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石倉 義博(いしくら・よしひろ)早稲田大学理工学術院准教授 略歴はこちらから

「希望学」
-希望と社会の関係をさぐる-

石倉 義博/早稲田大学理工学術院准教授

「希望学」という試み

 「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」というフレーズで知られる村上龍氏の『希望の国のエクソダス』(2000:文藝春秋)や、山田昌弘氏の『希望格差社会』(2004:筑摩書房)が出版されたころからだろうか。「希望」という言葉をタイトルや帯の惹句に掲げた書物が眼につくようになってきた。昨年も姜尚中氏の『希望と絆』(岩波書店)や本学文学学術院の山田真茂留氏による『〈普通〉という希望』(青弓社)などが出版されている。

 そんな風潮のなか、2005年から「希望を社会科学する」をスローガンに、「希望学」という一風変わった名前の研究プロジェクトが内外の研究者によって進められている。法学、政治学、経済学、経営学、社会学、文化人類学等、多様な分野の研究者が集まって、「希望」についてそれぞれの立場から考え、領域横断的に議論するという試みである。もともとは労働経済学者の玄田有史氏をはじめとする東京大学社会科学研究所の研究者を中心に始まったものであるが、私を含め外部の研究者も数多く参加し40人を超える大規模な研究プロジェクトとなった。

 よく誤解されるのだが、このプロジェクトは正しい希望のあり方を社会に提示しようとか、みんなが希望を持つべきだというような、心のあり方に介入しようとするものではない。希望学では、希望というものを社会現象ととらえ、それが生まれるための条件は何か、それにどのような意味があるのかを考察していった。1つの柱は、希望の概念研究である。古今東西の思想のなかで希望とはどのようなものとして考えられてきたのか、また思想家だけでなく一般の人たちは希望をどのようなものととらえ、そして自分にとっての希望を何に設定しているのかをアンケート調査やインタビューによって探求した。

 このプロジェクトの成果が、昨年の4月から『希望学』(東京大学出版会)という4巻の書籍にまとめられた。これは論壇や書評、報道番組等で数多く取りあげていただき、また昨年から多くの書店・大学生協で「希望」についてのフェアを開催していただくなど、興味をもって受け容れていただいているようである。

地域の希望をさぐる

 希望学プロジェクトの特徴は、研究のもう1つの柱として、総合的な地域調査を組み入れたことにある。フィールドとしたのは岩手県釜石市、新日鐵釜石製鉄所を擁するかつて鉄都と呼ばれた地である。新日鐵釜石ラグビー部全日本選手権7連覇の偉業とともに、同地の名を記憶しておられる方も多いだろう。しかし、高度成長期に繁栄した釜石は、1970年代以降、産業構造の転換、人口流出、高齢化という厳しい課題を抱えてきた。

 この都市をフィールドとして、地域の産業再生に向けて活動する人たちや、釜石に生まれ育った人々がその後どのような経歴をたどり、どのような展望のもとで釜石という地域と関わっているのか等に関して、インタビューやアンケートによる調査・研究を行なってきた。研究の成果は『希望学』シリーズの第2・3巻のほか、40をこえるインタビュー記録や各種報告書にまとめられた。

 プロジェクトで地域調査を行なう上でお互いの共通了解としたのは、われわれは地域から学ばせてもらうのであって、地域の問題を解決する処方箋を研究者が提供するというアプローチはとらない、研究に協力していただいた恩返しは研究の成果で行なう、というものである。その恩返しの一環として、現地での公開シンポジウムや講演会を開催し、また広報誌(『広報かまいし』)にも、2008年から研究成果を毎月掲載していただいている。もちろん研究が不十分であれば、現地の方々からの厳しい指摘を受けることもあり、一定の緊張感を保った関係、地域を活性化するアイディアを大学が提供するようなタイプの「大学の地域連携」とは違った地域との関わり方ができたのではないかと考えている。

 現在は、釜石での調査を継続するとともに、得られた仮説を検証するための新しいフィールドを福井県に定め、新しいメンバーも加え調査に取り組んでいる。

希望学の「成果」

 希望学では概念研究の結果、希望を「具体的な何かを行動によって実現しようとする願望」として定義づけた。単なる夢想ではなく、具体的な行動を伴った願望が希望であるとするものである。

 釜石調査からは、地域再生には「地域の個性の発見・再構築」、「希望の共有」、「地域内外でのネットワーク形成」の3つが重要な役割をはたすという仮説も生まれてきた。たとえば、地域内だけでなく、その外部をも含めた人々のネットワークが、情報の流通や助け合いなど、多様な効果をもつことはよく知られており、個人やコミュニティが利活用できる資源として、近年では社会関係資本の名で呼ばれることも多い。だが注意したいのは、そのような利得があるからネットワークをつくろう、維持しようとした場合、共助的なネットワークからずれた打算的なものになってしまう可能性も大きい。

 上記の3つはいずれも地域再生において重要なものと考えられるが、どの地域にも適用できるような万能のマニュアルはつくることはできない。あくまで当事者たちが、自発的な相互の対話を通して発見し、作りあげていくものである。

 先に述べたように、希望には実現のための本人の行動が必要であるが、願望や目標を実現するためには、本人の努力だけでなく、周りの人間の助けや、行動を可能とする社会的条件も欠くことができない。また、そもそも実現しようとする願望や、具体的なビジョンを描くことができなければ、行動のとりようがない。だが、研究の結果、収入や学歴などの社会的属性によって、本人の希望の有無や、そもそも希望へのスタンスに違いがあり、社会的に不利な状況にある人々には、恵まれた人々に比べて、希望を持たない人や希望に対して否定的な人が多くいることがわかってきた。

 どのようなものであれ、希望を持つこと自体が一部の人間にのみ可能で、それ以外の人間には許されていない、そしてそれの条件が社会的条件によって決まっている、また希望を持てない人がそのことで負担を抱えているのであれば、社会科学はそれを明らかにし、是正に向けて取り組んでいくべきであろう。そこにこそ希望学が社会科学として、社会と関わっていく意義があると考えている。

 なお、このプロジェクトの成果の一部は下記サイトにて公開されている。関心のある方は、ご一読いただければ幸いである。

http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/

石倉 義博(いしくら・よしひろ)/早稲田大学理工学術院准教授

【略歴】
東京大学文学部社会学専修課程卒業。東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻修士課程修了、同国際社会科学専攻博士課程単位取得退学。東京大学社会科学研究所助手、同専任講師を経て現職。社会学(社会意識論)。文化社会研究所研究所員。
主著書に、『希望学』(中公新書ラクレ:共著)、『希望学 3:希望をつなぐ――釜石からみた地域社会の未来』(東京大学出版会:共著)など。