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瀬川 至朗(せがわ・しろう)早稲田大学政治経済学術院・政治学研究科教授 略歴はこちらから

出版社とテレビ 問題報道の構造

瀬川 至朗/早稲田大学政治経済学術院・政治学研究科教授

相次ぐ報道不祥事

 マスメディアの信頼を傷つける事件が相次いで起きている。しかも、経営や販売の不祥事ではなく、マスメディアの営みの根幹をなす、取材と報道のあり方が問われる事案である。とりわけ、出版社とテレビのケースが目立つ。

 こうした問題報道には、どのような特徴があるのだろうか。また、その背景に何が潜んでいるのだろうか。そのあたりを、少し掘り下げて考えてみたい。

 2009年になって発覚したのは、日本テレビ「真相報道バンキシャ!」の虚偽証言による県庁裏金づくり誤報問題、そして、「週刊新潮」が掲載した、朝日新聞阪神支局襲撃事件の「実行犯」実名告白手記の誤報問題である。

 このほか、奈良母子放火殺人事件を題材にした単行本をめぐる調書漏洩問題で、供述調書を著者のフリージャーナリストに見せた鑑定医に対する判決が、奈良地裁であった。新聞やテレビでは、情報源の絞り込みを容易にさせる表現を用い、情報源を秘匿できなかった著者と出版社の講談社の姿勢が厳しく問われた。

予感された誤報

 私自身の経験を言えば、「週刊新潮」は滅多に買わない。しかし、実名告白手記が掲載された2009年の2月4日号に限っては、真っ先に買い求めて読んだ。

 「実名告白手記 私は朝日新聞「阪神支局」を襲撃した!」の見出しに、「大スクープ」の衝撃を受けたからではない。むしろ、「作り事」の臭いを感じ取り、大学でジャーナリズム教育・研究に携わる者として、将来、検証対象になるであろう記事資料を入手しておく必要性を意識したからである。

 きれいに整いすぎた見出しに、私同様、違和感をおぼえたジャーナリストは少なくないだろう。

 そうした予感が現実となった。新潮社は誤報を認め、「週刊新潮」4月23日号に「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」とする編集長名と同誌取材班名の記事を掲載した。

「告白」に頼り切った「真実」―― プロパガンダの手助け

 「騙された」記事を読んで分かるのは、手記掲載にいたる最初のきっかけが、ニセ実行犯からの手紙であること、ニセ実行犯の証言をもとに傍証を探したが、結局何も得られていないこと、にもかかわらず、実名でかまわないというニセ実行犯の本物らしい言動を信頼して「真実相当性がある」と断定したことである。疑問点をつぶしていない甘さも目立つ。

 これでは、詐欺能力がありテクニックに長けた人物が編集部に接近すれば、週刊新潮は、いつでも騙されます、と宣言したに等しい。

 日テレの「バンキシャ!」も、最初のきっかけはニセ告発者からの情報提供であり、その証言の裏取りができていなかった。名乗り出た人物の「告白」に頼り切った断定報道という点で、週刊新潮と誤報の構造は共通している。雑誌ジャーナリズム、テレビジャーナリズムという体裁をとりながら、実態は、情報提供者の発言を十分に確認しないまま垂れ流す、プロパガンダ(宣伝)の拡声器の役割しか果たしていないことになる。

 週刊新潮と日テレのケースは、形式的には「調査報道における誤報」と位置づけることができるだろう。

 それでは、良質の調査報道で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞したジャーナリストたちは、自らの取材方法についてどのように語っているだろうか。

 「事実を1つ1つ積み上げていった。謙虚に、素早く、しかも確実に進めていった」「曖昧な情報は絶対書かない。鉄則です」(調査報道「志布志事件」の舞台裏、朝日新聞・梶山天氏)

 「ある意味調査報道というのは時間がかかります。人数もかかります。さらに、私たちの放送が間違っていたら、大問題です」「私たちの『ミス』や『取材不足』が、相手の社会的生命を奪うことにつながりかねません」「そういう意味では本当に徹底的に最後の最後まで取材をしないといけない」(TVによる「調査報道」、毎日放送・東田尚巳氏)

 彼らの言葉からうかがえるのは、可能な手段をすべて尽くして真実に迫ろうとする謙虚な姿勢である。ジャーナリズム現場論の基本文献とされるビル・コヴァッチらの「ジャーナリズムの原則」(邦訳・日本経済評論社、2002年)は、9つの原則の冒頭に「ジャーナリズムの第一の責務は真実である」という原則を挙げている。

 「真実への責務」という自覚がジャーナリストにあれば、軽々しく断定することはできない。ジャーナリズムとは、断定の営みではなく、検証の営みなのである。

「代筆手記」はジャーナリズムか

 今回の問題報道で、不可解なのは新潮社の対処方法である。4月23日号では、第三者でなく、誤報問題を起こした編集長を中心とする取材班が、自ら検証記事を書いた。編集長は処分を受けることなく、異動で同誌担当役員に昇格したという。「あるある大事典Ⅱ」の捏造問題では関西テレビが、また、奈良母子放火殺人事件を題材とする単行本の問題では講談社が、それぞれ社外の専門家を委員とする第三者委員会を設置して問題を検証したが、新潮社にその考えはないという。

 なぜ、新潮社は責任を明確にしようとしないのだろうか。

 その理由の1つに「手記」というスタイルがあるのでは、と推測している。手記といっても、ニセ実行犯が書いたのではなく、編集者がその人の代筆をした代物である。しかし、Aさんの手記である以上、責任はAさんにある。「週刊新潮」は、Aさんに騙されて手記を掲載した、という気持ちになる。「手記」は、当の本人にとって都合のいいところだけを掲載するプロパガンダであり、真実への責務を有するジャーナリズムの方法論からは逸脱していると考える。

 一方で、代筆手記は、ニセ実行犯の情報提供という側面を持つ。提供された情報をもとに手記を書いたのは編集側のスタッフである。「週刊新潮」編集部は、ニセ実行犯に計80万円を支払ったが、そのお金は手記の「原稿料」であり、情報提供の「謝礼」という性格のものではないと説明する。もちろん、原稿料か謝礼か、境界線をどこに引くかは難しい問題ではあるが、私は、今回のように編集部に対して語るという形式は実質的には情報提供であり、80万円は情報提供への謝礼だったとみなすのが適切ではないかと考える。 謝礼と位置づければ、ニセ実行犯がなぜ、そのような話を編集部にしたかという構図も少し見えてくるような気がする。

広がる「マスコミ」と「ジャーナリズム」の乖離

 真実に対する謙虚さを失い、徹底した検証活動をないがしろにする「断定ジャーナリズム」の横行が、出版社やテレビ局の報道の信頼性を著しく傷つけている。なぜ、このような構造が生じたのだろうか。

 今日のメディア状況のなかで、「マスコミ」と「ジャーナリズム」の乖離が急速に進んでいることの証左であろう。

 古くは長谷川如是閑や戸坂潤といった評論家、哲学者らが「新聞」について語ってきたように、資本主義社会において、メディア企業は、新聞や雑誌、テレビ番組などを「商品」として生産してきた。わが世の春を謳歌した時代もあったが、メディア界の「黒船」といわれるネットの出現や2008年の経済崩壊の影響により、今日のメディア企業=マスコミは広告収入の激減という大打撃を受けている。パイが細るなかで生き残りを図るマスコミ各社は、よりインパクトの強い商品を、より効率的・合理的なニュース生産プロセスで生み出すことを余儀なくされている。記者一人一人の思惑とは別に、マスメディア企業という存在は、市民のための公共圏の構築に貢献するジャーナリズムの規範的な姿とはますますかけ離れてきている。

 問題報道の遠因には、メディアを取り巻くこうした環境の変化があり、根は深いと感じる。雑誌、テレビだけでなく、新聞ジャーナリズムにとっても,決して対岸の火事ではないのである。

大学でも実現できる、真の調査報道

 だからといって、ジャーナリズムの将来を悲観一色で捉える必要はない。ジャーナリズムはメディア企業の専有物ではないのである。

 早稲田大学は、2008年春、大学院政治学研究科にジャーナリズムコースを創設した。プロフェッショナルなジャーナリスト養成をめざす「ジャーナリズム大学院」である。

 専門知とともに、取材・報道の実践的なスキルの修得を図っており、そのカリキュラムのなかで私は「調査報道の方法」という授業を担当している。発表や広報に頼らない取材について学び、学生はそれを実践して原稿を書いていく。

 この授業から、「意見公募制度 7府省が行政手続法違反 結果公示最長951日遅れ」という特ダネ記事が生まれた。厚生労働省が「不適切さ」を認めてプレスリリースを公表したため、朝日新聞と共同通信社が「院生の指摘で」と報道したほど、手応えは大きかった。早稲田大学ジャーナリズム大学院の学生ウェブ・マガジン「Spork!」に掲載されているので、そちらをご覧いただきたい。内容は地味かもしれないが、市民のための調査報道になったと自負している。

 アメリカでは、ボストン大学ジャーナリズム学科にニューイングランド調査報道センター(NECIR)が設立され、アメリカン大学コミュニケーション学部にも調査報道グループが誕生したという。いずれ日本でも、大学が、調査報道のようなジャーナリズム活動の一角をになう時代が来るだろう、と考えている。

参考URL

ウェブ・マガジン「Spork!」
http://www.spork.jp/

早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース
http://www.waseda-j.jp/

石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞
http://www.waseda.jp/jp/global/guide/award/

瀬川 至朗(せがわ・しろう)/政治経済学術院・政治学研究科教授

1977年、東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)卒。毎日新聞社でワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長、論説委員などを歴任。1998年、「劣化ウラン弾報道」で、取材班メンバーとしてJCJ奨励賞(現JCJ賞)を受賞。2008年1月から早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースのプログラム・マネージャー。TBS科学監修者。
主な著書に『健康食品ノート』(岩波新書)、『心臓移植の現場』(新潮社)。共編著に『アジア30億人の爆発』(毎日新聞社)、『理系白書』(講談社)、『ジャーナリズムは科学技術とどう向き合うか』(東京電機大学出版局)など。