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田勢 康弘(たせ・やすひろ) 早稲田大学大学院公共経営研究科教授 略歴はこちらから

早稲田を愛した筑紫哲也

田勢 康弘/早稲田大学大学院公共経営研究科教授

 筑紫哲也さんから携帯にかかってきたのは06年の1月4日だった。初孫が生れ、病院へ見に行った日だったから覚えている。「これからお願いしたいことがあるんだけど、断ったりしないでほしい」。聞けば早稲田で筑紫さんのやっていた先生の仕事を引き継げ、というのだ。それまでに早稲田と東大で非常勤講師をしたことがあり、本職の先生に自分はまったく向いていないと思っていた。

学生に講義する筑紫さん(2003年)

 そもそもあんなに忙しい筑紫さんが大学の仕事を引き受けたと聞いて驚いたものである。日頃筑紫さんは「早稲田は出たけど、早稲田の世話になったことは一度もない。第一、ほとんど講義に出なかったし、母校だなどという意識はまったくない」といっていた。同じセリフは私も口にするし、早稲田OBには少なからずそう語る人がいる。断るな、といわれたから引き受けて、筑紫さんから学んだ学生たちを見ていて、かなり驚いた。

 早稲田が嫌いなのではと思っていたあの筑紫さんが実は早稲田をこよなく愛していたといういうことを知った。次の世代に「知的に生きる」ことの意味を懸命に伝えようとしていたことがわかる。戦争は絶対にしてはならないと若者たちの遺伝子に叩き込もうとしていた。彼の講座を講座名もそのままで引き継いで三年目。教育者筑紫哲也の真髄をその足跡から知った。亡くなった日、朝日新聞の社会部記者から取材の電話が入った。筑紫さんと同じような道を歩いている後輩としてコメントしろというものだった。朝日新聞はもっと筑紫哲也を大事にすべきだった、いや、でも大事にされてれば、いまの筑紫哲也はなかったかな、などとやや矛盾したことをいった。この部分は使われないだろうなと思ったが、やはり使っていなかった。

筑紫さんを囲んで行なわれた講義の様子

 筑紫さんは企業メディアである朝日新聞と戦い続けたように思う。朝日にあるまじき行動、などと社内の批判を浴びたこともあったようだ。無断でテレビ出演をしたり本を書いたり。企業である以上、社員として守るべきルールがある。ルールを守れば、社内の評価は高いかもしれないが幅広い活動など覚束なくなる。ジャーナリストは何よりも行動を制約されることを嫌う。好奇心のおもむくままに行動したいのだ。朝日ジャーナルの編集長、ニューヨーク編集委員というポストは世間が考えるほど新聞社の主流ではなく、どちらかといえば出世街道からはずれている。

授業で墨田区を訪問。学生とともに地域研究もした(2003年12月)

 筑紫さんを見ていると、つくづく早稲田だな、と思う。柔和だから、人の意見を聞き入れる人と思いがちだが、徹底的な頑固者である。社内で偉くなるためにどうすればいいかという発想そのものがない。というよりは逆のことばかりしている。社内で社長レースに加わるような主流を歩まなかったから、ジャーナリスト筑紫哲也ができた。社内のルールを守らなかったからテレビ報道の新しい形を作ることができたのである。筑紫さんを一言でいえば、リベラルなジャーナリストということになると思う。ジャーナリストにはさまざまな考えの人がいるが、戦前生まれで戦争の影を引きずっているタイプの人はおおむねリベラルといっていいだろう。日本が重装備すべきだ、とか核武装も視野にいれるべきだ、というような考え方をするジャーナリストは戦前派にはいない。昭和10年生れの筑紫さんと19年生れの私では、リベラルの度合いにかなりの差があるが、それでも対立するほどの差ではない。

 テレビのキャスターを通算20年以上もつとめたが、筑紫さんは徹頭徹尾活字人間だったと思う。多事争論という熟語は福澤諭吉の言葉だが、活字人間でなければこういう発想は出てこない。言葉にこだわるのである。私もキャスターをつとめる報道番組(「週刊ニュース新書」TV東京系列毎週土曜日午前11時30分から1時間)でも番組の最後に「きょうのあとがき」と題してさまざまな言葉を紹介し、考えてもらうことにしている。ジャーナリストになりたい、メディアで報道の前線に出たい、という学生は決して減っていないと思う。とりわけ早稲田はいまだにメディア志望の学生が多いところだ。だが、多少小言めいたことを言わせてもらえば、知的好奇心がなさ過ぎる人が多い。知的体力とでもいおうか、本をあまり読んでいない。ハウツーものや就職活動に関するものなどは本とはいえない。面白そうだから、有名になれそうだから、という発想でつとまるような職業ではない。

筑紫さん直筆の色紙

 どうすれば早く署名記事が書けるようになりますか、どうすればテレビに出てモノがいえるようになりますか、などという質問を受けることが多い。そういうノウハウがあるのなら、こちらが聞きたいぐらいだ。おそらく筑紫さんでも同じことを答えるだろう。長い砂漠の道を灼熱の太陽の下で、ひたすら目的地へ向かって歩き続ける。ジャーナリストの道はそれに似て地味で厳しいのだ。

※写真:ワセダウィークリー提供

イベント

筑紫哲也氏追悼シンポ「多事激論!ジャーナリズムのこれから」(1月26日)※要事前申し込み

田勢 康弘(たせ・やすひろ)/早稲田大学大学院公共経営研究科教授

【略歴】

1944年中国黒龍江省黒河で出生。山形県白鷹町出身。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。日本経済新聞社入社。39年の記者生活のうち36年間を政治記者として佐藤栄作内閣から福田康夫内閣まで20人の内閣総理大臣を取材。ワシントン支局長、編集委員、論説委員、コラムニストなどを経て06年3月退社。同年4月から早稲田大学大学院公共経営研究科教授、日本経済新聞客員コラムニスト。現在、日露賢人会議日本側メンバー。元ハーバード大学国際問題研究所上席研究員。東大、早大非常勤講師。1996年日本記者クラブ賞受賞。著書「政治ジャーナリズムの罪と罰」「指導者論」など多数。08年4月からTV東京「週刊ニュース新書」(毎週土曜日午前11時半から1時間)のメーンキャスター。