程度のみならず就業構造や生業形態、(家族成員の年齢層の分布などに典型的な)家族構造の違いによって異なり、生活危機への対処方法も同様の違いを見せた。また、長期にわたる災害の影響は、家族関係や家族の経済生活を不可逆的な形で変化させ、そこからの生活再建や地域再建の試みは、上記の生活条件に左右されながらも地域住民層の長期にわたる試行や運動を生み出した。こうした動きは従来の社会関係を流動化させたが、そこでも上記の生活条件の差異は深い影響を及ぼし続けた。災害の長期化は、まさにこうしたダイナミックで、しかも住民階層によって影響の異なる過程でもあった。

阪神大震災が呼んだ復興問題への関心

 また、1995年の阪神・淡路大震災は、災害因である地震の衝撃そのものは短期であったが、被災状況の展開は実に長期に及んだ。災害を契機にしておこる被災状況の展開は、さまざまな社会要因や災害への対処施策を反映して、連鎖的にしかも不可逆的に進み、被災の過程はまさに人為的・社会的要因に媒介されて大きく変容していく様相が明らかであった。阪神・淡路大震災は、衝撃直後の被災実態の様相と(救出・救護や緊急避難を含む)緊急対応のマネージメントに並んで、中長期的な生活復旧や生活再建の様相やその筋道が非常に大きな関心を呼んだ災害であった。被災地域の復旧・復興問題も、災害に巻き込まれた人びとの生活復旧や生活再建との関連で明確に位置づけられて論じられることになる。個別のコミュニティにおける復旧・復興の様相は、そのコミュニティの各住民層の生活再建の実相と深く関連づけられることにより、より社会に内在する要因が絡み合うことによる生活再建や地域再建の困難さに、人々の注目が集まるようになったといえよう。

 そして2000年にはいってからは、三宅島噴火災害による4年5ヶ月の長きにわたる全島避難(2000年8月)、新潟県中越地震(2004年10月)、能登半島沖地震(2007年3月)、新潟県中越沖地震(2007年7月)など、離島や過疎地、地方都市を襲う災害が相次ぐ。また、新潟県中越地震では、過去の活発な農村活動を通じて地域伝統文化を創造してきたといわれる山間の過疎の農村集落が存亡の危機に追い込まれる。地域を支えるインフラストラクチャーが壊滅的な被害を受け、全体社会における地方財源の縮小の展望のなかで過疎地域の農村集落を襲う災害に対する生活再建や地域再建とは何か、そこで問われるべき問題とは何かが議題にのぼってくる。新潟県中越沖地震では、地元が地域開発として受け入れた原子力発電所の災害危険がリアリティをもった。発電所自体の耐震性の実態とその防護体制や運営体制の弱さが露呈することにより、改めてかつて過疎対策として原子力発電所を受け入れた地域の災害危険と脆弱性が浮き彫りにされることになる。

 こうした日本の近年の災害体験は、地域社会の抱える脆弱性とともに、地域の社会構造に潜むさまざまな格差とそれぞれの住民層がもつ脆弱性に目を向けさせることになった。それと同時に、そうした脆弱性を与件として受け入れたうえで、そこからどのようなプロセスで何を基盤にしながらどのように生活を回復させていくか、その回路を探り出そうとする視点に繋がっていった。恐らく、これらの知見は、アジアにおける復旧・復興といった中長期的な災害過程を視野に入れたとき、災害のもつ深甚な社会的影響を予期させるとともに、かれらが今後抱え直面することになる生活課題や社会課題を写し出すことになろう。

浦野 正樹(うらの・まさき)/早稲田大学文学学術院教授

【略歴】

文学学術院教授。専門は都市社会学、地域社会論、災害研究。現在、早稲田大学地域社会と危機管理研究所所長。主な編著書に、『災害社会学入門』『復興コミュニティ論入門』(ともに弘文堂「災害と社会シリーズ」2007)、『社会学のアクチュアリティ第8巻/都市社会とリスク』(東信堂 2005)、『阪神・淡路大震災の社会学』第1~3巻(昭和堂 1999)などがある。

研究室HP:http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/